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国語教育とは何か(8) スキーマの有無

 国語教育とは何か(5)で, 光文社新書の「わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 (西林克彦2005年)」をとりあげた。
 大学入試センター試験の国語について調べているときに見つけた本である。センター試験の選択肢から正解をどう選ぶかは「整合性」が鍵になるという話だが,これが書かれているのは第5章の末尾で12ページだけである。「読み手の想像・仮定によって緊密性を高めるときには,「整合性」ということが必須条件です」として,その例としてあげたものだ。この本のタイトルにある「わかったつもり」というのは,文章を一読して読めているようでも実はそうではない,という話であって,センター試験がテーマではない。

 巻末の節に全体がまとめてある。

(1)部分感の関連が「よりわかる」ための条件
 ・部分間に関連がつかないと「わからない」という状態を生む
 ・部分間の関連がより緊密になると「よりわかった」となる。
 ・部分間の関連をつけるために,文中に記述されていない事柄についての知識・読み手が作り上げた想定・仮定を,読み手は使っている。 
(2) 文脈のはたらき
 ・文脈がないと「わからない」
 ・文脈がスキーマを発動し,文脈からの情報と共同して働く。
  ここで「スキーマ」とは,すでに存在しているひとまとまりの知識のことで,認知心理学の用語。
 ・文脈がそれぞれの部分の記述から意味を引き出す。
 ・文脈に引き出されたそれぞれの意味の間で関連ができることで文がわかる。
(3) どのようなときに「わかったつもり」が作られやすいか
 ・文章の構成に読み手が惑わされたとき
 ・読み手の既存のスキーマによるもの
(4) 「わかったつもり」から「よりわかった」への進展過程
(5) 読み手の「想像・仮定」の構築と,国語教育への提言
 ・整合性がある限りその解釈は認められることになる。
 ・ある解釈が整合性を示しているからといって,それが唯一正しい解釈と考えることはできない。

 それぞれの章で示されている例は,小学校の国語の教科書によるもので,たいへんわかりやすい。

 筆者の目下のテーマは,「同義文判定はどのようにおこなわれるか」である。2つの文が同じ意味であるかどうかをどのように判定しているか,あるいはなぜ判定できないのかは,「論理的な読み方ができていない」というのがひとつの仮定であった。しかし,本書の内容でいうと,「スキーマの発動」も関係がありそうだ。

 何度も同じもので恐縮だが,暗号の例を再掲しよう。

教科書p74〜75を読み,次の文について,正しければ○,正しいとは言えないか誤りの場合は×をつけよ。Webで調べてもよい。
(1)AさんとBさんに復号のための鍵をあらかじめ送っておき,その後,暗号化したファイルを送った。AさんとBさんには同じ鍵を送った。これを「共通鍵暗号方式」という。
(2)AさんとBさんに暗号化のための鍵をあらかじめ送っておき,その後,暗号化したファイルを送ってもらった。AさんとBさんには同じ鍵を送った。これを「共通鍵暗号方式」という。
(3)AさんとBさんに暗号化のための鍵をあらかじめ送っておき,その後,暗号化したファイルを送ってもらった。AさんとBさんには異なる鍵を送り,復号するときに,送った鍵を使った。これを「共通鍵暗号方式」という。

ちょっと考えてみてもらいたい。どれが○でどれが×か。

どうだろう,○×の判定ができただろうか。
「教科書がないからわからない」という人は,正しいアプローチをしている。いや,教科書がなくても,暗号の意味から判断できるという人,暗号の意味だけから判断すると
(1) はAさんに送った文をBさんにも読まれてしまうから×。
(2) は復号するのはこちらだから○。
(3) は「異なる鍵」を送ったのだから「共通鍵」暗号方式ではない。×
となるのではないだろうか。

では,教科書にはなにが書いてあるかを示して,もう一度考えてもらおう。

暗号化と復号で使う変換の方式を暗号方式,具体的な変換を決めるデータを鍵という。暗号化と復号で同じ鍵を使う共通鍵暗号方式では,送る人と受け取る人のペアごとに鍵を用意する必要がある。

どうだろうか。
正解は次のようになる。
(1)と(2)では,自分と相手のどちらが暗号化するのかが逆になっているが,どちらも「送る人と受け取る人のペアごとに鍵を用意する」に反する。×
(3) は「送る人と受け取る人のペアごとに鍵を用意する」に合致している。○
となるのだ。

 教科書の記述から得られたスキーマ「送る人と受け取る人のペアごとに鍵を用意する」によって判断が変わることになる。
 まず,「暗号文とは何か。それは,他の人には読み取れないような文である」という知識が必要であることはいうまでもない。その知識を前提に判断するのだが,実はもうひとつ知識が必要で,「共通鍵暗号方式では暗号化と復号で同じ鍵を使う。したがって,送る人と受け取る人のペアごとに鍵を用意する。」という知識である。
 後半の知識は教科書に書いてあるが,それをちゃんと読み取っていなければならない。

 正答率を示しておこう。
   (1) 45% (2) 64% (3) 30%
(1)〜(3)は異なる内容なので,正答があるとすればひとつしかないはずである。しかし,どれか1つだけに○をつけた者の数は198名中91名で46%にすぎない。しかもその内訳は
(1) 28名 (2) 61名 (3) 2名
である。正しくできたのは198名中わずか2名しかいないのだ。

なぜ,このようなことが起こったか。
前の note を書いた時点では「スキーマ」についての知識がなかったので不明だったが,いまならばこういうことが言える。

「暗号とは,他の人に読まれないようにするもの」という既存のスキーマだけで判断していて,「共通鍵暗号方式では暗号化と復号で同じ鍵を使う。したがって,送る人と受け取る人のペアごとに鍵を用意する」というスキーマを使っていない。つまり,教科書が読めていない。ということである。

 教科書を読まない,ということについては,「読解力以前の問題」として note に書いた。このときは別の事例で,生徒の質問を聞いてみたら,そもそも配布テキストを読んでいなかったというものである。
 これに対して今回は,「教科書p74〜75を読み」と書いてあるにも関わらず,教科書をちゃんと読まずに答えているのではないか,ということだ。「読んだつもり」「わかったつもり」のまま,実際には既存のスキーマしか使っていないのではないだろうか。
 これに関しては,センター試験などの選択肢から選ぶ問題の例も関係してくる。設問に答えて選択肢から選ぶためには,その周辺だけ読めばすむ,というものだ。このとき,「その周辺」だけを読んで,「整合性」がとれればよいのだ。この暗号の問題でも「整合性」がとれればよいのだが,そのためには,周辺の記述から新しいスキーマを獲得して判断材料とすることが必要なのだ。

 正誤判断や選択肢から選ぶ問題は高校入試でも出る。中学校の授業や塾でもその対策をしているはずだ。しかし,そのときに,本文を正しく読み取って判断するということがきちんと指導されているかどうかがおおいに疑問である。高校入試での正答率はデータが公表されていないので不明だが,正答率が低くても,合計点が相対的に(他の人より)高ければ合格してくるのである。結果として「テキストをしっかり読まない」という態度のまま進学してくるのではないだろうか。