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国語教育とは何か(5) センター試験

大学入試センター試験の国語を見てみる。
ただし,各問いごとの正答率は公表されていないので,マーク模試を見ることにした。問題形式はセンター試験と同様だが,次のようになっている。

センター試験:現代文・評論,現代文・小説,古文,漢文の4問。
マーク模試:必須問題は,現代文・評論,現代文・小説の2問と古文。
      選択問題として,古文・漢文・現代文からいずれか1問。

4問を80分で解答するので,1問あたり20分ということになる。
このうち,現代文の2問はほぼ次のような構成になっている。
(a) 漢字に関する問題(同じ漢字を使うものを選択)が5問
(b) 傍線部について,評論では説明,小説では,登場人物の心情などを問う問題,
(c) 評論では本文の趣旨に関する問題
(d) 文章の表現・内容と構成・展開についての問題

 リーディングスキルテスト(AIに負けない子どもを育てる:新井紀子)でいうと,(b)は「照応解決」「同義文判定」にあたるといってよいだろう。ただし,リーディングスキルテストより難易度は高い。

 実際に,2018年の6月マーク模試(進研)をやってみたが,1問あたり20分は結構厳しい。ある程度見切り発車せざるをえなかった。
 結果は,正直に書くが,全問正解には至らなかった。選択肢がそれぞれ5つ用意されているが,色でたとえると明るさの異なるグレーなのだ。5つのうち2つくらいには絞れるが,そのあと,(1)のようでもあり(2)のようでもある。解答を読むと,確かにそうだ,と思うが,時間制限の中ではさいころをころがさざるを得ないこともある。
 本文に使われている用語・熟語は,小説の方が評論より平易であり,読みやすいといえるだろう。しかし,選択肢を選ぶにあたってはそれほど違いはない。

 選択肢をどう判断するかについては,「わかったつもり 読解力がつかない本当の理由 西林克彦 (光文社新書:2005)」の末尾に興味深い一節がある。センター試験を「整合性」という観点から解く授業を,学生(大学生)と行ったときの話である。
 選択肢から正解を探すには,「整合性」があるかどうかで判断する,というのである。本文と選択肢の整合性である。しかし,選択肢の中には,本文には書かれていない,出題者の解釈が混じったものがある。西林氏は「整合性という点においては可能」としているが,「本文にないのだから整合性もない」としたらどうだろう。正解の選択肢はなくなってしまう。すると,解答者はそこで迷うことになる。

 各設問の正解率はどうか。受験者数は約40万人である。試験の回によってかなりばらつきがあるので,以下はおおよその数値である。
(a) 漢字に関する問題 : 60ないし80%
(b) 傍線部についての問題, : 50ないし60%。
(c) 評論では本文の趣旨に関する問題 : 50ないし70%
(d) 文章の表現・内容と構成・展開についての問題 : ばらつきが大きすぎる。40ないし70%。

 これは,全体の正解率であるが,資料には「成績層別正解率」が載っている。偏差値に換算した成績を8段階の層に区切っているが,上位層がどの問いに対しても80〜90%であるのに対し,下位層では40%前後である。高校は入学試験によって階層化されているとはいえ,ひとつの学校の中でも同じくらいの差がある。入学時にほぼ均一な学力であっても,3年次にはかなりの差がついているからだ。
 このことは,普段の授業(国語ではない)での教科書の読み取りでもはっきりしている。評論でも小説でもない,説明文である教科書の文章をきちんと読み取れているかどうかの問題をやらせると,できる生徒とできない生徒がいるのだ。地域トップの進学校だから教科書くらい全員読める,というわけではない。(読解力:同義文判定ということ で紹介)

 ところで,前述のように,結構きつい時間制限の中で解答していくのであるが,はっきり言って,全文を子細に読む必要はない。傍線部について答える問題では,それが含まれる段落,数行を読めばだいたい判断できるし,他の段落を読んでもほとんど参考にならないからだ。
 本文の趣旨,構成に関する問題も,傍線部の前後を読んでいればだいたい見当はつく。
 評論文の趣旨を検討したり,小説を味わうようなヒマはないし,その必要もない。「このことは本文中にあるか」「語句の意味として合っているか」を基準に選択していくことになる。しかし,受験対策としてこのような問題を解いてばかりいたら,「文章を読む」という本来の意味から外れてしまうだろう。
 したがって,センター試験は高校の国語教育のゴールとはとてもいえないが,それは「マーク式試験」の限界ではある。

 では,マーク式でない試験ではどうか。「問題」を作ろうとすれば,「傍線部について・・・」とならざるを得ないが,選択肢から選ぶのではなく自由記述をさせることができる。しかし,50万人以上が受ける試験で,その採点が困難を極めることはすでに指摘されている通りである。採点が可能なようにいろいろな制限をつけるとすれば,自由記述ではなくなってしまう。

 国語教育の「目標」と,その結果の評価を「試験」で行うことの間には大きな壁がありそうだ。