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合奏はテレパシーで

合奏,特に少人数の場合は,互いにテレパシーを飛ばしあいながら演奏をする。

テレパシー,信じますか。

 テレパシーのことを書いたのは,ヴィオラ奏者の浅妻文樹氏。弦楽四重奏での話である。もうずいぶん前のことで,何かの小冊子だと思うのだが,探したが見つからなかった。
 もうひとり,似たようなことをフルート奏者の吉田雅夫氏も書いている。
彼の場合は,「火の魂 飛び交うがごとく」である。

 テレパシーは誰でも発することができるわけではなく,また受け取ることができるわけでもない。私の場合は,受け取るときは無意識だと思うが,発するときは当然意識するわけである。
 音の強弱,わずかなテンポの揺れ。
二人での演奏のときは特に顕著だ。ピアノ伴奏で演奏するときや,二重奏のとき。

 ずっと以前のことになるが,ピアノが上手な人がいて,伴奏をしてもらった。
なかなか合わない。その時は,自分のテンポが不安定だったりで,自分の力不足の故だと思っていた。
 しかし,今にしてみれば,テレパシーが通じにくい相手だったのではないかと思う。
 技術や人間性の善し悪しではなく,相性の問題だろう。

 オーケストラで,スメタナのモルダウを演奏したときのこと。
冒頭,モルダウ河の源流に水が少しずつ流れ出す。
フルート2本で始まり,クラリネットが加わり,その後弦が受け継いで川の流れが大きくなっていく。

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そのときは,確か私が1番フルートで,相手が2番フルートだったと思う。
きれいな流れになるようにパート練習をしたのだが,どうもしっくり行かない。
8分の6の拍子を,彼は6つでとると言っていた。私は2つでとっている。
6つでとるのは私にはかえってとりにくい。やってみたがうまくいかなかった。
音楽的にも2つでとるべきだろう。
本番後もそう思ったのだが,今,プレイバックを聴いてみると,つながり具合がやはり完全ではない。わずかなことなので,そう言っても「別に,いいんじゃない」という人が多いとは思うが。
 8分の6を6つでとる人と2つでとる人。いくらテレパシーを飛ばしても合うはずがない。

 それから十年後くらいであろうか,やはりオーケストラで,クラリネットの後輩と一緒に演奏をした。後輩といっても,高・大が同じだったというだけで,年はかなり離れている。

 団内コンサートで,メンデルスゾーンの二重奏をやった。クラリネット2本とピアノ。
練習時はそうでもなかったが,本番で驚いた。
冒頭は1番クラリネットがソロ,続いて2番クラリネットがソロ,それから二重奏となる。

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ここの入りでは,2番クラリネットのフェルマータのあと,一緒にメロディーに入るのだが,その入りのタイミングを出すのは1番クラリネット。
しかし,2番クラリネットのフェルマータが終わったあと間はあけたくない。
わずかにブレスの間だけ。
そのタイミングを出すのは1番クラリネットと書いたが,2番クラリネットがどこまで延ばすかを無視することはできない。
ここで,テレパシーを飛ばす。お互いに。
さらに,入ったあと。
a tempo と書かれているが,すぐにインテンポに戻るのではない。
ピアノからクレッシェンドもあり,実際には次の小節から インテンポになるのがよい。
したがって,少しゆっくり入る。
そのピアノの入りと,インテンポまでもっていくアゴーギク(速度の設定)とクレッシェンドの具合。
さらに,そのあと,同じパターンを繰り返すのだが,インテンポの中でもわずかにテンポがゆるむ。
ここで,中高生のアンサンブルの指導だったら,2番クラリネットのフェルマータの長さをどれだけ,たとえば2拍と八分音符の分だけとか決めるのかもしれない。
しかし,おとなはそんなことはしない。いや,しないのがいい。
その場での感覚だけ。

で,本番。
完全に感覚だけで2番クラリネットのフェルマータを聴き,次に入る。
それがぴったり。練習以上に。

本番後,彼女に聞いた。
「よくわかるねえ」
「はい,なんとなくわかります」

 オーケストラでもあった。
曲はドヴォルザークの交響曲第8番。
私が1番クラリネットで,彼女が2番クラリネット。
たとえば,第2楽章のクラリネットの Soli。

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インテンポの中での演奏だが,クレッシェンド・デクレッシェンドの具合が問題。2つのパートが同じバランスで進行したい。そしてインテンポとはいえ,正確に計時したら何ミリ秒かの変化がありそうだ。
ここも,二人の息はぴったり。
事前の約束なしで,その場でのオケ全体のバランスを考えて強弱をつける。
それをテレパシーで彼女に送るのである。
もしかすると,いや当然ながら彼女からも送られてくるのだろうが,無意識に受け取っている。

 ずっとさかのぼって,大学のオケで一緒だった人と,市民オケの人と5人で,ブラームスのクラリネット五重奏で遊んだときのこと。
第2楽章はクラリネットが細かい音の流れを歌いこむ。

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Piu lento のテンポは,1泊で決まるのだが,それがクラリネットに委ねられている。タイのレ(実音 h )のあとの6連符で決まるのだ。タイのあとで動き出した瞬間,弦のパートはテンポを察知する。後半,クラリネットは2拍の時間に一応入れるのだが,均一な音運びはしないし,ぴったり埋め込もうともしない。2拍分の中でルバートするからだ。具体的には,9連符のスケールを駆け上がったあと,32分休符を少し長めにとって,アフウタクトで次の小節に入る。したがって,弦は2拍を「3,4」とカウントすることはない。アフウタクトを聴いて次の小節に入る。クラリネットはこのアフウタクトで弦を裏切ってはいけない。まさに,テレパシーを飛ばすのだ。
 また,5小節目のpの入り。前のフレーズの終わりの音であるのと同時に次のフレーズの初めの音。5人がそれぞれのリズムで演奏し,わずかにデクレシェンド・アンド・ルバートで入る。4小節目の入りは2ndヴァイオリンとヴィオラが細かい音符を引いているのでインテンポ,4泊目の裏でルバートするのである。こういうところを,普通は「聴いて入る」というのだが,お互いに聴いていたのでは間に合わない。テレパシーを5人がお互いに飛ばしあうということなのだ。
 6小節目の末尾の3連符で7小節目に入るところも同様である。

 当時はあまり意識しなかったが,浅妻氏や吉田氏の話(書いたもの)で,それが腑に落ちた。クラリネット五重奏での「火の魂 飛び交うがごとく」である。
そして,テレパシーが通じる相手とそうでない相手がいることも。

 テレパシーが通じる相手との合奏ほど,音楽の楽しみを与えてくれるものはない。