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下鴨神社の謎

 京都賀茂御祖神社,通称下鴨神社。京都人でなくてもその名は知っている,屈指の「名所」である。
 一度は行ってみたいと思っていた下鴨神社に行ったのは,2013年のことだった。京都大学で行われた研究会の帰り,糺ノ森に入った。

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 有名な神社ということ以外に予備知識はほとんどなかった。
 参道をずっと歩いていくと,「下鴨神社の七不思議」という案内板があった。

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 カラスのナワテ。祭神賀茂建角身命はヤタカラス(太陽という意味です)だって? ヤタカラスといえば3本足のカラスで、神武を飛鳥へ導いたとされる鳥ではないか? それが祭神?たしかに不思議。
そのナワテを進む。
すると,そこに古代祭祀遺跡。

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祭神が天鳥舩に乗って降臨されたとの伝承。なるほどそういう場所であったか。
 ここまでは,「へえ,そういうところだったのか」くらいだったが,中門から言社に入って驚いた。
 十二支を祀る七つの社。これは,すべてオオクニヌシ(大国主)ではないか。

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「ね」は大国主となっているが,よく使われる別名は「オオナムチ(大己貴)」。シコオ(色男)はここでは志固男と表記されている。そして,何よりも「大物主」だ。大神神社の祭神である。そう,明日香で第一の神「大物主」と,出雲の神「大国主」は同一神とされているのだ。
 つまり,ここは出雲の神を祀る神社なのか。
 家に帰って調べてみたが,下鴨神社のWebページにはそのようなことは書かれていない。
 その後,下鴨神社は,奈良・葛城にある高鴨神社と関係があることがわかった。すると,葛城氏と関係があることになるが,それ以上は調べなかった。

 この,下鴨神社を訪れたときのことは,Web上の旅写真のなかに,「下鴨神社の謎」と題して掲載していた。あらためてそれを読んで,もう一度Web上を渉猟してみたら,次のブログが見つかった。

https://ameblo.jp/taishi6764/entry-12149312547.html

「下鴨神社と出雲族」と題した記事の中で,
「下鴨神社の拝殿の前に建つ七つの小祠「言社」と呼ばれ、これら祠に坐す神名はいずれも大国主の別名である。鴨氏は出雲系である。」
と書いてある。
さらに,「賀茂氏族」の記事で,賀茂氏のこと,祭神の賀茂建角身命(かもたけつぬのみこと)が書いてあり,八咫烏の子孫が葛野県主(かどのあがたぬし)であることなど,いろいろと詳しい。ここまで調べ上げるにはかなりの時間がかかったものと思われる。

 何のことかわからない人のために,また,このシリーズの方向性を説明するために,大国主と大物主について書いておこう。
 大国主は,出雲の神で,スサノオの子孫とされる。出雲神話の「国譲り」では,高天ヶ原に国(地上の国:葦原中国)を譲り(使者はタケミカヅチ),自身は出雲におおやしろ(出雲大社)を建てるという条件で,いわば引退するわけである。
 高天ヶ原は,それを受けて,天照大神の孫にあたるニニギを葦原中国に「降臨」させる。その曾孫が神武天皇であり,今度は神武天皇が「東征」によって,大和の地(奈良県)に入り,そこにやはり天から降臨したというニギハヤヒに代わってこの地を治めるようになった。
 これが「天孫降臨」から天皇家初代に続く物語である。
 ところで,大和の地にいる神は,大神神社に祀られている大物主なのである。これが,出雲のオオクニヌシと同一神だというのだから,話はやっかいだ。両方とも「国譲り」の話だと思えばそうなのかもしれない。

 この天孫降臨の話は,天武天皇・持統天皇が日本書紀を編纂させるにあたり,皇統一系(天皇の系統は1つ)であることを正当化するために創作したともいわれ,その背後には藤原不比等がいたといわれているのである。藤原家はその後何代にもわたり,天皇の側近,時には外戚として権力を握ることになる。
 さらに,その日本書紀にはさまざまな謎がある。多くの専門家が指摘していることだが,私のような素人が,原文ではなく現代語訳を読むだけでも奇妙に思うことがある。それが,私の古代史への興味の出発点であり,このシリーズの出発点でもある。