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りんどうにて (3)

『小学校,一年生のときは,毎朝,岬のお姉さんに連れられて行った。帰りは別々だったけどね。
 国語や算数の練習をプリントでやって,できた人は外へ出て遊んでた。だいたい岬と競争で,ぼくが先だったり,岬が先だったり。
 外へ出ると鉄棒があって,それで遊んでた。走るのは岬の方が速かったけど,鉄棒はぼくの方が得意。岬は前回りも怖くてできなかったけど,ぼくは逆上がりもできた。一年生で逆上がりができたのは数人だった。他のみんなが計算練習をやってる間に,岬の前回りを手伝ったっけ。岬は怖くて鉄棒を握りしめてるもんだからうまく回れなかったね。どうやって手伝ったかは忘れちゃったけど。
 岬より速く走れるようになったのは五年生だったかな。その頃になるとたいていは男子の方が速かったからね。
 三年生で別のクラスになったね。三年生になると,早くできた子が外で遊ぶようなことはなくなった。ぼくのクラスはそうだったけど,岬が外で遊んでるのを見たことがないから岬のクラスでもそうだったんだろうな。岬がクラスでどんなだったのか,ほとんど知らなかったな。絵が展示されるといつも岬の作品があって,金紙がついてたけどね。
 ぼくのクラスの山田先生はダジャレが好きだったなあ。さりげなくダジャレを言って,子どもたちが誰も気がつかないこともある。ぼくだけわかってニヤニヤしてると,先生もこっちをみてニヤニヤしている。時には,「石田君,いまのはどういうことかな」といわれて,僕が解説することもあった。すると教室中が爆笑さ。そのうちだんだんみんなもわかってきて,ダジャレを待つようになったな。
 でも,山田先生,1年だけで転勤しちゃった。あ,学校には5年間いたそうだけど,ぼくたちと一緒にいたのは1年。四年生の久山先生はつまらなかったな。つまらないといっては失礼かな。まじめだったんだ。でも,山田先生と比較しちゃうからかな。岬のクラスからときどき笑い声が聞こえるのがうらやましかった。』

 そうだ,三,四年と持ち上がりだった津川先生。ダジャレは言わないけれど,話し方が面白かった。国語の教科書を読むときは役者みたいだったし。落語みたいに声色を変えて。「白いぼうし」だったかな。津川先生が読むと,登場人物がどんな気持ちだったかがよく伝わってくるのだった。ときには子どもに「どんな気持ちかな」と聞いて,その答えによって読み方を変える。それが面白くてみんなでよく笑ったし,それで答えがあってるかどうかもわかる。そういえば,三年生のときは健ちゃんのクラスからもよく笑い声が聞こえたけど,四年生のときは打って変わって静かだったなあ。山田先生はダジャレが得意ってのも,先生方が言っているのが聞こえてきたっけ。こっちは津川先生が持ち上がりでずっと雰囲気は同じだった。

『五年生でまた同じクラスになったね。
1学期の終わり頃,転校生が来た。嶋田君。背が高くてスポーツマン。勉強もよくできたな。だけどそれを鼻にかけるようなことはなかったから,女子はもちろん,男子からも人気があった。
 夏に,虚空蔵山へキャンプに行ったね。テントを張って,川で飯盒炊飯。近くに牧場があって,毎朝搾りたての牛乳が届いた。牛乳の係を誰がやるか決めるときに,嶋田君がまず手を上げて,もうひとりって時に女子が何人が手を上げてジャンケンになった。岬が勝ったときほんとうにうれしそうだったね。わかってたよ。牛乳係がやりたかったんではなくて嶋田君と一緒にやりたかったんでしょ。だって,岬は牛乳はあまり好きじゃなかったものね。で,自分の分だけいつも少なくしてたし。嶋田君もそれを知ってたから何も言わなかった。』

 そうだ,嶋田君。書いてないけど,嶋田君が来たとき,私の席のとなりに座ったのを覚えている。1学期の終わり頃だったからほんの数日だったけど。なんだかとてもうれしかった。どんな子か興味があったし。
 確かに,嶋田君と同じ係になりたくて,牛乳係に手をあげたんだっけ。でも,六年生のときのこと,健ちゃんはどのくらい知ってたんだろう。

『六年生になって,嶋田君が学級委員長になったね。ぼくは学習係。副委員長が,野々宮君と澤田さんだった。岬は風紀委員だったね。六年生だけにある風紀委員。子どもたちの生活態度を注意したり,児童会で,学校をいかによくするかを考える係だった。委員長と副委員長の3人は本当に仲が良くて,クラスがよくまとまった。』

 そう,嶋田君と澤田さんが仲良くて悔しかった。家が同じ方向でよく一緒に帰ってた。朝もたいてい一緒に来るし。一度,嶋田君と一緒に宿題をやろうって誘って,図書室で一緒に宿題をしたことがあった。そのときは楽しかったんだけど,終わって帰ろうとしたら,校門のところに澤田さんがいる。体育館で遊んでた,って言ったけどほんとは待ってたんじゃないかな。3人で帰ったけど途中からは道が変わる。さよなら,って言って,ふたりが並んで帰っていくのを悔しい思いで見てたっけ。
 嶋田君は,卒業したら5駅向こうの,大学の附属中学に行ってしまった。澤田さんも。別にいいんだけど。

『修学旅行で東京に行ったね。東京タワーや上野動物園。班は作ったけど,行動はみんなでぞろぞろだったからあまり意味はなかったな。点呼と,下調べを一緒にするくらいの班だった。そういえば,あのとき岬と嶋田君は同じ班だったね。どうやって決めたんだっけ。くじ引きでもないけど。』

 そう,嶋田君と一緒の班だった。決め方は,班長をまず決めて,黒板に枠を作って名前を入れてくんだった。嶋田君は班長で,そこに3番目くらいに名前を入れた。先着順だけど,多い少ないが出たときは,子どもたちで相談するんだった。上手にできたから田宮先生からほめられた。澤田さんは,別の班で班長だったから一緒にはならなかった。それなのに,たいていは一緒にいるんだもの。班なんて点呼だけの班。

『上野動物園でマナーの悪い子がいて,風紀委員の岬が注意したんだけど,逆に食ってかかってきたっけ。ちょうどぼくが居合わせて,ぼくも注意したってことがあったなあ。そこに嶋田君も来たので,彼らはぶつぶついいながら向こうに行ったっけ。』

 そう,嶋田君が来てくれてよかったんだけど,今思うと,何かのときにちょっと助けてくれたのはいつも健ちゃんだった。五年生の牛乳係のことも知っていたんだったら,私が嶋田君を好きだってわかってて,でもいつも見ていてくれたのかな。幼なじみだから全然気がつかなかったんだ。

『写真の他に,卒業文集が出てきた。「ぼくの夢,私の夢」というのがあって,男子は野球の選手とかサッカーの選手ってのが結構あったけど,ぼくは「コンピュータでロボットを作る科学者」,岬は「おばさんの店でおいしいパンを焼く人」となってる。でも,本当は学校の先生だったよね。他の女子が美容師さんとか花屋さん,日本一の農家のお嫁さんなんて書いていたから,遠慮したんだろ。澤田さんはちゃんと「女のお医者さん」と書いてる。嶋田君は「そうり大臣か,だめでも村長」と書いてる。でもそれからどうしたのかなあ。』

 そうだ,親が学校の先生だし,津川先生を尊敬していて学校の先生になろうと思ってたんだ。でも,「親が先生だからな」と言われるのがいやで,おばさんちでパンを焼くって書いたんだ。
 嶋田君と澤田さん。中学校にいくときに別れてそれっきり。ふたりがどうなったかも知らない。そんなものかな,小学校の友達って。

 岬は手紙から目を離して窓の外を眺めた。でも見ているのは外の風景ではない。心に去来する小学校時代のことだ。手紙には書かれていない,いろいろなことが思い出される。二年生のとき,プールで溺れかけてびゃんびゃん泣いたら健一が助けて先生のところに連れていってくれたこと。五年生のとき,音楽のテストで歌を歌ったら,みんなが拍手してくれたこと。澤田さんの家で誕生会をやったこと。健一はいなくて,嶋田君は来ていて,みんなでプレゼント交換をしたんだけど,自分が持ってきたものがどうしても他の子のより見劣りがして肩身の狭い思いをしたこと。思い出される風景には健一がいたりいなかったり。健一はどうなんだろう。小学校時代の思い出に,いつも私がいたんだろうか。

手紙に目を戻す。ふたりとも中学生になっていた。


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