見出し画像

「マニュアル」についての諸相

「マニュアル」という言葉で,読者は何を連想するだろうか。

(1) 作業の手順書
(2) 接客のための決まりごと
(3) 取り扱い説明書

(1) では,「マニュアル通りにやりなさい」とよく言われるだろうし,(2) では,逆に「マニュアル通りではだめだ」と言ったりする。(3) では,「マニュアルがないからわからない」ということがよくある。
(1) と(2) は似たようなものである。(2) は接客の手順書なのだから。しかし,手順書は接客とは限らないので分けておいた。

ロバート・ツルッパゲとの対話(ワタナベアニ著:センジュ出版)に,面白い話が載っている。

 俺はみそ汁が苦手です。外食で出されたモノを残すのは勿体なくてイヤなので,いつも注文するときには「申しわけありませんが,お味噌汁はいりません」と高らかに宣言するのです。〜 中略 〜 
 あるとき,とんかつ屋さんに行くと,「はい,お味噌汁なしでお持ちしますね。かしこまりました」とハキハキ答えてくれた女性店員(ヤマダ・仮名)がいたので俺は期待しました。ヤマダなので大丈夫だろう。やってくれるだろう,と。料理が届くと,味噌汁がついていないので,「よっしゃ,よくやった」と心の中でホメようとした,その瞬間です。ヤマダは「ご飯と味噌汁のおかわりは無料になっておりますので,お申し付けください」と言ったのです。
              ーサバティーニとスターバックス

 ありそうなことだ。スーパーで,袋を持っているのを目にしながら「レジ袋はごいりようですか」ときく店員とか。どうやら,「マニュアル通りにやりなさい」がかなりたたき込まれていて,瞬時の判断ができないようである。これは「マニュアル」がよいかどうか(よく書かれているかどうか)の問題ではなく,運用の問題だろう。

 (1) の「作業の手順書」に戻ろう。
 何かの手順を決めたときに,「マニュアルにしておこう」ということがよくある。たとえば,町内での不燃物回収を例にとると(町によって異なるだろうが)

1.業者が回収のためのコンテナを持ってくる。
 これとは別に,仕分け用に作った一斗缶があるので,それを出す。
2.立て札を立てる。
3.スプレー缶は穴があいていることを確かめ,空いていなければあける。

といったようなことが,業者による回収後まで何項目かあり,初めて担当する人のために文書にするのである。これを「マニュアル化」というだろう。
このような場合は,いかに要領よく,初めての人にもわかるように書かれているかが問題だが,まあ,たいしてトラブルが起きることもないだろう。使う人も町内の人と限られている。

 これに対して,(3) 取り扱い説明書 は,少し趣が異なる。取り扱い説明書といっても,家電製品の取り扱い説明書(通称トリセツ)は,あまりマニュアルとは言わないだろう。最近は家電製品のトリセツは簡素化されていて,あまり読まなくても使えることが多い。使うとしたら,エアコンの掃除の手順くらいだろうか。これも「マニュアルはどこ」とは言わず,「トリセツはどこ」というだろう。
 一方,パソコンなど,OA機器関係では,何も説明がないと使い方がわからず,この場合は「マニュアル」という方が多い。サーバの使い方や表計算ソフトウェアの使い方など,マニュアルがないとわからない。これらについて解説した本が「マニュアル本」として売られているのはご承知の通りである。

 もう一つ,レファレンスマニュアルというものがある。プログラミング言語の使用説明書あるいは仕様書といってもよい。記法上のルール,組み込み関数の使い方などが書いてあり,かなりのページ数になる。かなりの量の索引もついている。これが PDF化されていると,索引がなくても検索できるので便利だ。

 プログラミング言語では,記法上のルールは必須で,言語により少しずつ異なるので最初に確認することになる。組み込み関数については必要になったときに参照(レファレンス)すればよい。「必要になったときに」でよいのだが,ある程度は目を通してどんな関数があるかを知っておくとよい。これは目次でも索引でも一覧表でもよい。それらのないマニュアルはきわめて使いにくい。
 PDFになっていると,ある項目から関連項目へのリンクが張れるので便利だ。とはいえ,書く立場でいうと,リンクを張るのはそう簡単ではない。すべての項目が頭に入っていなければならないからだ。それだけでなく,実際に使い込んで,それぞれの項目の関連性を知っておく必要がある。本来,これは開発者が行えばいいのだが,開発者から仕様をきいてユーザー(マニュアル担当者)が行う,という方法もあり,こちらのほうがユーザーにとって使いやすいマニュアルになるだろう。

 しかし,そこまであれこれ工夫してマニュアルを作っても,それでユーザーが「読む」かどうかは別問題である。

 筆者は高校で「情報」の授業を担当し,簡単なプログラミングも教えているが,生徒が「マニュアルを参照しない」という状況にたびたび遭遇している。テキストでは,使用する組み込み関数についてはその都度解説しているが,基本的な書式については,はじめにまとめてやっている。その部分が「マニュアル」になるわけである。「これはどう書くのだったかな」となったら,その部分を参照することになるのだが,それをしないのである。

 そういるスキルができていないといってもいいだろう。今,テキストでやっていることにだけ目が行って,前にやったところに戻る,というスキルがきちんと育っていないのだ。数学や理科の学習ではそれ(前に戻って復習する)が必須なのだが,そういうスキルが育っていないことが実習では露呈する。
 よくあるトラブルについては「トラブルシューティング」として,はじめにまとめたものを実際にやってみているのだが,いつになっても「小文字が出ません」(大文字モード)とか「数字になってしまいます」(Numモード)というヘルプが出るのだ。トラブルシューティングを参照する,ということに思い至らないのである。

 プログラミング言語の話に戻すと,たとえばある処理を繰り返すための書式がある。はじめに実例つきでこれをやっているのだが,課題で繰り返しが必要になったときに,さっぱり手が出ない生徒がいる。「マニュアルを参照」しないのである。
 プログラミングに限らず,「わからなかったら前にやったことや,それについての説明を参照する」ということが当たり前にできるようにすることは,卒業後の生活にあたっても大切だろう。
 大切だが,それをどうやって身に付けさせるかはそう簡単ではない。生徒から質問が出たときに「○○に書いてあるよ(参照しなさい)」といえばよいのだが,そうすると「教えてくれない」と思われて「次には聞かない」となるのがオチである。かといって,その場で説明してしまうと,自分で「参照」するというスキルが身につかないまま終わってしまう。実に悩ましいところである。