草薙剣の行方:熱田神宮と氷上姉子神社
八岐大蛇の尾から出てきた草薙剣は,天照大神に献上され,その後伊勢神宮の倭比売からヤマトタケルの手に渡って,最後は熱田神宮に祀られたことになっている。
草薙剣は3種の神器の一つ。源平の合戦で壇ノ浦に沈んだのは形代(かたしろ:レプリカ)で,現在宮中にあるのも形代とされる。
熱田神宮の草薙剣は誰も見たことがなく,当然宝物館に展示されたりはしていないのだが,ともかく熱田神宮には行ってみたい。
2013年8月。JR熱田駅。駅から南下して,東門を過ぎて南門(正門)にまわる。
時間は10時10分。ティータイムだ。門前に喫茶店 サン があった。
店内にヤマトタケルの絵が飾ってある。聞くと,神宮のカレンダーを切り抜いたという。
この店、7:30~10:00がモーニングサービス。10時を過ぎていたけど、ゆでたまごとすいかのサービス。アメリカンコーヒー、良好。
南門から入ってすぐ左に鳥居があって、その奥が上知我麻神社。上知我麻神社の左が事代主社,右が大国主社になっている。上知我麻神社の祭神は乎止與命(おとよのみこと)で宮簀媛の父。その両脇を出雲の神が護っているというのが不思議な構図だ。
上知我麻神社の左が事代主社
右が大国主社
さらに右手に別宮八剣宮。屋根に注目。伊勢神宮と同じ、神明造だ。熱田神宮はもとは尾張造というものだったが、明治26年に、ときの宮司が政府に建言して変更したのだという。中央が白く見えるが布がかかっていて中が見えない。
脇に回って中を見てみると、こうなっていた。
両脇に木が生い茂る参道は明治神宮とよく似たイメージだ。歩いているだけで心が安らぐ。
参道の脇にいくつもの社がある。
右手に入って、孫若御子神社(日割御子神社には行き損なった)
南新宮社。朱塗りの社はここだけ。
参道を横切ると不思議なものが。埴輪。なんでこんなものが? 境内案内図には載っていない。
二十五丁橋。名古屋最古の石橋。
南新池ときよめ茶屋
西門
客殿
大楠。弘法大師手植えで樹齢は1000年を超えるとか。右上に社があったのだろう。屋根だけ残っている。
楠の根元に不思議なものを発見。たまごが供えられているのだ。なぜたまご?
大神神社の神杉にはたまごが供えられている。蛇神で、たまごを好むのだそうだが、ここも?
あとでネットで調べたら,実際に蛇が住み着いているようだ。
西八百萬神社。参道をはさんで反対側に東八百萬神社があるのだが、境内案内図にはなぜか載っていない。小さい社だからだろうか。
ちょっと南に戻って、同じような社がならぶ。境内案内図では「六末社」となっているが、ひとつひとつにそれぞれ名前がついている。
信長が桶狭間の戦いに勝って奉納したという信長塀
神楽殿
実がならないという、ならずの梅
本宮。拝殿・本殿とはいわず,本宮というのだ。(タイトル写真)
神楽殿脇からこころの小径というのがあり,清水社(湧水)を経て一之御前神社に至る。一之御前神社は天照大神の荒魂が祀られた神域で,こころの小径は写真撮影禁止になっている。入口から中だけ。このつきあたりが、一之御前神社。天照大神の荒魂が祀られた神域である。
少し南に戻ると,きよめ茶屋東側に「宮きしめん」があり,きしめんが食べられる。昼食にちょうどよい。期間限定の旬菜きしめんを注文。山芋に、のり、オクラ、温泉卵など。よく冷えていておいしかった。つゆまで完食。
じばらく歩いて(本当はプリントアウトした地図を忘れてさまよったのだが)高座結御子神社へ
社殿。熱田神宮の摂社だが、訪れる人がどのくらいいるのか。静かなものだった。
熱田に詣ったからには,氷上姉子神社にも行ってみたい。熱田神宮摂社で宮簀媛を祀る神社だ。後日,あらためて出直した。
9月14日。JR大高駅で降りて歩く。大高は,日本武尊が草薙剣を置いていった場所である。
駅近くに八幡社があった。
祭神は応神天皇と神功皇后、玉依姫。立派な造りの八幡様だが,こんな立て札があった。
昔はこどもは神社の境内で遊んだものだが。境内でケガをしても八幡様のせいにする人など誰もいなかったのに。
しばらく行くと大高城跡。戦国時代,桶狭間の合戦があった頃の城だ。そのあとは廃城になっている。
ここにも,城山八幡宮があった。祭神も同じ。
住宅街を抜けると石段があった。
社殿。仲哀天皇4年に社殿を設けたのを,持統天皇4年にこの地に移したとある。
参拝している人は私以外にいなかった。草薙剣を置いていった地。非常に興味深いと思うのだが。