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変化し、成長してきたシリーズの到達点 / 「トイ・ストーリー4」
はてなブログからの移行記事です。
素晴らしいエンディングで締められた「3」からの、まさかの続編の登場。子供の成長のように時代と共に変化してきたおもちゃたちの“生き様”を描くシリーズ第4作。
監督:ジョシュ・クーリー
声のキャスト:トム・ハンクス、ティム・アレン、アニー・ポッツ
あらすじ:ウッディたちの新しい持ち主・ボニーの今一番のお気に入り、フォーキー。フォークやモールでできたフォーキーは自分を「ゴミ」だと認識し、ゴミ箱に捨てられようとボニーのもとを逃げ出してしまう。フォーキーを連れ戻しに行ったウッディは、その帰り道に通りがかったアンティークショップでかつての仲間ボー・ピープのランプを発見する。一方、なかなか戻ってこないウッディとフォーキーを心配したバズたちも2人の捜索に乗り出すが……。
※ネタバレあります
ちょっと白状すると、「1」「2」はいつぞやテレビで放送していた時に見たきりで内容を鮮明には憶えていません。世間では「シリーズへの思い入れによって受け取り方が違う」と言われていたりしますが、そんな状態でも「3」のオープニング&エンディングには、嗚咽をもらすほどの大号泣。
そして迎えた「4」は…やっぱり嗚咽をもらすほどの大号泣でした。
そもそも「3」が私に刺さったポイントというのは、「2」までの持ち主であったアンディが成長しおもちゃを手放すタイミングを実際の年月の経過に合わせて狙い(=「2」までを見ていた子供たちがアンディと同様に大人になる頃を見計らって制作し)、ボニーへの継承というイベントを通して「おもちゃの役割とは何なのか?」ということをより一般化して刻み付けた脚本の素晴らしさでした。
アンディの成長と同様にウッディが、そして作品自体が大人になっていく変化と成長の過程を目撃した気がして、あまりに想像の先を行く成熟した制作陣の考えと描き方に心を揺さぶられたわけです。
そこにまさかの続編登場…!
シリーズへの思い入れという意味ではそこまでではなかったものの、正直あの完璧すぎる「3」の後に続編を敢えて作る必要性を、鑑賞前まで見出しきれずにいました。
……が、ありましたよ「4」を作らなくてはならない意味が。
この記事では、完全に「賛成派」としての感想を書いていきます。
作品自体が変化し成長していくシリーズ
そもそも私は、「トイ・ストーリー」をそこまで“おもちゃたちの話”として見ていません。
ピクサー作品が描くのはいつも、それがモンスターであれおもちゃであれ、私たち人間に置き換えても通用する物語ばかり。
近年の作品の中で最も好きなのは「モンスターズ・ユニバーシティ」なんですが、この作品は「やりたいことでは輝けなくても、その傍にあなたの輝ける場所があるかもしれない」という、残酷さと希望を持ち合わせた人生を描き出します。
追いかけてきた夢の実現とはすこし角度の異なる所で芽生える幸せな人生の可能性、それを描いて見せた、まさに私たち悩める現代人への賛歌のような物語です。
では「トイ・ストーリー」はどうかというと、それは「自身の役割とは何なのか?」を問い続ける物語ではないでしょうか?
「1」で、自分がおもちゃだという現実を叩きつけられながらも、それを受け入れ、全うしようとしたバズ。
「2」で、展示品となって未来永劫愛されるのか、それともおもちゃとして子供を楽しませるのかという選択を迫られ、迷いながらも後者を選択したウッディ。
「3」で、アンディの元を去っても、別の子供にとってのおもちゃとしての役割は続いていくんだと受け入れ、一歩を踏み出したウッディ、バズ、そして仲間たち。
そうやって時を経て、時代も持ち主も変わる中で、ただただ「おもちゃの役割と誇りはこうだ!」と同じ地点に居続けるのではなく、少しづつ移りかわり、大きな視点で考え、変化し、成長してきたシリーズ。
よくよく考えると、「4」が描いたメッセージは「3」のそれをもう一歩推し進めた、完全に地続きの物語のように思えます。
ウッディは「おもちゃとしての役割・誇り」を捨てたのか?
鑑賞済みの方々の間でちょっとした論争になっているこの視点。
これまで「おもちゃとしての役割・誇り」として、どんなときも子供のそばに寄り添い、その子が嬉しい時は一緒に喜び、悲しい時は慰めてあげるといったことを仲間たちに説き続けてきたウッディがボーと共に旅立つという結末は、確かにそうした役割や誇りの放棄のように見えるかもしれません。
だけど、私はそうは思いませんでした。
「3」でおもちゃという拠り所を卒業して大人になったアンディから、ボニーという今おもちゃの存在を必要としている子供のもとへと移っていった「変化」と同様、ボニーの新しいお気に入りであるフォーキーにおもちゃとしての誇りを受け継ぎ、おもちゃとして子供に愛され役に立ちたいと願うギャビー・ギャビーの背中を押したウッディは、特定の子供に所有されずもっと広い世界に飛び出していきます。
でも、移動遊園地のテキヤで子供たちがおもちゃを手に入れられるようにサポートするその姿からは、「多くの子供たちと、最愛の存在になるであろうおもちゃとの出会いを作る」ということへ自身の役割を変化させていったように感じました。
「旅に出る」ということが単なる自由の獲得という意味ではなく、そうした広い世界の中でなら、自身の誇りや信念を「1対1」ではなく「n対n」という形に置き換えて貢献できることに気づいての行動なのではないかなと。
そのウッディの選択に、私は涙を禁じえませんでした。
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メンターとメンティとしてのウッディとフォーキー
自身をゴミだと信じて譲らず、ちょっと目を離すとゴミ箱にダイブしてしまう先割れフォークで出来た新キャラ・フォーキー。この、人生のフェーズ感の異なるキャラクターとの出会いは、既に「おもちゃとしての役割・誇り」を持っていたウッディにとって非常に大きな出来事だったはず。
大きくなってウッディへの興味がなくなり、フォーキーを最愛の存在とするボニー。その事実に傷つきながらも、ウッディはボニーを想う心からフォーキーにおもちゃとしての姿を説き、誇りを持たせることに成功します。
この時のウッディには、「自分が輝くことだけが幸せではない」という、自分ひとりの幸せより一段大きな「全ての子供とおもちゃの幸せ」という概念が頭をよぎったのではないでしょうか?そして、それってウッディにとっての成長ではないでしょうか?
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最高の悪役でありヒロイン=ギャビー・ギャビー
そんなウッディの元に現れるアンティーク人形のギャビー・ギャビー。個人的には、彼女の苦悩にぼろぼろ泣かされました。
ただただショップオーナーの孫娘ハーモニーの傍に居たくて、初期不良品として手に入れられなかった「声(再生機)」を探し求めるギャビー。ガラス棚の中で、その日を待ちわびながらお茶会の練習をする姿を、フォーキーを通して見せる演出はさすがの一言。
ウッディの努力はもちろん、そうしたギャビーのピュアな想いがフォーキーにも伝播していく様を通して、ウッディ個人が最終的にもっと大局的な部分に乗り出していく過程が個人的にはとても良かったと思っています。
結局再生機を手にしたものの、ハーモニーに気に入ってもらえずに失意に陥るギャビーでしたが、ウッディらのサポートを受けて、別の迷子の子供を救うことに成功します。
ここを、「結局初期不良品のままではだめで、正常になったから成功したようにみえる」とおっしゃる意見も見かけましたが、どちらかというと「もともと持っていた「こどもの傍にいたい」というピュアな願いを実現するために、仲間のサポートのもと、一歩踏み出す勇気をふるった」ことが彼女の成功の真理だと思います。
そうした思いがけない出会いの中にも子供とおもちゃの幸せな巡り合わせがある、ということもまた、ウッディの心に刻まれたのではないでしょうか?
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現代的なヒーロー・ボー
「4」で何よりも素晴らしかったのがボーの存在、そして描写!現代的な感覚を持ち、ウッディの先を行く開拓者としての彼女の格好よさ。陶器の肌の質感の豊かさ(とアップ描写の多さ)に、制作陣の執念を感じます。
もともとはバルーンスカートだったものを2WAYで利用したマントの見せ方も素晴らしい。
あの頃と地続きで、彼女は元からヒーローだった。そんな彼女がけん引していく、持ち主を持たないおもちゃたちの世界の魅力。さまざまな価値観に触れ、ウッディの背中を押す存在として最高すぎるキャラクターでした。
こうした大きな物語を描きながら、「お父さんは刑務所」とか、ハイタッチしてもらえないコンバットカールとか、飛べないバイク乗り・デューク・カブーンの最初で最後の跳躍とか、挟み込んでくるネタのキレの良さも相変わらず圧巻。
バズの出番が少なかったり、おもちゃたちが動きすぎだったり(さすがに気づくでしょ)、そうした部分での不満がないわけではありませんが、個人的にはさすがピクサーという信頼を深めるシリーズ最終作(?)でした。
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