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【読書レビュー】朝井リョウ『何者』

学生時代、だいたい大学3年生になると、多くの友人が就活をし始めた。一口に就活と言ってもその有様は人それぞれで、有名企業のインターンに参加する者もいれば、学生団体が主催する相談窓口で自分の適性を見極めている者もいた。一方で、つい最近まで一緒に朝まで浴びるように酒を飲む仲だった友人たちが、急に黒いスーツに身を包んで外向きの顔をし始めたように思え、正直そんな友人たちが私には気味が悪く思えて仕方なかった。そのとき就活とは、社会に出るためには社会が求める人物像に合わせて(程度の差はあれど)自分自身を変形させていく営みなのだと悟ったのだった。

「就活=アイデンティティの喪失」という構図を見出した当時の私は、頑なに就活を進める友人たちと距離を取った。決して自分が彼らと同化してしまわないように注意した。その頃の自分はというと、1年次から教職免許の取得のための単位は取っていたので、4年次に教員採用試験を受けた。面接試験の練習などいくつか"就活らしいこと"は経験したが、正直なところ試験勉強には全く身が入らず、かなり生半可な気持ちで採用試験に挑んだことを覚えている。取りあえず、一般企業を受ける人ほどの就活というのはしっかりと経験しないまま今に至るのだ。それは私自身が望んだ選択なので、後悔とかそういう感情は特に抱いていない。

前置きが長くなった。朝井リョウ『何者』は、就活という営みの中で個々それぞれの課題や悩みを抱えた若者たちの有様を描いた小説である。すぐに内定を獲得する者もいれば、なかなか結果が出ず自己嫌悪に陥る者もいる。内定を取った仲間を裏で蔑むことを通して、ギリギリの精神状態で自己を保つ者もいる。一方では就活に精を出す同世代の若者を見下すことで、自尊心を保とうとする者もいる。ちなみに小説の主人公は、そんな人間関係を第三者として傍観し続ける存在として描かれている。小説全体としては、就活の営みの中で見え隠れする人間の暗い部分を、SNS等の現代の語彙を使いながら生々しく描いた秀作と言えるだろう。

この本は最終的に「就活=アイデンティティの喪失」という構図に終始するのではなく、主人公が就活仲間と関わりあう中で、素の自分を、就活という場面でも表現しようと一歩踏み出すところまで描かれている(私はそう解釈した)。実際に就活に真面目に関わったことのない私にとって、それが現実の就活で通用するのかはわからないが、それまで他人の頑張りを素直に認めることができなかった主人公が、他人ではなく自分自身に視点を向ける姿には、なかなか心打たれるところがあった。

この小説を読んで快い読了感が得られたのは事実だが、私が抱いていた就活に対する嫌悪感というものはなくなったわけではない。現実は小説ほど甘くなく、ありのままの自分であり続けた結果、就活に成功する可能性は非常に低いと思っている。(おそらく)実際に就活を経験した読者の皆様は、この本を読み終えたときにどんな感想を持つのだろうか。

おわり

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