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[吹奏楽部の思い出]突然顧問がいなくなったので、歌って野球応援をした話

私は中学入学を機に吹奏楽の世界に足を踏み入れ、トランペットを吹き始めた。いま社会人になっても様々な楽団やイベントを見つけては演奏活動を続けているから、いま私の余暇を支えている吹奏楽に中学で出会えたことをとても幸運に思う。

これまで多くの演奏機会を経験してきたのだが、思い出すのは苦しかった本番ばかりだ。横殴りの吹雪の中で演奏したこともあれば、本番で楽譜を開いたら全く違う楽譜で絶望した本番もあった。苦しかったからと言って全てが辛い記憶というわけではなく、今となってはそれらも良い思い出として心の中に残っている。

ただ、題名にもある通り、中学2年の夏に顧問不在の中で歌って野球応援をした経験は、今でも鮮明に覚えている。

中学2年の夏、この年の吹奏楽コンクールは県大会で銀賞。ずっと部が目標としていた支部大会には進めなかった。最後の大会で結果を出せなかった先輩たちは涙を流し、大会まで必死についていった我々2年生にも一抹の無念が残っていた。

当時、合奏の指揮をしていた顧問のK先生は、大会まで毎日長時間にわたって私たちの指導にあたり、一方では吹奏楽連盟の事務局の仕事をこなし、また一方では他の楽団で楽器を演奏し、またまた一方では(超多忙な)中学校の先生としての仕事をこなしていたのだった。いま自分が教員となってわかるのだが、明らかにK先生は働き過ぎだった。

吹奏楽コンクールが終わった後、K先生は部活の練習に顔を出さなくなった。K先生に絶対の信頼を置いていた生徒たちには「なぜ?」という当然の疑問が生まれたが、いつか先生が返ってくると信じて練習に励んだのだった。

だが、一向にK先生は現れなかった。数日後、K先生は学校を辞めた。理由は生徒に明かされなかったが、恐らく過労で体調を崩してしまったのだろう。全校生徒が体育館に集まってその知らせを聞いたのだが、吹奏楽部の生徒たちは周囲に友だちがいるにもかかわらず、やり場のない感情の果てに泣いた。

だがK先生がいなくなっても吹奏楽部の本番は続く。次に控えるのは地区の新人戦の野球応援である。運動部も2年生が中心の大会になるので、足並みをそろえて吹奏楽部も1,2年で野球応援に臨むのが例年の流れだった。本来ならばK先生と一緒に、というところだが、K先生はもういない。合奏練習はしばらく行われていなかったので、応援といえど、とても人前で曲を披露するレベルになかったのだ。

では何もしなくていいのか?「指揮の先生がいなくても、自分たちでできることをしよう」と当時の部長が声を上げ、無鉄砲な私は思い付きでこう言った。「じゃあ野球応援の曲をみんなで歌って応援しよう」

想像できるだろうか。野球応援でよく演奏される「コンバットマーチ」「サウスポー」「さくらんぼ」等を、楽器を使わずに「たたたたったた!!たたたたったた!!たたたたったったったたーたーたー!!(コンバットマーチ)」という具合で声で演奏したのだ。一応音程は取った気がするが、そんなことはお構いなしでとにかく声を張り上げて演奏した。当の応援されている野球部も、最初は当惑の表情をしていた。周囲で観戦している一般の方や学校の友だちも、阿保な真似をしている私たちを見て笑ったりしていた。だがそんなことは私たちには関係ない。かっこ悪くても、とにかく自分たちにできることをしたい。それがK先生のためでもあり、自分たちのためでもあったのだ。常に必死で声を上げ、声が枯れても歌で応援し続けた。その時の形容しがたい一体感が、何とも心地よかった。

これからも私は楽器のスキルを磨き、同時に様々な知識を蓄えることで、よりハイレベルな本番を経験していくだろう。ただ、あの中学2年の夏を超える一体感は、今後どんなバンドやオーケストラでも一切味わえないのではないと思っている。

おわり

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