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「パシフィック温泉」リリースノート

https://local-visions.bandcamp.com/album/--29

2023年11月26日リリース

soundcloud.com/waiwaimusicresort
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twitter.com/yymusicresort

wai wai music resort is brought to you by
lisa (vocal) & every_de (chorus, guitar, keyboards, percussion, programming)

Written, recorded and mixed by every_de.
Pacific Spa is inspired by Gengahashi Spa (Hayashi-ji, Ikuno, Osaka, 1937-2020).

Sleeve photo by La_reprise at Senko-yu (Nagata, Kobe) taken in 2020.

2023 wai wai music resort
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銭湯というものが誰しも生活の一部であった時代と異なり、家庭に当たり前に内風呂がある世界に育った僕たちにとって、銭湯ほどエキゾチックなものはない。単に汗を流すという目的を超えてわざわざ入浴しに出かける行為には、ここではないどこかの非日常を求めている感覚がある*1。身体の洗浄という最も基本的な入浴行為を満足できる施設としてその商業上の理由で差別化を図るために、多くの銭湯ではさまざまな施しがされたのだと推察できるが、計らずもその創意工夫すら今そのエキゾチズムを強調する要素となっている。外国風の石像。タイルの装飾。熱帯魚の泳ぐ水槽。松の木。流れる滝。香りや色付きの湯 *2。こういったヴィジュアル面での色付けの一方で、トレーニングマシンなど健康を志向する銭湯や、逆に反健康を掲げて酒を飲ませる銭湯もある。なぜ銭湯に行くのか。この問いに浴場面積の豊かさを唱える人がいるが、関西の銭湯の浴槽は比較的狭い傾向があるのでそれは出任せだろうと思っている。皆何かしらの入浴体験を求めて銭湯に行っているのだ。これぞまさに体験の時代、究極のレジャーと言えるだろう。

子供の頃に祖母と出かける銭湯。暖簾をくぐると独特な塩素の匂い。水の音と、洗面器や椅子の太鼓のような音。そして湯船の湯気の向こうには、あるいは湯船の底にある循環排水口の向こうには、別の世界や海が広がっているのではないか。このお湯はどこに続いているのだろう。それは恐怖心さえも伴っていた。湯船から突然サメが出てきてどこかへ連れ去られてしまうのではないか。目を閉じてお湯にプカプカ浮かんでいたらいつの間にか別の国にいるのではないか。そんなことばかり考えていたと記憶している。大人になった今でも排水口の近くはなんとなく避けて入ってしまうことがある。

2020年、この発想を基にして銭湯を題材にした曲を作りたいと考えた。当時キューバ音楽をよく聴いていて、どうもなぜかお風呂を想起させる楽曲が多いように感じていた。思えば銭湯やお風呂をテーマにしたレゲエはなぜかありがちな気がするが、銭湯をテーマにしたカリプソは自分の知る限りだが聴いたことがない。これが構想のスタートだった *3。兎に角曲を書いてはみたものの、納得のいくものができない。そこで自分の中でのイメージが足りないのだと考え、アートワークのジャケットを同時進行で決めてしまうことにした。La_Repriseさんにお願いし、インディーっぽい写真にしたいという希望を伝えていくつかの銭湯の案を出し、神戸長田の扇港湯で撮影した。その甲斐あって少し楽曲のイメージが膨らんできたので、作りかけていたものを一旦リセットして再度曲を書き始めた。2月末にはYu-Koh β版の物販ブースで捨てアカさんにこの楽曲の構想を話してジャケ写を見せた。Local Visionsのリリースとしてアートワークが実写なのはかなり稀だが、それも斬新で面白いかもしれないと思った。しかし、そこからすぐコロナで時代そのものが低迷し、自身の精神状態や制作意欲も低迷した。コロナ禍の音楽制作状況がどうであったかについては「Misasagi」のリリースノートでも書いたのでそちらも読んでいただきたいと思う。

2020年にtiny popのコンピ収録という形でリリースした「Blue Fish」という曲はブラジル北東部の音楽性を意識した作品であり音楽的な航路として北上しているという伏線、そしてグッズでサウナタオルを販売したのはさらに銭湯への伏線となっていた。しかし制作がうまく進まなかったため、期間が空いてしまい、これらの伏線がうまく機能しなかったのは言うまでもない。その後2021年に牛コンピに収録された「霧の中のシルエット」と、2022年のevery_de & mori_de_kurasu「Misasagi」はまさに、実態の掴めない音楽的なアウトプットを形にしていくものだった。2022年後半にはpool$ide & every_de「Europa」という曲を作ったが、後から分析してみると少しリズム的なものに音楽的な健康状態が戻ってきたのだと思う。

2023年、帰省していた妹と飲んで激励され、ワイワイの再始動に着手し始めた。そこでまず何よりも中断していたこのリリースをきちんと果たすべきだと考えた。途中まで作っていた曲も時間が経ってしまいやはり個人的には満足できないものになっていたため、また一から作り直し始めた。

さて、こちら「パシフィック温泉 *4」はwai wai music resort名義としては2019年の「WWMR 1」以来の正式なリリースになる。これはコンピレーションアルバムへの参加が多かったためだが、なんだか不思議な感じはする。BPMこそスローだが、ワイワイの曲としては比較的明るく、希望に満ちた曲である。長い閉塞的な時代を超えてたどり着いた結論は、僕にとって音楽はここではないどこかの非日常を求める旅であり、日常との連続性は全く持って必要ないということだ。世界の肌触りは最悪でどうしようもないし、とにかく居心地は悪い。だからこそ音楽に浸って非日常に思いを馳せることだけが生きる上での救いになっていたのではないか、それは日常がどうであれ不変であるということに改めて強く気付かされたのである。

子供の頃、祖母と一緒に行った銭湯で感じたことは決して間違いなどではない。このお湯の向こうにはきっと太平洋が広がっている。そう信じて遥か彼方の夢の街を目指して泳ぎたい、と思うのである。

最後になるが、リリースまで時間がかかりご迷惑をおかけしてしまったがジャケ写を撮ってくださったLa_Repriseさん、リリースに尽力していただけたLocal Visionsの捨てアカさんにこの場を借りて心の底から感謝を申し上げたい。またこの曲を作っている間、関西でも数々の銭湯が閉店してしまった。非常に残念ではあるが、それらのお風呂屋さんの思い出もこの曲に捧げたい。特に2020年に閉店してしまった生野の源ヶ橋温泉 *5 に受けたインスパイアが特に大きかったことをここに記しておく。

2023.11.26
エブリデ


*1 実際的に多くの人が経験しているかしていないか、嘘か誠かは別にして、いわゆる「ととのい」状態に憧れてサウナブームの資本に飲まれていく若者たちは幸か不幸かその良い例である。個人的な趣向としてはやはりカルチャーに資本が入り込んでくると途端に熱や興味を失ってしまうように思う。そういう意味で個人的に大阪での入浴活動が最高に面白かったのは、道頓堀のニュージャパンがつぶれる2019年までだったのかもしれない。

*2 こうした多くの内装およびサービスの変化は家庭に内風呂が増加した高度経済成長期以降のことであると考えられるが、終戦直後にはカップルが愛を育む場所がないからと連れ込み宿や同伴ホテルが日に日に増え、あくまで「家族風呂」というサービス性から、ネオン風呂やジャングル風呂など、銭湯におけるそれと同様の差別化がされたことも散見される。そしてそれらの象徴としてかつて卑猥なイメージを想起させた温泉マークも今となっては健康と憧憬の記号となっている。

昭和28年(1954年)ごろの電話帳に掲載されている三笠ホテル(現在も西心斎橋2丁目にある大阪帝国ホテルの前身のホテルで、阪本製薬の親族が経営)の広告。

*3 自分の中ではvaporwaveを如何に新解釈するかというところも制作上の副題になっているように思う。その視点でいえば、銭湯は蒸気という意味でも空間的にもヴェイパーである。大学生の頃にvaporwaveと出会って衝撃を受け自分も作り手としてこの世界に入りたいと思ったが、結局ポップスを作ることからは逸脱したくはなく、ポスト-vaporwaveのレーベルであるLocal Visionsと巡り合わせが起こったのはまさに必然の結果と言うべきだろうと思っている。

*4 関西では銭湯の屋号として「湯」ではなく「温泉」が多く使用されている。都市部に出てきて郷里と同じ温泉を掘り当てて成功した、という意味合いが強いらしいがその理由すらなんともエキゾチックではないだろうか。統計的にみて「湯」が屋号の接尾辞に付く銭湯は比較的新しい。「湯処あべの橋」も「阿部野橋温泉」の屋号を守ってほしかった、と思う。

旭町のあべの銀座にあった時の阿倍野橋温泉、1999年ごろ

*5 建物は今も残りたしか国の重要文化財に指定されているが、老朽化がひどくいつ取り壊されるかは時間の問題であるそうだ。近くの栄通商店街には曽祖父が戦前に堺から出てきて大阪市内に初めて構えた店舗があり、なんとも縁を感じる。

1950年代ごろの生野区林寺新家町。曽祖父の店のあった商店街のすぐ近くに源ヶ橋温泉がある。

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