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ジェーン・スーさん・伊藤亜和さんに聞く「家族について書くということ」#創作大賞2024

エッセイストとして多数の作品を発表しているジェーン・スーさん。ラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』のパーソナリティを務めるほか、作詞家としても活躍しています。

X(旧Twitter)にポストされた伊藤亜和いとう あわさんのnote「パパと私」を読んだスーさんは、「地獄のTwitterにも天国あり」と感動しシェア。スーさんをはじめ多くのひとにシェアされたことで「パパと私」は大きな反響を呼び、創作大賞2023 メディアワークス文庫賞を受賞しました。本作は伊藤さんのデビュー作『存在の耐えられない愛おしさ』にも収録されています。

父親についてエッセイに綴っているという共通点があるスーさんと伊藤さん。お二人をお招きした今回のイベントでは、家族について書くことや、エッセイを書くひとへのアドバイスなどをおうかがいしました。


「何人たりとも私を傷つけることはできない」という意地

「パパと私」がバズったとき

──伊藤亜和さんの「パパと私」は、セネガル人のお父さんとの思い出や、お父さんと路上で大喧嘩をして警察沙汰になったエピソードが綴られた作品です。noteに投稿されたのは2022年1月ですが、2023年の父の日に伊藤さんがXでポストし、それをジェーン・スーさんなど多くの方がシェアしたことで大きな反響を呼びました。

伊藤さん(以下、伊藤) 父の日にXでポストしたときは、「バズらせよう」と思っていたわけではありませんでした。スーさんたちにシェアしていただいたおかげで話題になりましたが、2022年に記事を公開したときはとくに反応はなかったので、タイミングや運もあるのかなと思います。

「パパと私」は、特別な使命感があって書いたわけではなく、単純におもしろいエピソードがあるから書こうと思い、湯船に浸かりながらスマホで1時間くらいで書いてパッと公開しました。推敲もとくにしていないです。

スーさん(以下、スー) 父親のことを書いたものが父の日にポストされていたので読んだら、とてもいい文章で。「みんなー、すごいひとが出てきたー!」というテンションでシェアしました。

書く力のバネが、ほかのひととはまったく違うと思いました。普通に書いていると、エゴが出たり、うまく見せようとしたりして、内容の印象が薄くなることもあるんです。

また、校閲を通していないと日本語の使い方でおかしなところが出てくることもあります。でも伊藤さんの文章は、日本語もしっかりしているし、エゴの塊でありつつも、賢く見せようとか、いいひとに思われたい、という感じが行間から匂ってこなかった。ここまで自己コントロールができるのはすごいなと思いました。

ジェーン・スーさんバストアップ写真
ジェーン・スーさん

文章から「ギギギ」という歯軋りの音が聞こえた

──6月14日に「パパと私」が収録されたデビュー作『存在の耐えられない愛おしさ』が刊行されました。この本は、どんな本ですか?

伊藤 「愛です」と言うと薄い感じがしますが、スーさんをはじめ読んでくださった方に感想を聞くと、やっぱり「愛」としか言いようがないなと。

会えなくなったひとの話などを淡々と書いているんですが……。私はサラッとした性格ではないので、会えなくなったひとにも、自分のことを覚えていてほしいという気持ちがあるんです。できるだけ高いところから、そういうひとたちに向かって手を振りたいという気持ちで本を書きました。

また、周りからは「不幸」と言われるようなことでも、私はそうは思わない、不幸とは言わせないぞという、執念めいたものもあると思います。

スー すごくわかります。ラジオで「この世の中はあなたを傷つけないようにはデザインされていない」と話したことがありました。けれども、それと「何人たりとも私を傷つけることはできない」ということは健やかに共存するんです。そうさせるかどうかは、そのひとの意地もあるし、最終的に全部なぎ倒せるのは愛の力しかないと思う。

だから伊藤さんの文章を読んで、「自分と同じことを考えているひとがいる、うれしいな」と思ったんです。文章から「ギギギ」という歯軋りの音が聞こえた気がして。社会のシステムの問題や差別、親の環境、そんなことで私の可能性を完全に断ち切るのは絶対許したくない、という強い歯軋り。

伊藤 「そんなことで私を不機嫌にできると思うなよ、ご機嫌に生きてやるからな」みたいな、意地ですね。私自身は「今日も明るくがんばって生きよう」というマインドではさらさらないんですが、ありがたいことに周りのひとたちが、私を属性ではなく個人として見てくれるひとばかりなので、自然とそういうふうに生活が流れています。

伊藤亜和さんバストアップ写真
伊藤亜和さん

家族について書くことのハードルとは

問題のある家族のほうが書くことに困らない?

──スーさんも、ドラマ化もされた『生きるとか死ぬとか父親とか』で、お父さんについて書いていらっしゃいます。本のなかで「私が父について書こうと決めたのには理由がある。彼のことを何も知らないからだ」と書かれていました。家族であっても知らないことはたくさんあるし、書いて世に発表することで、家族を傷つけるというリスクもあると思います。

スー 私は早くに母を亡くしていて、母を「母親」という姿でしか知らず、本人の口から彼女の人生について聞けなかったことを後悔しているんです。それもあって、父を一人の人間として見たらどうなのだろう、立体的な像を知りたいと思いました。そこで、父が「住みたい」という家の家賃を全部出す代わりに、父から話を聞いて本を書き上げました。でも、父は私の本を読んでいないし、ドラマも見ていません。だから、何を書いても文句は言われないんです。

伊藤 私は「家族について書く」ことについて、それほどは考えなかったです。身内のことは身内にしか書けないという気持ちで書いていました。でも、家族に対して同じような辛さを抱えているひとたちに対して「辛いね」とか「みんなおいで」という気持ちで書いていたわけでもありません。父には本を出したことは気づかれていないと思いますね。家族は総じて私に興味がないみたい(笑)。

──家族について書く場合、書く相手に事前に許可をとったほうがいいのでしょうか?

スー ケースバイケースだと思います。ある程度、関係が壊れた家族のほうが書きやすいかもしれません。コミュニケーションがまともにできていない家は、健全な家族と違って「こんなふうに書かれたなんて(泣)」みたいな流れが起こらない気がします。

伊藤 うちはポジティブな会話すらない家庭なので、逆にポジティブなことも書けるという感じです。

スー そうこともありますよね。やっぱり家族との距離感によるのではないでしょうか。いまおもしろいと思っているのは、村井理子むらい りこさんのエッセイです。義父母の介護をはじめ、ご家族のことをよく書かれているんですが、とてもエネルギッシュで、書かざるを得ない、書くしかない、ということが伝わってくるんです。身辺について書くならば、多少家族に変化があったほうが、書くことに困りはしないと思います。

センシティブなテーマで書くときの読者への配慮は?

──家族のことを書くとき、本当のことをそのまま書くとエグすぎるとか、逆に控えめに書くと綺麗事になりすぎることもあると思います。どう着地させていますか?

伊藤 そのまま書くとエグすぎることは、お金と犯罪くらいじゃないでしょうか。家庭内乱闘とかは、そのまま書いても割と大丈夫じゃないかなと思いますが、どうでしょう?

スー エグいかどうかは読み手が決めるものだと思います。商業誌に載せるとなると「もう少しマイルドに」などと言われることもあるかもしれませんが、私はいまのところないですね。なので、あまり悩まずに出してみるといいと思います。

──家族のことなどセンシティブなテーマで書くときは読者への配慮も必要になってくると思いますが、読者向けに気をつけていることなどはありますか?

スー 読者というか関係者への配慮になりますが……父親の話を書くと、家族ではないけれど長年濃密な関係にあるひとが複数出てきます。万が一、裁判などになると嫌だなと思ってセンシティブな部分はぼかして書いていますね。

伊藤 読者向けの配慮かどうかはわからないですが、誰かを登場させるときは悪者で終わらせないようにしています。ひとでなしな部分と愛らしい部分を要所要所に散りばめて書くというか。

スー それは書く配慮というよりは、自分の矜持かもしれません。いま、人間が多面的であることを、なかなか他者と共有しづらいですよね。善悪の判断を見極めるのがみんなとても速い。でも、そのスピード感が正しいわけではないと思うんです。いいひとが最悪の行動をとることもあるし、その逆もある。他者に対する感情がひとつのところに気持ちよく着地できなくて、もやもやするというか。

伊藤 そういうもやもやに耐えられないひとが増えていると思います。最近のXなどを見ていると、「みんなどうしちゃったんだろう」と思うんですよ。

スー もともとそういうひとはたくさんいたけれど、SNSで可視化されるようになったのではと思います。

エッセイを書くときに気をつけること

時代の強度を見ることは大事

──家族に限らず、エッセイを書くときに大事にしていることを教えてください。

スー 時代の強度を見るようにはしています。私の本で一番売れたのが『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』なのですが、いまはあのタイトルはつけられないですね。秒で燃えるのが見える。でも当時は、「いつまで女子でいるつもりだ」と言われても「ははは、でも女子じゃん!」と最終的には跳ね返せる強度が読み手にあった。逆説的に何かを言ったときに、その行間を読むことができるのは、能力ではなく余裕だと思っています。本を出した2014年当時はそういう余裕があったからあのタイトルでいけましたが、いまはそうではなくなっている。だから、2022年に出した『おつかれ、今日の私。』は、とにかくやさしく書こうと思いました。

飲み込まれないようにしなければと思っているのは、自分の思い通りにならないことを被害者のスタンスで攻撃することです。そこに行ってしまうとデッドエンドというか、書けるものがなくなってしまうので。あとは、結論を安易に出さないことも大切にしています。

伊藤 いまの時代に爆売れするには、センシティブな内容や、一部のひとが怒り狂うようなことを書くしかないと思っています。ですので、バズに負けない強い意思が大事かなと。きちんといいものを書こうという気持ちで、自分だけの文章を書くことが大事だと思います。

それから、あまり大げさな表現を使わないようにしています。「この世の終わり」とかは口ではよく言いますが、頻繁に書いていると定型文になってしまうから。あとは、共感されるように書かない。「この気持ちは私にしかわからない」という意地を最後まで持って書く。そうすると不思議と共感してくれるひとが現れるんです。

好きなものを続けてきた先の搾りかすが、自分だけが書ける文章

──バズに負けないという話が出ましたが、やっぱり最初に見つけてくれるひとは必要だと思います。ネットで見つけてもらうためのテクニックなどはありますか?

スー 惹句じゃっくを重ねればネットでは見つけてもらいやすくなりますが、次はないと思います。テクニックで書いたものは、比較的すぐバレるので。書き続けることのほうが大事です。ただ、それをひとに親切な状態で見せているか、独りよがりになっていないか、ひとの前で読みあげるようなスタンスで書けているかといったことは意識したほうがいいと思います。

伊藤 私は文章を書くときにリズムを気にします。音読して気持ちのいい文章を意識していますね。頭のなかに鼻歌みたいなものが流れていて、そこに言葉を当てはめていく感じで。私は三味線、合唱、吹奏楽と、10年近く音楽をやっていて、家ではヒップホップが流れているので、音楽の力は大きいです。小さいころからやっていることが何かしら文章に役立つのではないでしょうか。自分の好きなものを続けてきた先の搾りかすが、自分だけが書ける文章なのではと。

スー その通りですね。それをどこまで正直に書けるかが大事だと思います。

イベントの様子

質疑応答

——ここからは視聴者のみなさんからの質問にお答えいただきます。
エッセイを書くときに、こんなことを思っていて恥ずかしいというような、自意識とどのように向き合っていますか?

伊藤 私は恥というものを知らない人間です。だからこそエッセイが書けると思うんですけれども。性格もあると思いますが、どんどん書いて、さらけ出せば慣れていくかもしれません。

スー 「自分はこんなふうに見られたいという自意識を持っている人間だ」ということを書けばいいのではないでしょうか。家族のことを書くこともそうですが、基本的に(エッセイストは)露悪的な性格のひとしか向いていない商売だと思います。

——お二人の文章を読んでいるとパンチライン(決め台詞、印象的な一文)が飛び出してくる感じがします。どういうふうにパンチラインが頭に浮かんでくるのでしょうか。

伊藤 文章を書いているときではないと思います。普通に歩いていたり、帰りの電車で泣いてたり、そういう瞬間に出てくるかな、と。パンチラインを中心に書くことはありますね。パンチラインが思い浮かんだら、それを真ん中に配置して前後を作るとか。

スー 私は書きながら出てくることが多いです。でも、もし書く作業をしたいのなら、気の利いたパンチラインを書くことを体得するのはあまり意味はないと思います。なぜなら、どうしても誰かの後追いになってしまうから。だれでも絶対にほかのひとより秀でていることはあるので、それを探したり伸ばしたりしたほうが効率はいい気がします。

——家族について執筆していると感情が昂ってしまい筆が進まなくなります。そういうときお二人はそのまま書き続けるのか、ひとまず寝かせて結論が出てから書くのか、どのように対処しているのか知りたいです。

伊藤 私は結論はつけない。たかぶって泣きながら書きます。辛ければ辛いほど私はいいものが書ける気がしますね。

スー 私は感情が昂ったり怒髪天をつく勢いで頭にきたりしたときはそのまま書きます。けれども、あとから読むとつまらないんですね。「うわー自分勝手!」という文章になっている。でも絶対に最後まで書く。翌日読んで文章を整えていく感じですね。

──ありがとうございます。最後にお二人から視聴者へのメッセージをお願いします。

スー 伊藤さんのnoteをずっと読んで支持してくれた方々に「ありがとうございます」と言いたいです。本当に何が起こるかわからないので、書く仕事をしたいのであれば、とにかく続けることが何より大事だと思います。

伊藤 noteは流行ったときにノリではじめ、投稿も4ヶ月に1回するかどうかという感じでした。私は絶対物書きになるという意思のもと努力してきた人間でもないのに、そういう私にもこのような機会を与えてくださるプラットフォームがあることに感謝しています。今日もたくさんの方に来ていただき、私の本を手に持って聞いてくださる方もいらっしゃって、とても信じられないような気持ちです。本当にありがとうございます。

(敬称略)

▼イベントのくわしい内容が気になる方は、動画のアーカイブをご覧ください。

ゲストプロフィール

ジェーン・スー

1973年東京生まれの日本人。TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』のメインパーソナリティを担当し、「ジェーン・スーと堀井美香のOVER THE SUN」で「ベストパーソナリティ賞」と「リスナーズ・チョイス」をW受賞。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎)で、第31回・講談社エッセイ賞を受賞。2021年には『生きるとか死ぬとか父親とか』もテレビドラマ化された。2024年5月現在、毎日新聞やAERA、婦人公論などで数多くの連載や著書を持つ。

伊藤亜和

写真/須田卓馬

文筆家。1996年横浜市生まれ。学習院大学 文学部 フランス語圏文化学科卒業。noteに掲載した「パパと私」がX(旧Twitter)でジェーン・スー氏、糸井重里氏などの目に留まり注目を集める。各種媒体で執筆多数。
note:https://note.com/awaito
X:https://x.com/LapaixdAsie

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text by 渡邊敏恵

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