義母にも義父にも愛されていた。〜日本の田舎の長男と結婚した外国人妻の今〜
前回、前々回と2回に渡ってお届けした「日本の田舎の長男と結婚した外国人妻」シリーズ。
結婚当初はあまりにも文化背景が違ったがために、ネガティブに捉えていたり、自分の中で葛藤があることも多かったのですが、今ではそれらについても、穏やかに受け入れたり、それなりにうまく立ち回れるようになりました。
そしてその変化には、決して私の精神的な成熟だけではない、義母や義父からの愛情があったと今では感じています。
最終回となる今回は、結婚当初から今に至るまで、変化した義実家との関係性や、年齢と共に受け入れられるようになったことについてお伝えできればと思います。
実家を継ぐ、継がない問題も、「今日議論しなくていい」
前回の記事にもあった「実家を継ぐ」話。実家では、夫のおとうと家族が同居しています。弟家族が実家継ぐのも良いのでは?と思ってましたが、義理父は「家は長男が継ぐ」とこだわり続けました。
当時から夫の実家の問題なので、親兄弟と話すべきだと思い口を挟まないことにしています。でも、気持ちではすごく大きな問題と捉えて、常に気にしていました。太陽が落ちると共に暗くなる町、コンビニもないし買い物も車で10分以上かかる、そこで老後過ごすのは不便どころか恐怖とさえ思いました。
しかし、それも、年齢を重ねて、気にする気持ちが薄れていった感覚があります。夫は都心で会社勤めてしていますし、私も事業をやっていますし、今すぐ帰ってこいと言われている訳ではない。年々家族の事情も変わっています。今日考えてどうにかなる問題ではないなら、議論しなくていいとさえ思っています。
夫が定年後に実家をベースに暮らしたいというなら、週末婚でも、通い婚でもいいと思います。もしかしたら、歳を取り、私も考えが変わり、田舎暮らしも悪くないと思うようになるのかもしれない。そうなったら一緒に実家暮らしを楽しむのもありですね。10年後の自分が何を考えるか、今考えても分かりませんよね。
その時の状況に合わせて変えていくことが重要なのではないかと思っています。
義実家では料理担当。帰ってからは「作らない」で切り替える
この数年、義実家に帰る際には、夕食は私が作るようになりました。普段から料理は好きです。特に中華料理を作るのが好きです。でも、家では3人しかいないし、子どもは辛いものを食べられないから作られる料理は限られてしまう。
義実家に帰る時は、人数が多いからホームパーティー感覚で、大量にお料理を作っても、辛いものと辛くないものを両方作っても、なんでも消費できちゃいます。しかも、普段食べられないものが出てくるので、みんな喜んでくれます。したお店をやる感覚で楽しいし、作り甲斐があります。
ずっと台所に立つのを見ていると、夫も気を使って皿洗いをしてくれます。さらに、不慣れなことをすると体力を使ってすごく疲れます。家に帰ってからは1日か2日はまるっきり「料理は作らない」とお休みにして、夫に作ってもらいます。
もちろん、こうやって切り替えられるのは、夫の協力が必須条件です。神のような男=神男、それは私が夫につけた名前。笑。そんな夫に感謝ですね。
義父にも、義母にも。実は愛されていた
昔は正直、義父の話を聞くのを面倒に思っていた部分もありました。夕食の時は、仕事の話や人生論など、いろいろ語りたがる義父。お酒を飲みながら適当に相槌を打ってましたが、内心ちょっと面倒くさいなと思ってました。
ですが、自分で事業をやるようになり、大企業で部長職を務めていた義父の話はとても面白いし、マネージメントの勉強になる!と感じることも多くなりました。
また、コミュニティマーケティングを仕事としている中で、地域のシニアと接することも増えました。リタイアして活力がなくなる方も多いですが、義父は毎日を楽しむ姿を見て、この方は本当素晴らしい人だと思います。
最近では、帰るたび、私から「じいちゃん最近何してるの?」と聞くようになりました。(ややオーバー気味に)リアクションをとることも増えました。会社のOB会で活動している義父はその話なんかを楽しそうにしてくれます。また農業の話をしたり、近所付き合いの話をしたり、いろんな話をしてくれます。
最近分かりましたが、義父は、私の事業もよくみてくれています。「○○先生とコラボのイベントがありましたね、あれは良かったよ」「あのお茶飲んでみたけど、いいね」とコメントしてくれたりします。
私からも事業報告やマネージメントの相談をしたりします。夜ご飯の時は、お酒を飲みながら話が盛り上がって、みんなが食べ終わってる2人で話してる時もあります。
そんな様子を見た夫からは「聞き上手になったね」と言われるほどです。
義母は、仕事もしていましたが、3人目の子どもが産まれるタイミングで辞めて専業主婦になりました。「仕事はいつでもできるけど、子供は若いうちにしか産めない」と2人目について言われることもありました。
それでも、「結局は仕事も家庭も2人で決めることですからね」と深く踏み入れることはしなかった。お陰様で、我が家は娘1人です。今では中学生になって、3人3様と好きなことをして日々自由に過ごしています。
義母は同世代の中では、女性の仕事に理解があるほうだと思います。それでも、やはり家族を優先すべきと思っています。そんな義母からすると、「仕事をしていて、なおかつ起業をしている嫁」となると「普通じゃない」と思っていた部分もあったと思います。
ですが、よくよく話を聞くと、私の会社のWEBサイトを見てくれていたり、慣れないながらもインスタまで見てくれていることがわかったんです。
義父と話していると、横から「こないだ〜見たよ」と話をしてくれるのを聞くと、2人から実は愛されているんだ、ということに最近気づくことができました。
「してくれた」ことに目を向ける
「義実家」「義母」などと聞くと、どうしてもネガティブなイメージが先行しがちですが、基本的に人と人同士なので、大きなトラブルがなければ、「仲良くしたい」というのが根本にはあると思うんです。
せっかく家族になったのだから、私の場合は自分の親が離れているので、近くにできた新しい親と仲良くして好きになろうとしたいですしね。
私自身も、振り返ってみるとたくさん義実家からしてもらったことがありました。
例えばじいちゃん(義父)は、慣れないながらに、私の誕生日にはブティックでお洋服を買ってプレゼントしてくれたり、義母からはブランドのお皿をもらったり、毎月お米や味噌を送ってもらったり。
でも、若い頃の私はくれるものに、ちょっと面倒だなって思ってました。いただいたお洋服は好みでなければ着なかったり、失礼なことをしていたと思います。
一方、義母と義父は、私たちがプレゼントしたものは、決して高価なものではないけど、必ず使ったり、身につけて大事にしてくれていました。
今思えば、気に入らなくてもちょっとくらいいただいたお洋服を着てあげたりできたのに、もっと優しくできたのに、とも思いますが、当時はどうしてもできなかったんですよね。
今更すべてのお返しはできませんが、最近は少しずつ、受け取った優しさをお返ししようとしています。
例えば、お味噌はタッパーに詰めて受け取っていたのですが、ふと気づくとそのタッパーが大量に家に溜まっていました。
よくよく考えると、そのタッパーも、義母が私たちにお味噌を送るためにわざわざ用意してくれたものです。
それに気づいてからは、ちょっと都心に出た時に美味しいお菓子を買っておいて、タッパーに詰めて返したり、義母が普段買わないような珍しい調味料を入れて返したりと工夫するようになりました。
総じて、いわゆる「妻」としての役割が務まっているかというと、おそらくそうではありませんが、「外国人妻×田舎の長男」というそれなりに異質で、難しそうに見える関係性であっても、自分なりの形になってきたと感じます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?