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アイデンティティの「もがき」から解放され、私だからできる「お茶」の事業を始める

中国から日本に留学し、日本で就職、結婚、出産を経験した私。そんな私は、すでに日本で過ごした年月の方が、中国での時間より長くなりました。(これまでの私の人生はこちらの記事にまとまっています)

それでも、大事にしたいルーツがあり、葛藤した時期があり、今の自分があります。

今回はそんな私の「アイデンティティ」について、2回に渡ってお届けします。後半は私が自分のアイデンティティと向き合い、もがいていた時期のお話です。

▶︎前半はこちら


ビジネスでも育児でも、国籍を意識しなくなっていった

義実家への手紙事件から10数年経ち、これだけ長い間日本でビジネスをしていると、普段ちょっと話すくらいでは外国人と感じさせないくらい日本語も流暢になりました。

さらに子供が生まれてからは「(子供の名前)+ママ」という呼ばれ方になり、「自分」というものの輪郭に固執する必要もなくなってきました。

子供が小学校に入ると、PTAや学級の集まりで、たまに自分の名前を呼ばれる場面がありますが、あくまで子供がメインですし、親としては目立ちたくないからこそ、「篠原さん」と言われてもわざわざ訂正しません。

こうして、だんだんと「篠原」と呼ばれることが増えていき、苗字や名前はあくまで記号でしかないと思えるようになってきました。

言葉以外の文化面にも馴染み、普段の生活では国籍をあまり意識しなくてもよくなってきました。しかも、ビジネスにおいては、外国人であることはプラスでしかないとも感じています。普通に仕事をできるだけでなく、中国語も話せて、向こうの市場の話までできるというのは、相手から見るとポジティブなことでしかないからです。

そんな心境の変化は実は名刺によく現れていて、起業当初は「劉晋寧」、子供が小学校に上がる年くらいからは「篠原(劉)晋寧」、最近では「篠原 晋寧」となっています。笑

呼ばれる苗字は変わっても、変わらないもの

一方で、表現する苗字は変わっても、変わらないものは変わらないとも感じます。一番はやはり「食」です。

中国では、朝ご飯におかゆを食べるのが一般的ですが、今でも、1週間の中で2、3日はおかゆを食べています。日本食も好きだけど、やっぱり物足りなく感じて、炒め物を作る時はオイスターソース入れたいし、麻辣が好きだし、なつめも相変わらず大好きです。

日本に来てもう25年経って、中国にいた時間よりも長く日本にいるのに、それでも根源にある好みは変わらないのですね。

「お茶」が好きな気持ちも変わりません。中国で唯一したバイトはお茶屋さんでした。中国では、朝から晩まで一日中お茶が出されるので、生活に根付いています。

「好きなものを届ける」シンプルな結論に行き着いた

前半に少し書きましたが、起業当初は「中国」というバックグラウンドをあえて使っていなかったところから、コロナ禍を経て、中国のルーツがあるからできる「お茶」の事業を始めました。

私生活での意識の変化も相まって、「証明したい」という当初の気持ちは薄まり、何かに抵抗しなくてもいいし、「好きなもの、良いものを届ける」というシンプルな気持ちに素直になればいいと思えるようになりました。

そしてこれこそ、「私だからできること」でもあると感じるようになりました。

固執せず、未知なものを拒まない。お茶を通して届けたい想い

そうしてフラットに考えた時、「アイデンティティ」は何も「場所」だけに起因するものではないと腑に落ちるようになりました。

だからこそ、この記事にもあるようにあえて中国茶だけにこだわらず、日本茶や日本の果実も使い、日本と中国のいいとこどりをしています。これは私自身が、中国の良さも、日本の良さも十分に理解しているからできることです。

単体でも美味しいお茶、そして、ブレンドしても美味しいお茶。これはまさに人も同じですね。フィットすれば、国籍は関係なく、いい関係性を育めます。

実は、新規オープンした店舗のコンセプトでもある「マイベストブレンド」という部分には、こうした既存のいいものと、自分がまだ出会っていない未知なものを拒まず、組み合わせて、新しい自分を見つけにいくようなプロセスをイメージしています。

こんな風にして、私は自分のアイデンティティと向き合い、事業と向き合い、そして今、その集大成ともいえる「お茶」の事業を作っています。


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