「施療室にて」平林たい子

「日本近代短編小説選 昭和編1(岩波文庫)」から

4つの視点から読んで考えてみた

①メカニズム小説の仕組み)
(中国)満州の慈善病院にて、アナーキストの夫とともにテロに失敗した主人公が、妊娠と重い脚気で入院している。そのため、投獄をその間免れている。出産するも貧乏な主人公には、牛乳やおむつの交換をしてもらう金が無く、脚気によって膿を含んだままの母乳を与えてしまい最終的に赤ん坊は死亡し、主人公は翌日予定されていた投獄手続きを済ませ監獄の表門二やってくる、という話。
登場人物として、同じ病室にいる中風の老婆、妄想狂中年女、娼婦あがりの女がいる。また、牢獄にいる夫、そして子供、そして看護婦たちと婦長・院長。
いかに施療室が陰鬱な空間か、それを同室の女たちや窓の外の光景、対比するような男どもと戯れる看護婦や私腹を肥やす院長夫婦(形だけのクリスチャン婦長、補助金をもらい支出を抑えることだけ考える院長)が描写されている。
やはり自分の現状や今後の不安、そして脳天気な獄中の夫、これまで親や祖父一族が貧しいながらも子供のためにひたすら働いて死んでいったことに不安になるが、それでも自分の信ずる主義や子供への思いを元に生きようとする覚悟を描く。
途中、赤子は陰惨に死んでしまい、それでもさながら水子のたたりのようなものがあると暗示させる喩えがでる。爽やかな朝に、「いつか死んでいたのを知らないでいたもんだから…」と看護婦がいい、その遺体が運ばれるのを妄想狂いの女がわざわざ主人公に「今の人、生きておったよ」と話しかける。
個人的には娼婦上がりの女が、虐げられた過去と現状の陰鬱さの認識その両方をもっている一番印象に残る人物だった。普段はその絶望を紛らわすかのごとくおどけたり茶化したりするものの、主人公の赤子を弔ってくれたり虐げられた過去のヒステリーを起こすなど一番印象的だった。


②発達作家の変化の過程をたどる
1924年、平林たい子が実際に中国東北部で出産・すぐに子供は亡くなってしまった時のことをモチーフにした話。
作者自身はこのあと夫を置いて帰国、1927年に別の男性(同じプロレタリア作家)と見合い結婚をする。そして戦後は転向、保守になっていくが、その兆しはすでに作品の中に見られるように感じた。


③進化社会の歴史、文学の歴史の中で、その小説がどんな位置づけにあるか
一般的にプロレタリア文学に分類される。プロレタリア文学にも2つあり、文学を運動に従属させるべきと考えるものと、そうでないものがあった。この作品は後者の団体から発表されたものらしい。
1924年、作品にも出てくるが張作霖の募兵に応じて、とあるが、中国東北部の動きが怪しくなってくる。


④機能(ある小説が作者と読者との間で持つ意味)
だが、自分には単なるプロレタリア文学ではなく、娼婦上がりの女など、女流文学に思えた。女性の作家によく出てくる男は無理解で無邪気なことが多いが、これはどうにかならないか、自分のことを反省する。そして、あらためて金の重要性を考える。一方で、金に換わるものや体制を2024年時点でも探してしまう。

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