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経営者目線のプロダクト開発、組織づくりの重要性をEmoで学んだ—急成長するファストドクターをCTOとして支える

急成長を目指すベンチャーマネージャーを対象としたスクール&コミュニティ「Emo」。ここでマネジメントの体系的なスキルと生きた知を学んだビジネスパーソンたちがいま、その可能性を次々と広げています。そんなEmoの卒業生たちにフォーカスを当て、マネジメントを学ぶことがどうキャリアを前進させていくのかうかがっていく本連載。第2回は、日本最大級のプライマリ・ケア医療プラットフォーム「ファストドクター」を運営するファストドクター株式会社のCTO、宮田芳郎さんです。

【宮田さんのご経歴】
2006年:東京工業大学大学院を修了し、製造業向けコンサルティング会社インクス(現ソライズ)でプログラマーとしてキャリアをスタート。
2009年:インクスの同期らと共に株式会社ガラパゴスを立ち上げ、取締役として教育部門の技術開発に従事。
2016年:ガラパゴスから独立し、代表取締役としてSmartText株式会社を立ち上げる。
2019年12月:SmartTextで仕事を請け負っていた株式会社COMPASSに、「Qubena」の事業開発責任者として参画。Qubena小中5教科のプロダクト開発を主導し、1年の開発を経て、リリース初年から全国の小中学生の10%に利用されるプロダクトを作り上げる。
2021年12月:ファストドクター株式会社に技術開発部長として参画。
2022年12月:同社CTOに就任、現在に至る。

経営陣との関係作りが課題となったマネジメント経験

——まずはこれまでの宮田さんのご経歴について、教えてください。

宮田芳郎さん(以下、宮田) 私のプログラマーとしてのキャリアは、新卒で入社したインクスから始まりました。希望していた部署にこそ配属されなかったものの、1年目からかなりチャレンジングなプロジェクトに抜擢され、大きな成長機会を与えてもらったと思います。2年目になると、さらにやりたいことをどんどんやらせてもらえるようになりました。一方、自身がゴリ押しして進めたプロジェクトがあったのですが、これが全然完成しなくて。いろいろリカバリーをしようと努力しましたが、当時の自分では「責任」を取り切れませんでした。そこで一気に社内の信頼を失い、プレイヤーとして社会人最初の大きな挫折を味わいました。

——インクスではそうした浮き沈みを経験されながらも、同社で出会った同期の皆さんと2009年に独立され、ガラパゴスを立ち上げられています。

宮田 独立した当時は月収8万円からのスタートだったので生活は大変でした。会社は右肩上がりに成長していきましたし、スクラッチで組織を作り上げていく日々は充実していて、楽しかったですね。ただ、私はもともと教育系サービスを作りたいという思いが強かったので、7年勤めて再び独立を決意したんです。

独立後、最初のお客さんであり教育系の仕事を提供してくれのが、その後の就職先となったCOMPASSでした。

——COMPASSには、教育系サービス「Qubena」の事業開発責任者として参画されています。所属会社の規模も大きくなり、マネジメントの仕方や課題にも変化がありましたか?

宮田 ガラパゴスの後期は、20名ほどのエンジニアを抱えて受託開発をしていた部署を統括していました。立ち上げて4年位するとエンジニアというよりもマネージャー業務の比率が高くなっていました。自分でコードを書く量が減ると、どうしてもエンジニアとしてのスキルは落ちているなと感じていました。エンジニアのマネジメントにおいてはスキルの低下がそのままマネジメント力にも影響します。ジレンマを抱えていました。その課題意識と教育プロダクトを作りたいという創業当初の思いに立ち返って、プログラマーとしてキャリアを仕切り直すことにしました。

当初はフリーランスのエンジニアとしてCOMPASSに参画し、アダプティブラーニングのエンジンの設計と開発を担当しました。業務時間のほとんどがプログラマーやアーキテクトとして時間となり、エンジニアとしてのスキルは取り戻せたというよりも数段あがりました。出来上がってきたものにも相当な手応えがあって、当時思い描いていた世界観を実現したいと考え、正社員として入社しました。
一方、入社当初は「マネジメントはあまりしたくないです」と言っていましたね。得意意識がなかったのとアルゴリズムやアーキテクトを考える方が違いを生み出せると感じていたからです。

入社して1年ほどで当時私が取り組んでいた新しいアーキテクチャーにフォーカスしていく経営方針となり、結果としてエンジニアチームを率いる立場になりました。Qubena小中5教科については基幹となるアルゴリズムのコードの多くを自分で書き、特許も取得しました。非常に思い入れが強いプロダクトです。1年の開発期間を経て、リリース初年度から全国の小中学生の10%に利用されるプロダクトになり、リリース自体はやりきった感覚があったのですが、グロースフェーズは任せてもらえませんでした。

——どのような問題が生じたのでしょうか?

宮田 自身が先導して開発を行ってきたことで現場やメンバーとの関係も良好だったのですが、今振り返って思うと経営陣とのコミュニケーションが足りていなかったと思います。公教育向けのプロダクトのため、リリースは絶対にずらせません。年度初めの4月に向けて“やるしかない”状態がずっと続いていました。経営陣に説明をするよりも、自分でなんとかするしかない状況でした。ひっちゃかめっちゃかな稼働時間で頑張ってはいましたが、明らかに説明は不足していたと思います。組織としてプロダクトを作っていきたい経営陣の意向と、引き続き自分の思い描く教育プロダクトを作っていきたい私の意向と合わなくなりました。

まだまだやりたいことはあったのですが、教育においての挑戦は一旦区切りをつけて、新しい挑戦としてファストドクターへの転職することにしました。

採用ですぐに活かせたマネジメントの学び

——宮田さんは、ファストドクターへ転職されたタイミングでEmoを受講されています。きっかけはなんだったのでしょうか

宮田 転職が決まり、改めてマネジメントについて勉強したいと思いました。書店でマネジメントについて新しい知見が得られそうな本を探していました。

ガラパゴスではゼロから組織を作りました。会社全体の評価制度を作るような機会もありました。第二新卒くらいのキャリアフェーズの同期4人が経営陣でしたので、マネジメントは体当たりで学んでいくしかありませんでした。厳しいことは何度もありましたが、幸いにも組織が大きく崩れるようなことはありませんでしたし、会社としても成長しました。COMPASSでも広く世の中で使われるプロダクトを作ることができ、生き残ってこれたし成し遂げられたこともあるれども、自分がマネジメントが出来ているかどうかは全然分からなかったんです。

転職をするにあたって改めてマネジメントを学びたいと思っていたその時に、たまたま(Emoを運営するEVeMのCEO)長村禎庸さんの著書『急成長を導くマネージャーの型』を手に取りました。これがきっかけでEmoの存在を知りました。そのまま迷わず申し込んで、1カ月後の2021年12月にファストドクターに入社、翌22年の1月からEmoを受講しました。

——どんなメッセージが刺さったのでしょう?

宮田 まず「急成長を導くマネージャーの型」という切り口が、「自分のためのものだ」と強く感じました。自分もスタートアップのマネージャーとして散々苦労してきました。これまでは、マネジメントはどちらかというと大企業の文脈で語られるものが多かったと思います。

トピックとしては「入社当初で成果を出す」という言葉が響きました。前職での終盤での経験から、経営陣との信頼関係をどう築くかはテーマの一つとしてもっていました。人間って初対面の時の印象が強く残る生き物だと思います。新任マネージャーであれば「最初の仕事」が強く印象に残るはずです。「入社の早い段階で成果を見せるべし」という文章は、極めて理にかなっているなと思いました。言われてみると当たり前に思えるのだけど、読んだことはありませんでした。「当たり前に思えるのに知らない」ことほど、価値のある学びは無いと思います。

この通りに、転職直後は目に見える成果づくりには力を尽くしました。プログラマーとしては入社して4営業日で新機能をリリースし、マネージャーとしては初月で開発組織についてのプランを提案する事をしました。速い立ち上がりで成果を残すことで、最初の印象を作れたと思います。

——Emoを受講したことで実感できた効果や変化はありましたか?

宮田 すぐに学んだ内容が役立ったと感じたのは、採用です。私が入社した当時のファストドクターでは、エンジニアの正社員はいませんでした。経営陣からは「エンジニアの組織を作ってほしい」というオーダーをもらっていました。どちらかというと採用は得意かなくらいには感じていたのですが、Emoを受講したことで、採用力が明確に強みになったなと感じています。特にアトラクトについて学びがありました。Emoの中でアトラクトには3つの軸があると学びました。ビジョン軸、キャリアップ軸、ヘルプ軸の3つです。これらを候補者によって意識して切り替えて採用コミュニケーションが出来るようになったのは大きかったです。ちなみに今は自分なりに少し拡張して6軸で考えるようにしています。

環境が整っていないなかでのエンジニア採用は苦戦するのが普通です。しかし難しいからといって妥協すると後から相当苦労します。優秀なエンジニアほど優秀なエンジニアが居る環境を選ぶからです。入社3か月で、優秀な一人目を採り切れたのは大きな手応えでした。

これから私の部署のメンバー3名がEmoを受講します。そのうちの一人はその最初に採用したエンジニアです。現在はチームのリーダーとして活躍してくれており、受講を通じて私と同じように新たな気づきを得て、キャリアを飛躍していってもらいたいなと思います。

事業成長につながるコードを書けるエンジニアの育成を

——ほかにも、これまでのマネジメント経験やEmoでの学びが、宮田さんご自身のキャリア形成に影響を与えていることはありますか?

宮田 活用を重視するようになった点です。これまでの私はどちらかというと「個の力で打開していく」タイプでした。ソフトウェア自体がスケールするのだから、それが良いだろうとも思っていました。PL(損益計画)上でも少ない人数でソフトウェアを作れれば、それだけ利益率は高くなります。

しかし、Emoで学んでわかったのは、経営としてはメンバーを活用してほしいという思いがあるということでした。活用は手段というよりも目的と考えた方が良いなと思うようになりました。一人ひとりの採用というのは大きな投資判断です。採用した人が「輝いている」「活躍している」というのは、キャッシュフローにとっては手段に過ぎないかもしれないけれど、別の経営の見方では目的に近しいものです。また、1×10=10よりも、5×2=10のほうがリスクヘッジもできます。

「任せる」をグラデーションとして捉えられるようになりました。これによって「自分でなんとかする」のは最終手段にするように出来ました。これ自体がマネージャーとしての大きな成長です。Emoの学びを通して「メンバーに任せられるようにする」ための打ち手が増えました。メンバーの状況に応じて適した介在は異なります。例えばジュニアレベルであればティーチングやペア作業の比率を増やす、自分の異なる専門性の人であればコーチングの比率を増やす、メンバーの状況に応じた任せ方があると学びました。

経営陣との関係性作りについても、自分の弱みが「レポーティング」にあったと気づきました。レポーティングは特に重視しています。Emoのフォーマットを拡張して施策方針を記入するシートは入社当時から続けています。昨年からはチームメンバーに週報を書いてもらっています。経営陣から見た開発チームの解像度を上げて、適切なフィードバックを早くもらえるようにしたいと思っています。

——経営者目線を持つことも意識されるようになったということでしょうか。

宮田 自分が経営者目線を持つというよりも、経営から開発が視えるようにしたいと思うようになった、という表現の方が適切かもしれません。最近、あるメガベンチャー企業によるエンジニアのレイオフが話題となりました。同社のプロダクトもチームも、多くのエンジニアから教科書にされるような素晴らしいものでしたし、優秀なエンジニアが集められていることは明らかでした。それでも、事業成果が出せるとは限らない。世の中の移り変わりと厳しさを感じました。利益が出せなければ、レイオフされてしまう。多くのエンジニアが、このニュースにショックを受けたと思います。

同時に、私は改めて、事業目線を持ってエンジニアリングを行っていく重要性を感じました。チームだけでプロダクトを作るのではなく、組織内のコラボレーションの質を上げ、自分の書いているコードが事業成長につながるかどうかを意識する。価値のある開発項目かどうかをエンジニアたちが判断できなければ、いい開発項目が降りてくるかどうかのガチャになってしまいます。だからメンバーには、事業計画もぜひ描きましょうと伝えて、全員が事業目線を持って仕事をしてほしいと考えているんです。

——今後、さらにチャレンジしていきたいことはありますか?

宮田 ちょうど、これまでワンチームでやってきたエンジニアリングチームを分割させたところなんです。より小回りが効くチーム編成を行い、そのチームを束ねることで、さらに事業をスケールさせていけたらと考えています。

今は会社としての大義を成し遂げることに集中しています。これまで3つの会社を作ってきました。スモールビジネスの経営者として生きていくような選択肢もあるとは思います。ただ、自分の思いだけで進めていくのはそんなに得意ではないなというのも人生で学びました。自分というものの優先順位がそんなに高く無いからです。

ずっと私が教育にこだわってきたのは、子どもたちの未来を明るくしたいという思いがあったからでした。教育においてはすでに爪痕を残せたと思うので、今度はこの先の未来で子どもたちが背負わなければならない医療費を、テクノロジーの力を使って少しでも減らしていけるようにしたいと思っています。

今はそれを成し遂げるための、チャレンジの途中なのです。

——最後に、宮田さんにとってマネジメントとは何か、教えてください。

宮田 「仲間と良い思い出をつくるために必要なツール」だと思います。いくら成果にこだわって仕事をしても、人はいつか、死んでしまいます。だったら、その時間をできるだけいい思い出にして、記憶に残るものにしてほしい。そのために、「成果を出せた」ということが重要だと思います。成果が残り、本人の記憶に残り、この仲間とやってよかったと思える。

「自分の人生はこの仕事をするためにあった」と思えるような、キャリアにとってアイデンティティになるような仕事になるかもしれない。メンバーひとりひとりが、そういう仕事にが出会えるようにしていきたい。そのためのマネジメントです。

宮田様、ありがとうございました!


EVeM HERO INTERVIEW
インタビュイープロフィール

宮田 芳郎 氏
ファストドクター株式会社
CTO
東京工業大学大学院を修了し、製造業向けコンサルティング会社インクス(現ソライズ)でプログラマーとして入社。株式会社ガラパゴスを立ち上げ、取締役として教育部門の技術開発に従事。独立、代表取締役としてSmartText株式会社を立ち上げる。同社で仕事を請け負っていた株式会社COMPASSに「Qubena」の事業開発責任者として参画後、ファストドクター株式会社で技術開発部長を経て、CTOに就任、現在に至る。

※上記の部署名、役職はインタビュー当時(2023年11月時点)のものです

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