見出し画像

評価について

仕事上の評価って、どこも難しいと思われる傾向にある。
定量的に図ることもできないし、図ろうとするとどこかにストレスの皺寄せが来るので、プロセス的にも気持ち的にも長続きしなくなる。

僕自身の話で言えば、これまでの人生で何かを評価されたことはなく、ぬらりと生きてきたので、評価に対して期待を持たなくなってしまった。
良いことなのか悪いことなのかで言うと、悪いことなんだろう。

こうなってしまっては、評価のために頑張るという動機づけもなくなってしまうし、何を頑張るという目標も決めづらくなってしまう。

完全にそれでは本当に良くないので、僕は「自分は自分で評価する」ようにと考えるようにしようと思っている。
つまり、自分の評価を自分でして、自分への自己評価を上げるという考え方だ。

当然、仕事上の目標を決め、それを達成するために頑張る。
しかし、そこに他人の評価を考慮に入れないようにするのだ。

では、何のためにやるのか。
これはもう、完全に自分のメンタルのためとなる。
自分で自分の評価を上げて、何か変わるかと言われれば、何も変わらない。
給料が増えることもないし、やる仕事が変わる訳でもなければ、環境が変わる訳でもない。
何が変わるかと言われれば、次も頑張ろうと思えるかどうかの自分のメンタルのためなのだ。
次も頑張ろうと思えれば、少しずつでも人は成長する。
ここではとにかく、成長を止めないようにする工夫が必要なのだ。

人から評価されて給与が上がったらやる気も増えるのではないかと思われるかもしれない。
しかし、それは本当に自分のやりたいことと繋がっていて、給与によってやる気が上がって、次も頑張ろうと思えるかと言われたら、自分の中ではしっくり来なかったのだ。
もちろん、偶然やりたいことが重なり、偶然人からの評価に繋がり、給与が上がれば嬉しい。が、そこを全ての目標にしてしまうと、ストレスのかかり具合が均衡をとれなくなり、結果として本来の自分の評価が下がり、気持ちが落ちてしまうことに気づいた。

仕事で評価されるとなると、当然目標を高くしがちだし、高くしないと上からいろいろと言われたりする。与えられた仕事が自分の力量を遥かに超えたものであったものであった場合、当然業務外でもいろいろとやることが増えてくるし、そもそもやりたい事がタスクとして来る訳ではない可能性の方が多いので、どれくらい力を入れなければいけないのかが変わってくる。
その結果、完了できればいいのだが、それでも達成できない目標というのが設定されることもある。
達成できなかった時、自分で自分を評価するという考えでないと、他者から見たら評価されていないようなものだ。

それでは心が持たない。

例えば、ある技術について調べていて、それを使って行う機能を作らなければいけないが、技術力的に明らかに力量を超えたタスクであった場合、他者からの評価はされないが、自分で調べた分をまとめて外部に発信するという目標を持っていれば、それが達成されれば他者からの評価はなくとも自分のモチベーションは保たれる。

仕事の目標はあくまで、自分の内なる目標を設定するための題材と考え、仕事の目標の中に、段階的に自分の内なる目標を達成していくという考えだ。

仕事上の評価は、結局0か100かでしかなく(少なくとも自分のケースでは)、0であった時のモチベーション維持には心構えがなかった時の負荷が非常に高い。
これでは、成長のためのモチベーションも保てなくなってしまう。

僕がこれについて書いている、この記事に関しても小さな目標の一つである。
このように、基本的に仕事外で、どこまで関与できるかという観点を織り込まないと、気持ちの均一を取る事は難しいのだろう。
本当にできる人は、仕事の目標は仕事内で完結し、自分のやりたい事を仕事の目標にできるので、要領良く生きていける。
残念ながら、僕はそういった器用なことができないようなので、自分に合わせた目標の持ち方、モチベーションの維持の仕方を工夫していかなければいけないようだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?