断片
母親に
首を絞められる
――夢を見た。
自分の出した悲鳴で目が覚めた。
妻もその声で起きてしまった。
鼓動が、胸から飛び出しそうに速く打っていた。目覚めた先が、本当に現実かどうかをはっきりさせたくて、よろよろとベッドから抜け出した。見慣れたリビング。夢から逃れられた事がわかったら、勝手に目の奥から涙が熱を持って溢れてきた。脳の神経回路が、変な繋がり方をしていた。
記憶。
断片。
再生される。
繰り返される言葉。
俺は右腕で、両方の目頭を強く押さえたけれど、もう何も止めることができなかった。嗚咽の混じった声が、俺の口から 「あまりにも遅すぎる」 という言葉となって漏れ出していた。
妻は、俺のために、マグカップに牛乳を温めてくれた。
◇
タイムマシーン。
ときどき、俺はタイムマシーンに乗って、
幼少期の自分に会いにいく。
思い出す。
小4ぐらいかな。
どこかに欠損があって、不注意で、だらしがなくて、みんなと同じ普通のことが出来ず、周りに何度も迷惑をかけ、抑制が効かず、たびたび親から金を盗み、毎日のように「極悪人」と罵られていた頃の俺だ。
不正解には、繰り返し罰が与えられたけれど、それは少しも、俺の不具合を矯正できなかった。欠損があって、理解することができなかった。求められるとおりになりたくて頑張ったけれど、どうしてもなれなくて、欲しかった報酬とは真反対のものが堆積していった。それでも笑えるときには笑っていた。泣けはしなかった。他に生きていける場所もなかった。
今ならわかること。
何故俺が、そんなだったか。
今ならわかるよ。
だけどもう
あまりにも、遅すぎていて
なかったことには、もうどうやってもならなくて
そういうものとして、諦めて、忘れたことにして、過ぎ去って、平気な顔で生きて、笑えるときには笑っていた。そうして、柔らかく薄い膜一枚だけを張って、酸性の外気からずっと化膿した傷を庇っていた。
忘れたふりして、
まもりつづけていた。
おおいかくしていた。
◇
ときどき俺は、
タイムマシーンに乗って、
幼少期の自分に会いにいく。
罵られ、
髪の毛を掴んで殴り倒され、
蹴られて、踏みつけられて、
ボロ布のようになっていた小さい自分を、
家から投げ出されたまま、冷たい夜中に震えて、
途方にくれていた小さい自分を、
抱きしめて「愛しているよ」と言ってやるために。
風が冷たかった。半袖だった。国道。車の排気音。遠くのファミレスの明かりと、頼りないオレンジ色の街路灯。硬く、かどの立った空気。心配そうな大人に、声を掛けられて逃げた。どこかの駐車場。隠れる場所を求めた。どこにも急ぐ必要はなかった。どこにも行けはしなかった。他に生きていける場所もなかった。
そんな彼に会いに行く。けれど彼には
今の俺の姿は見えない。
今の俺の声は届かない。
俺にはただ、彼を優しく抱きしめてやる
真似ごとをする事しか出来ない。いつも。
本当は、
本当に暖めて慰めて、安心させてやりたいのに。
帰りのタイムマシーンに、彼も乗せてやりたいのに。
◇
あの時の俺に、伝えたかった。
見せてやりたかった。
今もそんな大した人間になれた訳ではないけど、
俺はなんとかやっていけてるよ、って。
そりゃいろいろあったけどさ。
まぁまぁちゃんとやれててさ、
お前は素晴らしい妻に出会えるよ。
まだまだこれからだけれど、お前は
ちゃんと 幸せになれるぜ。
マグカップの
温かな湯気の中にかくして、
繰り返す。再生する。
愛しているよ、と、何度も。何度も。何度も。
最後まで読んでくれてありがとう。 無職ですが、貯金には回さないと思います😊