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親に背負わせすぎないように。親は背負いすぎないように。

「不登校」は親のせい、なのか?

多くのご家族の話をお聴きしていると、時折このテーマと向き合うことがある。

親自身が自分自身のかかわり方を振り返り、反省することはあるだろう。
その反省が、もし自分の心を傷つけるものであれば注意が必要かもしれない。
もし、これからの子どもとのかかわりに活かそうとするものは、むしろ前向きな意思も感じる。

けれど、このテーマと向き合ったときに気になるのは、周りの人たちの反応だったりする。

「あなたがしっかりと育てていないから」

子どもが学校を休む日々が続いたとき、その事実をどこまでの人に知らせるかは家族の抱える事情によって異なる。

離れて暮らす祖父母には、話すか話すまいか
会社の人には、話すか話すまいか
時には、夫に話すか話すまいか

こうした悩みを抱えている親もいる。
こうした悩みの背景には、話すことで状況が悪化してしまうのではないかという不安もあったり。
あるいは、自分自身の子育てを咎められたりするのではないかという不安も、相談することを躊躇させる一つの理由だったり。

「今日は行ったの?」
「子どもとちゃんと話しているの?」
「あなたがちゃんとしていないから」

打ち明けることで、こんなやりとりが続くことが容易に想像できたとき、「相談する」という選択肢はずっと遠いものとなる。

親だけで抱えられるものではないことはわかりつつも、頼りにできる存在が身近にはいない。
こうした孤独は親の悩みをより一層深くさせてしまう。

「学校に来させてくれたらあとは大丈夫なんですけどね」

あるいは、家と学校とで、態度がまるで違う子もいる。

家では、不安に押しつぶされそうになり、周りから自分はどう思われるのか、期待されている通りに振る舞えるだろうかと自問自答を繰り返している。

時折、学校に登校したときには、そんな家での様子などわずかばかりも見せず、元気に、明るく、活発に振る舞っている。

「なんで休んでいるのだろう?」
と周りが不思議に思うほどに。

「学校に来させてくれたらあとは大丈夫なんですけどね」
実際にこの言葉をおっしゃった先生もいた。
たしかに、学校でのその子の振る舞いを見れば、無理もないことだとは思う。

けれど、その言葉は、無自覚に親を傷つけてしまうことも。
「学校に連れていけない親(私)が悪いということなんでしょうね」

家で不安に押しつぶされそうになっている子どもの姿は親しか知らない。
誰かに打ち明けようにも、打ち明けられない状況になったとき、親はますます追い詰められてしまう。

親は子どもを支える存在だけでなく、支えも必要な存在

不登校という言葉の持つ意味からは、その主体は子どもであり、親はどうしても子どもを支える存在として、扱われることが多い。

けれども、不登校というテーマには、子どもの悩みだけではなく、親、家族の悩みも含まれている。

親に背負わせすぎないように、親は背負いすぎないように、周りはどのようにサポートしていくかという視点も忘れてはならないと思う。

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