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【自己紹介】元不登校が、カウンセラーになるまで~中学時代の不登校~

はじめに

noteやInstagram、Twitter、そしてHPのブログなど、
いろいろな媒体で発信をしていくと、
目の前のクライアントに向き合う意識の使い方から、
自分の内面に意識を向けることが増えていく。

ふと、
「自分のこれまでの人生を振り返るのもいいかも」
と思った。
不登校で悩む親子への支援をしてきて10年以上が経ち、
1万件以上のカウンセリングを行ってきた。
自分自身の内省と、「私が何者であるか」
興味を持っていただいた方への
自己紹介として今回書いてみようと思う。

不登校になった中学生時代

私は、中学1年の3学期初日から不登校になった。
その後、卒業するまで、教室に入ることは無かった。

この事実は隠すことでもないので、
メディアからの取材をお受けするときなど、
質問をいただいたときにはお答えしてきた。

ただし、カウンセリングにおいて、
クライアントと適切な協働関係を築くことを考えると、
あえて全面に打ち出すことではないので
あまり積極的に書くことはしていない。
私の中でも、この事実の扱い方にはいつも気を遣う。

ただ、「自分がなぜカウンセラーをしているのか?」
このことを伝えるためには欠かせない事実なので
この機会に整理をしたいと思う。

不登校の始まり

先ほどお伝えしたように、
私は中学1年の3学期初日に学校を突然休み始めた。
きっかけは、冬休みの宿題をやり忘れたこと。
ただ、それだけ。

ただ、自分のイメージとはかけ離れてしまった、
「勉強ができるやつ、バスケ部でも1年生の中心選手」
という周囲からの優等生なイメージ。
そのイメージに、勝手に、必死に、
応えようとしてきた自分にとって、
「冬休みの宿題を忘れた」
それだけのことでも、休むには十分すぎた。

休み始めてからの日々

休み始めてからは、諦めることの連続だった。

勉強ができる自分は、早々に消えていった。
なんとかついていこうと抗ってみたものの、
もともとイメージを守るためにやっていた
勉強の動機は長く続かなかった。
テストで8,9割取っていた頃が信じられないほど、
一桁の点数を取るようになった。
そして、それを受け入れるしかなかった。

それでも、
小学4年生から始めたバスケは
最後まで大事にしたかった。

バスケ部の顧問からも
「おまえはチームに必要なんだ」
と言われたのは励みになった。

本当に自分勝手に、救世主的な思いを持ち、
1人で練習していた。

平日の昼間に市民体育館に行っては、
1人でシューティング、フットワーク。

平日の昼間に5日連続で体育館に行くこともあり、
職員の方に行く度に伝えていた
「今日は創立記念日で学校休みなんです」などの
理由はあっという間に無くなった。
職員の方もなんとなく察してくれて、聞かなくなった。

1日10分程度の別室登校、市民体育館での練習、
代り映えしない日常が続き、3年の秋が来た。

結局、部活に戻ることはなかった。
公式戦に参加することはなく、
バスケ部は引退。

それでも、引退してからの3年生も
有志で参加できる市内大会に、
部活の友達が誘ってくれたのは嬉しかった。

自分なりのバスケ部員としての
締めくくりにしようと思った。

イメージと闘っていたのは、自分自身。

そして、試合の日。試合開始。
自分が思い描いた救世主のような姿はいなかった。

すぐに息が上がる。肺が苦しい。
体に乳酸がたまっていくのが分かる。
自分なりの練習は、あくまで自分なりだったことを体がすぐに教えてくれた。

でも、ふらふらになりながらも、
最後までコートには立とうと思った。

けれど、ボールが外に出て、
試合が中断したときに
ギャラリーにいる生徒から、
その声ははっきりと聞こえた。

「もうかわいそうだよ!」

誰が言ったのかはわからなかった。
でも、ふらふらで倒れそうになっている
自分に向けられたものであることはわかった。
瞬間、力が抜けるのがわかった。

「自分は、かわいそうな奴なんだな」

中心選手だと思っていたのは自分だけだったこと。
かつて同じレベルだった同級生とは、
途方もない差がついたことが
同じコートに立ってみて、痛感させられた。
「頑張れ!」の方がまだマシだった。

救世主になれるかも、
という淡い期待は簡単に消え、
周りからコートに立つことすら心配される、
みじめな自分がそこにはいた。

「もう一生戻れないんじゃないか」
高すぎる壁が目の前にあることをはっきりと感じた。

中学時代の、とても印象的で、象徴的なエピソード。
それでも、自分で参加を決めたことに後悔はしていない。
何より、3年間在籍をしながらも
部活に来ない私を覚えてくれていて、
試合に誘ってくれたことが何よりありがたかった。
「自分はここにいるんだ」
ということを感じられた。

それでも、再び学校を休む日々は続き、私は中学を卒業した。

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