2023(令和五)年5月3話「淀橋ミネラルフェア」前篇
私小説『地球学徒の日記』
2023(令和五)年5月3話
「淀橋ミネラルフェア」前篇
5月26(金曜)~29日(月曜)の西新宿 都庁前において、世界中の鉱物・化石などが展示・販売される「第36回 東京国際ミネラルフェア」が開催されました。今回は、このイベントに参加した様子を報告させて頂きます。
5月29日(月曜)東京 淀橋
東京の中心である新宿区は、南部の四谷(内藤新宿町)、西部の淀橋、東部の牛込という三つの区域に分けられます。
アキ
「新宿周辺の地形は『淀橋台』と呼ばれ、武蔵野台地の中でも、約12万年前(新生代 第四紀 更新世 最終間氷期)に出来た『下末吉面』に分類されるわ。私が住んでいる大森などの『荏原台』と、同じ時代の地形という事になるわね」
新宿区のうち、新宿駅・東京都庁など超高層ビルの林立する西新宿副都心が、淀橋エリアになります。今日、ここ都庁前のイベント広場では「地球を楽しむ」をテーマに、東京国際ミネラルフェアという行事が開催され、鉱物・化石などの「地質学グッズ」が展示・販売されます。イベント名に「国際」と書かれてある通り、海外の業者も出店されるので、ブースによっては英語・英会話での取引も見られます。
アユミ
「大雑把なイメージとしては、同人誌即売会の地学バージョンみたいな感じですね」
私達は、学園のクラブ活動などで地学を勉強している同級生のアキ部長、後輩のアユミ副部長と共に、ミネラルフェアに入場しました。チケット料金は1000円ですが、中学生以下のお子さんや、障碍者手帳をお持ちの方は、身分証を持参すれば無料になります。
さて、鉱物や化石について学ぶ場合、二つの見方があります。一つは、鉱物・化石を自然科学的に分析する理科系の観点であり、地学の中でも地質学・鉱物学・古生物学などと呼ばれる研究分野が、これに該当します。もう一つは、人間が鉱物・化石とどう関わってきたか、これからどう関わるかを考える文科系の見方です。まずは、科学的な視点をメインに、会場の鉱物を見て行きたいと思います。
モルダバイト
「ここには、緑色のガラスみたいな物質が展示されているよ」
淀橋ミネラルフェアには毎回、特別展のコーナーがあります。今回のテーマは…。
アユミ
「今回の特別展は…モルダバイトですね。これは、隕石と関係のある宝石鉱物です」
アキ
「ええ、テクタイトの一種ね」
モルダバイトは、テクタイトの一種です。
地球に隕石が衝突し、その熱で地表の二酸化珪素SiO2などが溶け、それが固まってガラスになった物をテクタイトと呼びます。宝石鉱物の多くは、原子が規則正しく並んでいる結晶ですが、テクタイトは非晶質(結晶化していない物質)の天然ガラスです。
テクタイトは約2500年前から、ジャワ島(インドネシア)などアジア諸国の人々に「火の真珠」と呼ばれ、宗教儀礼や装飾品に用いる、神聖なパワーストーンであったようです。
アキ
「テクタイトのうち、チェコ周辺で採れる緑色の物を『モルダバイト』と呼ぶわ」
約1500万年前(新生代 新第三紀 中新世)、ドイツ南部のバイエルン州ネルトリンゲンに小惑星隕石が落下し、数百個もの原爆に匹敵するエネルギーが放出されました。巨大衝突を受けた地上の岩石は、吹き飛ばされながら緑色のテクタイトに変成し、現在のチェコ共和国ボヘミア地方モルダウ川(エルベ川 上流)を中心とする地域(チェコやポーランド)に降り注ぎました。そこで、この緑色のテクタイトを「モルダウ石」という意味でモルダバイトと呼びます。
アユミ
「鉄イオンの影響で、エメラルドグリーンなど緑系の色調になっています。このようなモルダバイトを造るには、ほかのテクタイトよりも『石英が多く、粘土が少ない砂』の地域に、隕石を落とす必要があります」
あの隕石が衝突した後、新第三紀(中新世・鮮新世)に人類の祖先が誕生・進化し、次の時代である第四紀 更新世(大氷河時代)には、ゲルマニア(ドイツ)のハイデルベルク人・ネアンデルタール人や、ガリア(フランス)のクロマニョン人のように、ヨーロッパにも人類が現れます。やがて彼らは、モルダバイトを発見し、石器として用いるようになります。最後の氷河期が終わった完新世の時代に、文明(文字などの高度な文化を持つ国家)の歴史が始まって今に至ります。
それでは、ここで人間とモルダバイトの関わり、ヨーロッパ文化史におけるモルダバイトを考察したいと思います。
モルダバイトと人類の関わりは古く、石器時代の人々に発見され、宗教儀礼の護符(お守り)や宝飾品に使われていたようです。ミステリアスな姿と用途を有するモルダバイトは「月から降って来た」「超古代文明の遺物」などと考えられていました。
また、緑色の宝石であるため、エメラルドや橄欖石と同一視されてもいました。
チェコ人(チェック人)は西スラブ系の民族で、カトリック教会の信徒が多いのですが、モルダバイトにも、伝統的キリスト教に纒わる逸話があるようです。
アキ
「モルダバイトは、あの聖杯伝説とも関係があるそうよ」
中世ヨーロッパでは、ブリタニア(イングランド)の「アーサー王物語・聖杯伝説」を中心とする騎士道物語が流行しました。聖杯伝説は、ヨーロッパ先住民族のケルト神話が、キリスト教に取り入れられた物語と考えられていますが、実は、この「聖杯」こそがモルダバイトであった…という説があります。どういう事なのか、ここで聖杯伝説を要約して説明しますね。
アキ
「これってモルダバイトじゃなくて、エメラルドの話ですよね? あ、でも…」
18世紀の頃まで、緑色の宝石は全て「エメラルド」または「ペリドット」と呼ばれていました。実際に17世紀のチェコ地方(神聖ローマ帝国ベーメン王国)では、モルダバイトを「エメラルド」と表記した文献が見られます。そのため、聖杯エメラルド=モルダバイト説が成り立つのですが…。
アキ
「つまり『ルキフェルが地獄に堕ち、そのエメラルドが地上世界に落ちた』という伝説の背景には『隕石がドイツに墜ち、そのモルダバイトがチェコ周辺に落ちた』という実話があったわけ。ふっ…面白いわね」
ヒジリ
「もしかすると1500万年前に落下した隕石とは、神の怒りを被ったルキフェルだった…のかも知れませんね」
「あ、お姉ちゃん。いつの間に…?」
いつの間にか、私達の会話に(そもそも会場に)割り込み参加していたヒジリお姉ちゃんを見て、アユミ副部長は苦笑いしました。
アユミ
「まあ確かに、そんな事を考えたくなってしまいそうな逸話ですね。あと、微妙に紛らわしい名前の鉱物があって…」
モルダバイトと似た名前で、モルガナイト(モルガン石)という桃色の宝石がありますが、これは(エメラルドやアクアマリンと同じ)緑柱石Be3Al2Si6O18であり、テクタイト・モルダバイトとは全く別の鉱物です。但し、もしモルガナイトが緑に変色したら、それはエメラルドであり、モルダバイトも「エメラルド」と呼ばれていたので、そういう遠い繋がりはあるかも知れません。
紫金石
モルダバイトの特別展を見終わったので、それ以外の鉱物・岩石なども探してみましょう。宝石の中でも、手頃な価格の物は「半貴石」などと呼ばれ、一般人でも気軽に買う事ができます。お店で「天然石」「パワーストーン」と呼ばれている鉱物も、多くは半貴石かと思われます。
アキ
「…あら、あのブレスレット綺麗ね。このキラキラしている石、何だったかしら?」
アユミ
「あー部長、それは紫金石だと思いますよ」
会場内を歩き回った私達が、次に見付けたのは「紫金石などの鉱物を繋げて、太陽系の天体を再現した数珠ブレスレット」です。
写真を見て頂きたいのですが、左から順に「太陽・水星・金星・地球・月・火星・木星・土星・天王星・海王星・冥王星」という、太陽系の代表的な天体11個が、それぞれの色に似た鉱物で再現されています。そして、太陽と冥王星の外側には、それ以外にも無数の星々が煌めく宇宙を再現していますが、この部分に用いられているのが「紫金石」というガラスです。モルダバイトとは異なり、こちらは人工ガラスです。
紫金石は、溶かしたガラスに金属(亜酸化銅Cu2O)の粉末細片を混ぜて固めた、人工ガラスです。中の銅粉が光を反射する事で、表面が砂金のようにキラキラと輝く「アベンチュリン効果」が魅力的です。人工ガラスは「天然石」ではなく、厳密な意味での「鉱物」とも異なりますが、その美しさからパワーストーンに含まれる事があります。
文芸復興の末期(16世紀頃)に、ヨーロッパ芸術の中心たるイタリアで発明されたそうです。宗教文化とも関わりがあり、ヒジリお姉ちゃんも興味津々です。
ヒジリ
「紫金石は、イタリアの修道院で魔除けの護符として用いられた歴史があるそうです。現代の日本では、仏教の念珠にも取り入れられておりますね」
現在はイタリアのほか、中華国でも数多く生産されており、日本国内の店でも手軽に入手できます。
アキ
「じゃあ私は、この数珠ブレスレットを頂くわ」
鉱物だけでなく天文も好きで、太陽系の模型を自室内に組み立てたり、そこでプラネタリウムを上映したり、更には「月・火星の土地」(自称)を購入した事もあるアキ部長は、この数珠ブレスレットを買う事に。
後篇では、日本古来の岩石・鉱物として、熊野白石(花崗岩)と出雲青瑪瑙(碧玉)を紹介致します!
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