放課後になった。
千歳は下校路を歩き自宅へ戻った。
クラスメイトも6人しかいなければ帰る方向は全然別で、誰とも下校路はかぶらない。
そういえば妹の百々は中学校から帰ってきているはずだが、なにをしているのだろう?
そう思って3LDKの市営住宅のドアにカギを差し込んで錠を外した。
ふと扉から外れた一角を見ると、そこには置き配で配達されたであろう荷物が置かれているのだった。
差出人を見ると、確かに区の教育委員会からのお届け物だった。
たしか、授業用のタブレットもこうやって届いたな、と今になって思い出す。
千歳はそれを自分の部屋に持ち込み、中身を空けてみた。
中は、VRゴーグルだった。
最新式のもののようで、脳内に直接電波的なあれを当ててフルダイブするやつだな、というのはなんとなくわかる。
安全のためにベッドで横になって、現実世界で意識を失っても大丈夫なように配慮しつつ、ヘッドセットを頭に装着して千歳は仮想現実へダイブするのだった。
目は開いたままだったが、見えている風景は全然違うものになる。
風景は、巨大なビル群がどこまでも続く、言ってしまえば東京よりもはるかに高度な技術で設計された未来都市だった。
デザイナーが設計をしっかりしているのか、ビルの形が一つ一つ違い、白と黒かガラス張りの建物しかないが、彩を感じることができるようになっている。
千歳がいたのは高層ビルの一室だった。
巨大な窓から街を一望でき、いろいろと風景がよかった。
今は昼間の状態なのでそれほどでもないが、日が沈んだら夜景が綺麗だろうな、とも思った。
梓
「やっほー、千歳君。こういうの初めて?」
見た感じ不慣れな動きをしていたのか、同じく仮想空間に降り立っていた梓がそんなことを言ってきた。
どうして梓だとわかったのか、姿かたちが現実での梓と同じだったからだ。
千歳
「こんにちは、さっきぶり。ここ、どういうところかな?」
梓
「仮想現実だよ。パソコンの中の遊園地って言ったらいいかな? 遊びたい人たちが集まって、アトラクションとか楽しんでいくの。とにかくそんな感じ」
窓の外から見える都会の景色は確かに遊ぶにはうってつけで、観覧車があり、ジェットコースターがあり、古き良き街並みのようなものも見える。
唯一ないのは大自然ぐらいなものか。
そら、大自然味わいたいなら仮想現実じゃなくてリアルでキャンプを楽しむのが定石中の定石だろう。
昔は大自然系の仮想現実サービスもあったと言われているが、いまいち流行しなかったことがニュースになっていたのを思い出した。
とはいえ、千歳からしてみたらそういう娯楽は遠い世界の話だ。
千歳
「遊園地すらいったことないから、よくわからんな」
梓
「へー、珍しいね。夏休みとか遊びに行かなかったの?」
千歳
「いかなかったねー。あれだよ、金がないからひたすら妹の遊び相手。まあ、中古のスマホでソシャゲ遊んでたくらいかな?」
梓
「ふーん、まあソーシャルゲームも面白いよね。でもVR世界はもっと面白いよ。やり方次第では空だって飛べるし」
千歳
「面白そうだね。でも、俺らはここへ仕事しに来たんでしょ? 楽しいだけじゃないって」
篝
「そうですねー、楽しいだけではなさそうです」
千歳よりも先にログインしていた戦艦好きの女の子はそう言った。
篝
「一応仕事なのですから、真面目に任務にあたりましょう。クエストをこなしていれば報酬がもらえる類のものではなく、社会人の一人なのですから」
千歳は、軍人特有の規律ある喋り口調だな、と思った。
口には出さないが、プライベートのあの子とこの世界での性格は若干違うようだ。
ここが仕事の場だから切り替えているのだろう。
篝
「私、名前を綾取篝と申します。以後お見知りおきを。千歳さん」
千歳
「ああ、こっちこそよろしく。というか、なんだか申し訳ないね、自己紹介もしてないのに名前を覚えてもらって」
篝
「名前なら名簿に載っていましたから」
千歳
「そうですか。マメですね」
周りをぐるっと見渡すと、四季と白いドレスの女の子も来ていた。
四季は相変わらず真っ黒の服装で千歳の前に姿を現した。
お昼ご飯をおごってもらったので、四季への好感度は高いが、一応全員分の名前を千歳はまだ知らない。
白いドレスの女の子とも話をする必要があるな、と感じた。
そして白いドレスの女の子も千歳とのあいさつがまだだったな、と思ったのか、向き直ってこういう。
唯
「自己紹介がまだでしたね。私は藤森唯と言います。よろしくお願いしますね」
千歳
「え、ええ、よろしくお願いします」
唯
「普段はどんな音楽を聴かれるのですか、千歳さんは?」
千歳
「えっと、そうですね、ニッチなんですけど、同人音楽とか……まだメジャーになっていないものを」
唯
「そうですか。素敵な趣味をしていますね」
素敵というか、動画共有サイトで聞ける音楽がそれぐらいしかないから、そのまま好きになっていっただけなのだが。
まあ、素敵な音楽や個性的な音楽が多いということは自負している。
千歳
「唯さんは? どんな音楽を聴かれるのですか?」
唯
「私は、鬼束ちひろさんの月光が好きですよ」
千歳
「あー、知らない曲ですね。好きなんですか?」
唯
「ええ」
千歳は部屋の隅を一瞥する。
部屋の隅では榛が息をひそめていた。
あの子とはどうやって接したらいいのかまだわからない。
が、他の生徒同様、何かしらの問題でもあるのかなあ、と思ってみたが、下手な憶測は危険だな、と思ってやめた。
本人が話してくれるのを待つのが一番得策だろう。
全員そろったことが確認されると、VR空間内のモニターが光り、そこに先生が映し出された。
相変わらず仮面は被っている。
先生
「お疲れ様です。では、今日のお仕事を始めましょうか。まず、皆さんのお仕事の簡単な説明をします。この仮想世界、type-dの治安を維持してください。それだけです」
千歳
「サイバー犯罪を見つけたら、その場合自分たちはどうすればいいのでしょうか?」
先生
「犯罪者を見つけたら、その場合は対処をお願いしたいです」
千歳
「何が治安維持だ。討伐までやることになるのか。聞いてないよ」
先生
「まあまあ、犯罪は逮捕よりも事前に防ぐことが重要です。それなので、皆さんにはこの世界のパトロールを常にお願いしたいのです」
篝
「分かりました。この世界の平穏は私たちが護ってあげましょう。正義の名のもとに」
梓
「あー、真面目なお仕事かー。もっと声優みたいな仕事とかないの?」
榛
「……」
四季
「……」
唯
「……」
先生
「皆さんは既に知っているかもしれませんが、近年、日本国の犯罪率は上昇の一途をたどっています。認知されている件数だけで10年前の100倍、認知されていない件数も含めると恐らく潜在的な犯行はもっと多いと考えられています。それなので、各仮想空間提供会社は人力で治安の維持に努める人員を一定数確保するよう国家から通達が着ています。それを、あなた方に担当していただきたいのです」
千歳
「給料は?」
先生
「25万円です」
千歳
「具体的な仕事内容は?」
先生
「仮想空間内のパトロールです」
千歳
「拘束時間は?」
先生
「午後15時から19時の間」
篝
「断る! アニメを視聴する時間帯に被る! やめた!」
先生
「学生の活動時間変動に伴いテレビ局は18時から19時に野球の放送をします。土曜日日曜日はお休みです」
篝
「前言撤回で」
榛
「あの……」
千歳はここで榛の声を初めて聞いた。
榛
「私にもできるでしょうか?」
先生
「榛さん、あなたには知的障碍がありますね。そう言う理由で、難しいことは避けたい気持ちはわかります。ですが、悪いことをする人にもいろいろな人がいます。なので、いろいろな人が必要なのです」
榛
「えっと、よくわかりません」
先生
「大丈夫です、今は分からなくても、じきに慣れます」
ここで千歳は、榛には知的障碍があったのか、と分かった。
ずっと黙っていたのも、本人なりに空気を読んでのことだったのだろう。
賢者は黙すと言うが、どうやら立ち振る舞いは心得ているようだった。
これで頭が悪いという自覚がなければ、ひたすら騒ぎ立てて暴れているのが関の山だろう。
と、千歳は榛をそれなりに評価するのだった。
まあ、中学時代のバカ騒ぎを目の当たりにして、陰キャで通していればそう言う見方ができるのも納得がいくが。
先生
「そういうわけで、まずは、皆さんにはペアになって仮想空間上をパトロールしてもらいます。単独行動は弱いムーブですからね、二人組を作ってください」
そして……そして……そして……。
二人組は……。
作られなかった。
先生
「はあ、これだから異常者は。まあ、こうなることはあらかじめわかっていましたから。先生は君たちの可能性に賭けてみたのですが、早くも失望させてくれましたね。じゃあ、くじ引きで決めようじゃありませんか」
先生がそう言うと、それぞれのアバターの上に数字が表示された。
どうやら千歳は榛と同じグループになって街を見回るようだ。
果たして本当に無作為に選ばれたメンバーなのかはさておき、千歳は榛に挨拶をする。
千歳
「よろしく」
榛
「……」
榛は緊張して何も言わなかった。
いいや、緊張か、それとも何か別に要因があって話せないのか。
千歳は何を話していいのかわからず、黙ってその日指示されたパトロールのルートを榛と歩くのだった。
面倒だから何も話さないというのもできなくはないが、相手もただの人間。
自分が普通だと思っている千歳ですら何か欠陥を抱えているらしいのだから、相手も今の調子でずっといられるほど辛抱強くはないだろう。
千歳
「天気、いいですね」
榛
「そうですね」
会話はそれ以上進まなかった。
ここで初めて千歳は自分のスマホを開いて、午前中、出会ったときに見せてもらった手帳の意味を調べた。
そこに書かれていたのは……、愛の手帳とは、知的障碍がある人が持っている手帳であることだった。
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