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ブランド思い出手帖② BLACK PEACE NOW & KERA SHOP

神宮前で逢いましょう

 ブランド思い出手帖②
BLACK PEACE NOW & KERA SHOP

 中学3年でこの世界に人生を狂わされた私だが、高校に入ってからは横浜駅に来る機会があれば必ずビブレ4階に足を運んでいた。

 高校の頃の思い出というのもあるが当2010年代前半の…当時ロリィタフロアがあった4階に限らず若い人向けのファッションビルにあったどこか仄暗い、アングラなものもそこに佇んでいた世界が好きだった。

 色々アウトなD社のパチものTシャツとか平気で吊り下げられていたし。

 そのビブレ4Fの一角、ロリィタエリアには真ん中にちょっとしたイベントブースがあり真向いにKERA SHOPというセレクトショップと、もう少し歩くとロリィタの元祖であるブランド・MILKと今回話すBLACK PEACE NOW(以下BPNと呼ぶ)が道なりにあった。

 先にKERA SHOPの方から説明すると、SNSが今ほど普及していなかった時代ロリータ含む原宿系のファッションは「青文字系」と呼ばれる系統のファッション雑誌から情報を仕入れていた。

 2010年代までは世の若い女性のファッションには二つ系統がある、とされており「赤文字系」は所謂“男性にモテる”タイプのお姉さんが着ている系統。

 non-noやCanCamなどが代表例で、ブランドだとSNIDELやJILL STUART辺りである。

 逆に「青文字系」はその真逆、男性ウケなど気にせずファッションを楽しむ女性の雑誌でZipperや先ほど話したKERAなどが代表的なものである。

 休刊前のLARMEも60年代の映画やカルチャーを取り扱うガーリーアートのような雑誌だった。

(今もLARMEはあるし、今も素敵な雑誌だと思う。だが休刊前のあの雑誌は平成のOliveと言いたいほどだった…ロリィタ一択だった私だがあの雑誌のおかげで渋谷109にある素敵なブランドを沢山知った次第である)

 話をKERAに戻すと、当時はECサイトが今ほど普及していなかったのもありどのブランドも実店舗があった。

 個別の店舗がなくてもセレクトショップに委託しており、ロリィタ服を扱うビルへ行けば著名なブランドであればだいたい見る事ができた。

 当時は郊外にあるビルの片隅や大都会に佇む雑居ビルに、西洋の風景画のようなヴィクトリア朝の仕立て屋が平成の日本に夢のようにそのテナントに佇んでいた。

 その間だけは、現代の女子高生だという事や額縁のような窓の外に広がる
ありふれたビル街を忘れていた。

 アンティークゴールドのドアノブをくぐり抜け、少し年季の入ったエレベーターを下りると見慣れた雑踏で現代に引き戻されたものだった。


 2010年代半ばの話になるが、裏原宿やキャットストリートにはロリィタに限らず今のストリートファッションを担う原宿デザイナーズブランドが点在していた。

 昔と変わらず古着屋には時を経たアメリカン・カートゥーンのキャラクターのワッペンが縫われたバッグが生地のラメと共にキラキラと輝いていた。

 60年代を風靡した伝説のロックバンドが活動していた時代のバンドTや
ヨーロッパの屋根裏部屋に提げられていそうなレースの美しい丈の長いキャミソールなどもある。

 原宿という、かつてこの場所にあった『もしもしボックス』という世界中の首都の時刻を指した時計モニュメントを思い出す。

 古着屋通りやラフォーレに混線する様々な時代のお洋服たち。

 一着のお洋服のたどった時間がまじり合って今の原宿というあの街の服飾文化を為しているのだと思う。

 原宿の古着屋巡り、というのは私の中では時間旅行を連想する。


 話はKERA SHOP…ひいては雑誌のKERAの話になるが。

 当時SNSがそこまで普及していなかったのもあり読者投稿のはがきやお悩み相談コーナー、ファッションスナップなど青文字系は”読者と共に作っていく”スタイルの雑誌が多かった。

 今はもうないが原宿のGAP前が当時のロリィタさんや個性的なファッションの人達の出会いの場だったらしく当時のスナップの画像を見ててもそこがまるで舞踏会のホールさながら沢山のフリルとレースに彩られていた。

 そんな雑誌から生まれたセレクトショップは、都市のビルに限らず地方や海外にも可愛いお洋服を届けていたように思う。

 雑誌が休刊になり、オンラインに表現の場を移してからも横浜にはしばらく私を今もなお魅了し続ける素敵なアイテムを取り扱うお店があったと記憶している。

 多分、今私の手元に当時の雑誌が残っていてもおそらくページをめくることはないだろう。

 懐かしすぎて令和に帰れなくなっちゃいそうだから…というありふれた理由で。

 現実に生きている以上は変化を拒めないし、しちゃいけないのである。

 だからこそこの時代のロリィタちゃんたちの在り方を今も勉強している次第である。


 今はないブランドたちも、令和のロリィタ・ファッションを形作っているフリルやレースの額縁であろう。

 原宿という場所、ひいては神宮前という地名にこれからもときめき続けられればいいなぁ、と思う。




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