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亡霊が見る夢 第2話(魔女の屋敷)

 マスター
「どうだ、何か分かったか?」

 一通り調べた後、王立相談所に戻ったトーマスにそんな言葉がかけられた。

 トーマス
「何も分からないですね。誰一人として、嘘は言っていません。お金の流れは問題ないみたいですね」

 マスター
「そうか。捜査は振出しに戻るな」

 トーマス
「振出しも何も、こういうのは根気強くやらないとだめですからね。ゴルディアスの結び目のようには行かないのですよ」

 マスター
「それもそうだ。物事がそんな簡単に解決したら俺たちも失職だしな」

 トーマス
「それはそうと、気になる人たちを見ました。街のあちらこちらに働けなくなって言葉もうまく話せない人がちらほらいます。ああいう人たちはどこから来るのでしょうか?」

 マスター
「やれやれ、新聞を読んでいないとそんなことも分からないんだな。いいか、どこぞの魔法使いが死んだ人間を蘇らせる魔法を使いまくっているようだ。その結果、死んだらさよならだった人がずっとそばにいてくれるようになった。それだけの話だ」

 トーマスは今マスターが言った一言に反応する。

 トーマス
「その魔法使いさんにはどこで会えますか?」

 マスター
「普通に新聞に広告を出していて、郊外に屋敷を構えてそこで商売をしている。別に違法なことは何もしていない。市民から同意を得て死んだ人間を蘇らせてる。蘇らせるかどうかは、周囲の人次第だからな」

 トーマス
「へー」

 マスター
「興味なさそうだな」

 トーマス
「確かに、興味ないですね。死んだ人間を一生懸命生かそうとしたところで、何か弊害が発生するんじゃないかと思っているので」

 マスター
「さて、それはどうだか。俺は蘇らせたい人間なんていないし、死んだら死んだでさよならが一番聖書的だと思うがな」

 トーマス
「聖書ですか。人間は神様の創造物、土から生まれた人間はいずれ土に戻る。そんなこと信じてるんですか? 確か人は猿から進化したと最近の研究で明らかになったみたいですが?」

 マスター
「科学ではそう言ってるが、猿と人間は明らかに違う。そのぐらい分かるだろう? まあ、聖書も根っこから信じてるわけじゃないが、猿から進化したってよりアダムからイブが生み出されたってほうがロマンチックじゃないか?」

 トーマス
「まあ、確かに。吟遊詩人たちは人間が猿から進化した物語なんて歌わずに、未だにアダムとイブについて歌っていますからね。画家も、人間の美しさを描き出そうとするばかりで、人間は、実は猿から生まれた存在であるなんて描いたりしません。とはいえ、一部のピエロたちは猿に芸を仕込んで、珍しいものを見せてくれますが」

 マスター
「やれやれ、お前も色々と見てるじゃないか。これも貴族の教養というやつかな?」

 トーマス
「まあ、教会に行けば絵画を見ることはできますし、吟遊詩人は街中で歌っていますからね。ピエロも、街のいたるところで芸をやってますよ。貴族だからではなく、没落してしまったので視野が広がっただけです」

 マスター
「逆に貴族のままだったらお前の人生はどうなっていたんだろうな?」

 トーマス
「さあ、考えたくもありません。母が言っていたことですが、幸せな者はどんなものにも幸せを見出すことができる、と言っていました。逆に自分は思うのです、不幸せなものは視界に映るものが不幸せなものだと感じてしまうだけだと」

 マスターは少し考える仕草を見せてからトーマスに質問の仕方を変えた。

 マスター
「金をたくさん得て、働く必要もなくなれば、お前は楽だろうに。屋敷では大変な作業はメイドに任せて、悠々自適に過ごせる。みんなのあこがれだ。その暮らしを送ることが出来たら最高じゃないか」

 トーマス
「皆のあこがれ? まあ、あこがれているのは何となくわかりますが、大金を支払いおいしいご飯を食べても、色々な娯楽に身を興じても、それは刹那に過ぎ去ってしまいます。これは本からの受け売りですが、幸せをつかみ取ることよりも、苦痛を避ける生き方のほうが理にかなっていると、哲学者が言っていましたね」

 マスター
「どうしてだ? 幸せに生きられたほうがいいに決まってるんじゃないか?」

 トーマス
「マスターはそこそこの暮らしを送れているので縁遠いかもしれませんが、その哲学者は自分と同じくお金持ちの生まれで、世界を旅したそうです。ところが、彼の目には貴族たちの様々な装飾品や宝石よりも、貧しく辛い思いをしている人たちの姿が映りました。だから、そういう人たちを救うにはどうしたらいいのか考え、哲学者になったそうです。ですから、自分のように落ちぶれてしまった人間には、その哲学者の思想が響いたのですよ」

 マスター
「そうかそうか、ちっぽけな幸せで満足してないか? もっと高みを目指す欲望はないのか?」

 マスターはトーマスの性格を見越して、こうからかった。

 が、トーマスは全く腹を立てず、マスターは冗談で言っているな、と感じたのだった。

 トーマスは話を仕切りなおした。

 トーマス
「今日は死者を蘇らせる魔女の所に行ってこようと思います。何か知っているかもしれないので」

 マスター
「ほう、今回の件はあくまでも税金が脱税されていないかどうかの調査だが、どうして魔女の所へ行くんだ?」

 トーマス
「分かりません、が、分からないものの相手をしているのに、目星がつく相手ばかりを調査しても意味がないでしょう。この世界は小説のように筋書きがあるわけじゃない」

 マスター
「一理あるな。やはり貴族ってやつは賢いじゃないか」

 トーマス
「どうも、それじゃあ行ってきます」
 
トーマスは徒歩で郊外に屋敷を構えている魔女の所まで向かった。

 どのくらい時間がかかるのかは分からないが、歩いていればいずれ到着するだろう。

 仮に日が暮れたら、屋敷に泊めてもらえばいいし、わずかなお金を払えば宿屋に泊めてもらえる。

 そして、道順と方角はあっているのだから、いずれは到着する。

 レンガ造りの街並みがしばらく続いていたが、だんだんと建物の背が低くなってゆき、街の外側を覆っているスラムを通り過ぎる。

 スラムでは物乞いがやたら多かったが、それに応じているのは教会から派遣されているシスターたちだった。

 王立相談所は教会と繋がりが強く、何か困った人を、困りごとによっては教会に案内することがある。

 だから、シスターの中にはトーマスを見て、挨拶をする者もいた。

 が、今目指すべきは魔女の家であり、トーマスは会釈をするにとどめた。


 しばらく歩いていると、長い長い道を馬車が追い越してきた。

 が、その馬車はトーマスの目の前で止まった。

 ほんの少し間をおいて中から豪華な衣装に身を包んだ女性の貴族が現れた。

 トーマスとは違って没落してないほうのな。

 貴族
「あなた、この道を歩いているということは魔女の家へ行かれるのですか?」

 トーマス
「ええ、そうですが?」

 貴族
「馬車の席が空いています。乗せて差し上げましょう」

 トーマス
「ありがたい。お言葉に甘えさせていただきます」

 貴族
「ふむ、言葉遣いが丁寧ですね。教養はあると見えます」

 トーマス
「教養はありますがお金はないもので。馬車には乗れません。今日は乗せていただけて助かりました」

 そう言ってトーマスは馬車に乗った。

 馬車の内装はそこまで豪華ではなかった。

 とはいえ、シンプルとは洗練の極みという言葉もある。

 どうやら、この馬車の持ち主は目の前の席に座っている貴婦人のものではなく、主人のものなのだろうな、とトーマスは思った。

 美意識にはありとあらゆるものを捨て去るものと、色々なものを寄せ集めていくもの、両方あるとトーマスは理解しているつもりだ。

 女性の貴族の隣には一人の女の子が座っていた。

 言葉は慎み、実に礼儀正しいが、服装に関してはスラムに住んでいる人と大差ない。

 随分と粗末な格好をしているな、とトーマスは思った。

 顔つきが女性の貴族に似ていることから恐らくは娘だろうと思うのだが、どうやらこの貴族は実の娘をあまり大切にしない人物のようだ。

 貴族
「ところで、これから魔女の家まで何をしに行くおつもりでしたのかしら?」

 トーマス
「少し話を伺いに。自分、王立相談所に勤めているものですから」

 貴族
「あら、そう。ごめんなさい、あなた、臭いわ。馬車から降りて頂戴。馬車が汚れるといけないので」

 トーマス
「おや、そうですか」

 おかしい、ランドリーメイドの所で洗濯はしたはずなのだが。

 残念ながらトーマスは馬車から降ろされてしまった。

 とはいえ、魔女の家までの距離は十分稼げた。

 引き続きトーマスは魔女の家まで歩くことにした。


 そうして、魔女の家に到着した。

 魔女の家の外見は別に怪しいところは何もなく、ちょっと金持ちが住んでる家だな、程度の感想しか出てこない。

 絵本に描かれている魔女の家は恐ろしいか心暖かい魔女が鍋で料理を作っているようなイメージがあったのだが、あれはあくまでも空想の世界の話だったか。

 というか、現代で建物を発注するならこういう形式に落ち着いてしまうという事情もあるのだろう。

 壁を見ると、建設されてからあまり月日が経過していないことが見て取れる。

 どうやら新築のようだ。

 屋敷の庭を見ると先ほどの貴族の馬車が止まっていた。

 トーマスは構わずドアをノックした。

 すると、先ほど馬車を動かしていた騎手が出迎えてくれた。

 トーマス
「どうも」

 騎手
「入るか?」

 トーマス
「もちろん」

 騎手はトーマスを屋敷の中に招き入れた。

 そうして、エントランスの隅のほうまで招き、そこで話を始めた。

 騎手
「話を聞いてた。お前さん、王立相談所で勤めてるらしいな?」

 トーマス
「そうですが?」

 騎手
「だったら、俺の話を聞いてくれないか?」

 トーマス
「構いませんよ、仕事なので」

 騎手
「俺の主人は今日、ここへ娘を捨てに来たんだ。娘の名前はドロシーお嬢様という。うちの末っ子で、生まれつき体が弱かった。普通、こういう時は田舎の親族に引き取ってもらうのが貴族の生業だが、最近は体の弱いお嬢様を引き取ろうとする人もいなくてね。お金を払えば世話をしてもらえるんだが、お母様はそのお金を出し渋った。だから、子供をここへ捨てに来たのさ」

 トーマス
「それは、残酷な話ですね。しかしながら、殺してしまうわけではない以上、国の決まりには反しません。自分はどうすることもできないです」

 騎手
「そりゃ、殺すなんてことはしないさ。ただ、ここの魔女にお願いして、口もきけないように、体もほとんど動かせないようにしてしまうんだ。俺はそれが、どうも悪いことのように思えてね」

 トーマス
「お言葉ですが、貴族の方でしたら人々のために生きるという使命がある以上、法律で裁くことはできません」

 騎手
「そうか。まあ、そうだな」

 こうやって騎手の要望は通らなかった。

 が、貴族が自分の娘を魔女に預ける様子と言うのは気になった。

 トーマスは屋敷の明かりをたどり、魔女がいるであろう屋敷の奥へと歩みを進めたのだった。

 何か、先ほどの貴族と別の女性が話している声が聞こえた。

 何を話しているかまでは聞き取れないが、トーマスは扉の向こうで二人の人間がやり取りしているのを確認した。

 が、ここから様子を伺い知ることはできない。

 トーマスは一つ隣の部屋に行き、その窓を開けると、窓の外に身を乗り出し、屋敷の外壁をよじ登り始めた。

 外壁のわずかなでっぱりをつかんで、横に移動する。

 そして、女性と魔女が話をしているであろう部屋の窓から中の様子を覗き込んだ。

 すると、先ほどの女の子がベッドに横たわっており、そこへ魔女と思われる人物が女の子に予防接種でよく見かける注射器で体内に何かを入れていた。

 そうしているうちに、女の子の様子に変化はないが、女の子はふらりと立ち上がると、その場にへたり込んでしまった。

 その様子を見て貴族の女性は安心したようで、女の子を抱きかかえると部屋の外へ出て行ったのだった。

 トーマスは来た壁を戻り、隣の部屋へ足を下ろすと、魔女を尋ねようと思い隣の部屋へ向かおうと扉に手をかけたその時だった。

 扉が勝手に開いた。

 というより、誰かが開いてくれたようだ。

 その開いた相手は先ほど窓から眺めた魔女だった。

 魔女は扉の前に立ち、トーマスとの話を始めた。

 魔女
「ごきげんよう」

 トーマス
「こんにちは、あなたは最近噂の魔女さんでいらっしゃいますか?」

 魔女
「そんなことより、随分と強い肉体を持っていらっしゃるのね。外壁をたどってくるなんて」

 どうやら、窓の外から見ていたのはばれていたようだ。

 トーマス
「ああいうのは強い肉体を持つことよりも度胸が大切です、と、以前お世話になった道化師が言っていました。ある程度身軽であればできてしまう芸当です」

 魔女
「なるほど、あなたは没落貴族のようだけれど、道化師のお友達がいらっしゃるのね」

 トーマス
「それはもう、没落してしまったので身分なんて関係なく人とは付き合うようにしていますよ。仕事柄、色々な人と会いますからね」

 魔女
「あら、それはうらやましい。私は郊外に屋敷を構えているから、仕事以外で人と会う機会なんてめったにないわ」

 郊外に屋敷を構えているくらいだ。

 魔女は都会の騒がしさには耐えられないタイプなのだろう。

 それなのでトーマスはさざ波を立てないようにこう言った。

 トーマス
「そういう生き方も神は否定しないでしょう」

 魔女
「それはさておき、あなたはここへ何をしに来たのかしら?」

 魔女はかしこまり本題に入ろうとした。

 トーマス
「そうですね、あなたに話をお伺いしに来ました」

 魔女
「だったら、正式に呼び出し鈴を鳴らせばよかったのに」

 トーマス
「申し訳ないです。メイドの姿も見当たらなかったものですから。こんなに大きいお屋敷を構えていても、メイドは雇われないのですね」

 魔女は微笑んだ。

 魔女
「実は、メイドは一人雇っております。が、今日に限って友達の誕生日をお祝いしに行くと言って、出払っております」

 トーマス
「おやおや、メイドに休暇を。メイド思いの主人ですね」

 魔女
「別に、メイド思いだからではありません。女性同士でしたら誕生日会に出席するのなんて当たり前、貴族であろうとも平民であろうと貧民であろうとも、何も変わりがありません。あなたには分かるのではなくて?」

 トーマス
「確かに、没落してみると地位なんて無意味だったと気付かされます。稼ぎもなくなり仕事をする必要がある実に滑稽な毎日ですが、それでも楽しいですよ。最近の文化では何もやることがなく退屈こそが至高の喜びであるとされていますが、自分はそうは思いません」

 魔女
「それで、お話というのは? そろそろ本題に入ってもよろしいのではなくて?」

 魔女は一呼吸置くとそう言った。

 トーマスは軽く雑談してから本題に入るのが礼儀だとマスターに言われたのでそれを実行したし、魔女は悪い相手ではないことも確認したかった。

 今の会話の中から悪意のようなものは感じない。

 魔女と言えども人間世界のマナーはきちんと理解しているようだ。

 魔女
「立ち話も何ですから、応接室へどうぞ。普段はメイドがスコーンを焼いてくれるのですが、あいにく今日は紅茶しかありません」

 トーマス
「お構いなく。個人的には紅茶よりもラム酒かビールがあれば最高ですが」

 魔女
「残念ながらお酒はお出しできません。あなたは紳士のようですが、男性と一緒にお酒を飲みたいとは思いませんので」

 トーマス
「失礼、では、通常通り紅茶を」

 そう言われてトーマスは応接室に案内された。

 応接室は意外と近くにあった。

 豪華か、と言われるとそれほどでもなかった。

 トーマスは没落したとはいえ貴族なので、しかも王立相談所で様々な相談を受ける仕事柄、調度品の価値もある程度は分かるつもりだ。

 が、シャンデリアがないことや絨毯が上等ではないからと言って、相手を貧しい人間だと判断することはできない。

 着飾ることが大好きな人がいるように、シンプルとは洗練の極みと言う人もいる。

 どうやら、魔女は後者のようだった。

 応接室のティーカップを置くテーブルも、簡素な木製だが、実に精巧に作られている。

 失礼ながら魔女が紅茶を持ってくる間、少し触ってみたが、水平な床に置かれていて、少しもがたつかない。

 これは実にいい品なのだろう。

 トーマスはこの間にあれこれ考え事をした。

 騎手が言っていたが、あの貴族はここへ娘に何かをしに来たのだ。

 その目的が何なのか、分からない。

 と、ここで新聞が一つテーブルの上にい置かれているのを目撃した。

 客人の退屈しのぎのために置かれているのだろう。

 せっかくなのでトーマスは新聞を読んでみることにした。

 こうやって新聞を読むよりも現地に赴いて情報を漁り、現地の人の声に耳を傾けるのがトーマスの流儀だが、分からないもの相手にいつもの技を使ってもあまり効果がない。

 新聞の記事には、教会が多額の寄付を募っていることが報じられていた。

 必要な額は明らかにされていないし、寄付の使い道も明らかにされていない。

 が、あの悪名高い免罪符の販売は行われておらず、法的に問題がある寄付の募り方ではないと思われる。

 通常であれば教会へは貴族が寄付をしたり、国王が貧民救済のためにある程度税金から予算を流したりはするのだが、それでもまだ足りないのだろう。

 まあ、最近王立相談所への相談も多いことだし、王立相談所の仕事が増える事と教会の仕事が増える事、これらには相関関係があると考えて間違いない。

 神様を信じている人が教会へ、無神論者が王立相談所に来ているという些細な違いでしかない。

 教会の内部でどんなことが起きているのか詳細は明らかにされていないが、『有神論者や慈悲深い人たちはどうぞ教会へ寄付を』と記事は締めくくられていた。

 そう言えば、トーマスとやり方は違うが人々の救済をしている愛おしいシスターは今でも元気にしているだろうか?

 トーマスは仕事で忙しくしばらく会えていない相手のことを想って、新聞をテーブルに置くのだった。

 そうして、魔女が紅茶を持って部屋に入ってくる。

 魔女
「お待たせしました。どうぞ、あまりいい茶葉ではありませんが」

 トーマス
「普段は腕のいいメイドさんが淹れているから香りがたつのでしょう」

 魔女
「さすがです。素晴らしい推理力ですね」

 トーマス
「いえ、あてずっぽうです。特に根拠があるわけではありませんが、とはいえ、実のところ紅茶がおいしいと人生に彩が生まれますからね。今頃メイドさんも誕生日会で香りの立つ紅茶を淹れていると思います」

 トーマスは魔女が席に着いたのを確認すると、早速話を始めるのだった。

 トーマス
「今回ここへ来たのは単に話をするためです。最近動かなくなった人を蘇生してしまう魔法をあなたが使うことで街の中がにぎわっていまして。その魔法についてお伺いしたいです」

 魔女
「そうでしたか。それ程の事ではありませんよ。私はただ、死んでしまった人を蘇らせる、というより死なないようにしているだけです」

 ト―マス
「と、言いますと?」

 魔女
「蘇った人間は元の状態には戻りません。言葉も話せず、動くこともままなりません。しかしながら、それでも永遠の別れを嫌がる人はいるものです。ただ死なないだけの状態に恋人や家族をとどめておきたい人たちが私の元を訪れるのです」

 トーマス
「そうですか」

 魔女
「私たちの国の文化では、人生は太く短くが主流ですが、誰かが死んで悲しむのはいつも他者、自分自身ではない。だから、死なない状態にとどめておきたいと思う人もいるのでしょね」

 トーマス
「わからなくはありません」

 魔女
「話はそんな所かしら?」

 トーマス
「先ほどの貴族は何をしにこちらへ?」

 トーマスは少し鋭い質問をしてみた。

 が、

 魔女
「お客様のプライバシーに触れますのでね、それは。貴族ともなればなおさら。お金を払っていただいているわけですし、秘密は守りますわ」

 トーマス
「そうですか。これは失礼」

 魔女
「それで、他にお話ししたいことはありますか?」

 トーマス
「いいえ、こんな所ですね。では、そろそろ引き上げさせてもらいます。長居しても迷惑でしょうし」

 魔女
「いいえ、一人と話をするのでしたら私は大歓迎。特にあなたは今の話ぶりだと知恵のある方でしょうから。ぜひまたお話をお伺いしたいですわ」

 トーマス
「これはこれは、もったいないお言葉です」

 トーマスは魔女の屋敷を後にした。

 帰り道、行く馬車も来る馬車もないのでひたすら歩きになったが、こう見えてもトーマスは馬術が使えるのだ。

 だから馬を養っておくための財力さえあれば足が速くなるが、そうもいかないのが金のない人間の辛いところだ。

 そういえば、古代ギリシャの賢人たちは歩きながら思索にふけったそうだが、トーマスは今、その賢人たちと同じことをやっているな、と考えた。

 古代ギリシャ人は哲学について思索にふけっていたが、トーマスは今、何について調べているのだろうか?

 王立相談所の下で限られた情報を集めているだけにすぎない。

 各々の税金の支払いは間違いがなく、トーマスの算術を使っても間違いがない状態だ。

 だが、何か引っかかる。

 トーマスの所にやってきた税金がしっかり支払われているかどうか調べろ、という仕事の裏にどんな意図があるのか?

 トーマスはあくまでも王立相談所の一介の職員にすぎない。

 だから、これ以上の権力はないのだ。

 が、目にしてきた光景は何もかもが怪しいものばかり。

 これをこのまま放置していいものか?

 トーマスは分かれ道に差し掛かった。

 看板には右に行けば王都へ、左へ行けば海に通じていると書かれていた。

 できれば今日は海を見て野宿でもしたいと考えたが、あいにく装備もなければ距離もわからない。

 馬を借りることができればたどり着くことができるかもしれないが、今は無理だ。

 トーマスは、馬は人間の非力さを補ってくれるありがたい存在だと考えた。

 普段は考えていない事柄だが、一人で野宿をしようとすればそれなりの装備が必要であり、それらの運搬には馬がいる。

 貴族の教養によると、かつて商人たちは馬に載せて荷物を運んでいたそうだが、馬よりも多くの荷物を運べるラクダを従えた異国の商人たちは交易において圧倒的優位だったと言われている。

 そんな凡庸な思索にふけっては、まだ歩みを止めるわけにはいかないので、トーマスは仕方なく王都に戻る道を歩み始めた。

 そうしてしばらく歩いて、スラム街を通り過ぎ、近くにある安い家賃の自宅にたどり着いたのだ。

 その時間には日が沈んでいた。

 安い集合住宅の家の前を、メイドが一人掃き掃除を終えたところだった。

 彼女は大家さんが雇っている唯一のメイドで、トーマスが寝泊まりしている家の管理を任されている。

 大家さんは貴族ではないものの、その気になれば不動産事業を拡大させて貴族になれるような人物だ。

 とはいえ、トーマスがこの家に住むようになってからは、貴族がどんな暮らしを送っているのか理解し尽くしたようで、これ以上金を稼ぐのはやめてしまった。

 輝くものは必ずしも黄金ではないと理解してしまったのだろう。

 トーマス
「ご苦労様」

 トーマスは掃き掃除を終えたメイドに挨拶をする。

 メイド
「トーマスさんこそ、お疲れさまです。来週、家賃の徴収にお伺いしますが、まあトーマスさんは平気でしょうが、お支払いの準備は問題ありませんか?」

 トーマス
「問題ありません」

 メイド
「失礼いたしました。トーマスさんが家賃を滞納したことはありませんでしたよね。ですが、主人から支払いの1週間前になったら尋ねて回るようにと言われているので」

 トーマス
「それはそれは、お勤めご苦労様です。大家さんに会ったら、あなたがきちんと仕事をしていることを伝えておきます」

 メイド
「そうですか、ありがとうございます」

 トーマスは帰宅した。

 トーマスは部屋の巨大な燭に火を灯すと、自分のための事務仕事に向き合った。

 ティーポッドを机の上に並べて、その中にある紙幣の枚数を数え始めた。

 そうして文房具屋で購入した特殊な活版印刷で表を印刷された紙にそれぞれ紙幣の枚数を記してゆく。

 次に、銀行に預けている数字を確認して、今日の事務仕事は終わった。

 何を隠そう、自分自身の帳簿を付けているのだ。

 こういうことができるのは貴族の特権であり、読み書きのできない平民には不可能な行為だ。

 それなので、筆記のできない平民には質素倹約に努めるようにとしか言えないのが現実である。

 さもなくば、多くの破産者がスラムに流れてしまうだろう。

 トーマスは1日のルーチンを終えると、床に就いた。

 安物のベッドだったが、あるのとないのでは大違いだ。

 とはいえ、敷いているクッションは上等なものであり、寝心地はなかなかいい。

 計算ができるのでお金をかけるべき所にかけている。

 そうして、トーマスは今日一日を締めくくったのだった。


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