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また、雨の日に。

「面白いことなんて言えないわよ。言えたら私は今頃芸人にでもなっているわ。」

つやこはそう言いながら細くタバコの煙を吐いた。
ここは場末のスナック。
つやこはこのスナックで雇われている女だ。

ここのスナックの従業員は、つやことママの2人。
ママはいつも重役出勤なので、21時過ぎくらいにしかこない。
時計はまだ20時をまわったところ。
本当は平日の木曜日なんかに来るつもりはなかったのだけれど、帰宅途中に雨が降り、何となく足が伸びてしまった。

「そうかい。じゃあとりあえず、つやこも飲みなよ。」

そう言いながら、手でつやこに酒をすすめる。
つやこはスッと立ち上がり、店の台所でビールを注ぐと、表情を変えずに俺のグラスに自分のグラスをあてた。

「乾杯。いただきます。」

グラス同士があたるカチリという音と共に、つやこは美味しそうにビールを一口飲んだ。

「今日の雨は長引くかしらね。」

台所の換気扇越しに外の様子を眺めながら、つやこはため息をついた。

「俺は混んでる店苦手だからこのくらいの方がいいけど。」

「嫌よ。ママがうるさいもの。」

さらに大きくため息をつきながら、つやこはスマートフォンをいじりだす。

「今日はヤメトクってお返事ばっかり。」

スマートフォンに視線を落としながら、つやこは小さく呟いた。

「じゃあ、今のところつやこ独り占め。」

「思ってもないでしょう。」

ちょっとおどけて言ってみたけれど、つやこは相変わらずクールだ。
つやこは背後の台からカラオケのタッチパネル式のリモコンを手に取ると、俺の前に置いて言う。

「今日は雨だから歌うんでしょう。」

「そうだな。誰もいないうちに一曲入れておこうか。」

そう言いながら、学生時代よく歌った懐メロを一曲予約する。
いつも通り、なんてことない平凡なカラオケを披露し、マイクを置くとつやこは言った。

「あなた、声はいいわよね。」

「声“も“いいんだよ。」

「雨の日以外歌わないのは勿体無いわ。上手よ。」

「気恥ずかしいからいいんだよ。」

つやこはツッコマない。
歌に自信がないため、雨の日にしか俺は歌わない。
雨の日なら、雨音が全てを掻き消してくれるので歌いやすい。
客も少ないし。

「もう一曲歌ってよ。あなたの歌声につられて誰か来ないかしら。」

そう言いながら、つやこは扉の方に視線を向ける。
俺はタバコに火をつけながら言う。

「つやこが歌いなよ。俺は好きだよ。つやこの歌。」

ふーっとタバコの煙を吐きながら、もう片方の手でリモコンをつやこに手渡した。
つやこはそのリモコンをつまらなそうに見つめ、手に取ると、

「一曲だけよ。」

と、少しおとなしめのシャンソンを入れた。

つやこの声は、名前通りに艶やかだ。
少しハスキーな色っぽい声で物語を紡ぐようにつやこは声を繋げていく。

あまりつやこは言葉が豊かではない。
でもそれがいいのだ。
その代わりとでも言うように、つやこは歌が饒舌。
タバコをふかしながら酒を飲み、この生歌が聴ける。
俺はこの瞬間が一番好きだ。

「相変わらずいい声だな。」

「酒やけの声を皮肉ってるのかしら。」

「可愛くないなあ、お前さん。」

「照れ隠しよ。わかるでしょ?」

つやこはそう言いながら、ビールにゆっくりと口をつける。
炭酸が喉を通っていく音が、また色っぽく聞こえる。

「まあ、そろそろ帰るよ。雨も上がりそうだ。」

扉の隣にある小窓から外を眺めると、雨足は優しくなっていた。
これなら、さほど濡れずに帰れるだろう。

「暇だからもうちょっといてくれてもいいのに。」

「他のお客が来ると俺、嫉妬しちゃうから。」

「そういう素ぶり一回でもしてから言いなさいよ。」

「俺優等生だから。」

そう言いながら会計を済まし、扉を開ける。

「またね、つやこ。」

「ええ、またね。今日はありがとう。」

つやこは言いながら、俺が開けた扉の方に視線を向け、軽く手を振る。

「じゃあ」

次の約束はいらない。
また、ふらりと足が向いた時にこよう。

そう思っていたら、つやこはニヤっと笑い扉が閉まる間際に言った。

「また、雨の日に。」


  • 執筆 かおすけ

  • ©DIGITAL butter/EUREKA project

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