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あの人は雨の日に来る

雨の日は出勤も面倒。
せっかく綺麗にしていっても、雨で髪はうねるし、スカートの裾は濡れるし。
客足も、雨が降っていない日に比べればやっぱり少し落ちるし。

少し憂鬱な気持ちで、私は扉の近くの小窓から、雨の降る外を眺める。
ここは場末のスナック。
そして私はここの従業員。
ママは別にいて、私はただの雇われスタッフ。
ママはいつも重役出勤で21時を過ぎないと来ないし、こんな雨の日はなんなら店に来ない時だってある。

このお店の開店時間は19時。
そろそろ20時をまわる。

窓の外は雨音に包まれ、歩いている人の数も少ない。

「ボウズにならないといいけど。」

ひとり呟いてスマホの画面を軽くトントンと叩く。

「まあならないわね、あの人が来るか。」

言いながら、グラスに氷を入れ、麦焼酎を少し注ぐ。
残りは水を注いで、麦の水割りの出来上がり。
それを一口飲むと、静かにグラスをテーブルに置いた。

カラン、カラン。

扉につけている鐘が鳴る。
お客さんが来た音だ。
扉の方に視線をやると、スーツを着た男性が、コートを半分脱ぎながら店の中に入っていた。

「濡れた濡れた。」

私は温かいおしぼりを彼に手渡す。
彼はそれで顔や頭を軽く拭うと、私にコートを渡し、席についた。

「やっぱり来たわね。」

コートをハンガーに通し、壁にかけながら私がそう言うと、彼はヘラっと笑い、

「やっぱり?」

と聞き返してきた。

「雨の日によく来るじゃない。」

カウンターに戻り、コースターをセットしてお酒を用意しながら、私は彼に言う。

「そんなつもりなかったけど、雨宿りしやすいところにあるからなあ。」

彼はそう言いながらカウンターに座り、用意したお酒を一口飲んだ。

「寒いね。熱燗で頼めばよかったよ。」

少しだけ身体を震わせてから、彼は一緒に出したお煎餅をパリパリと食べる。

「ごめんなさいね。気が利かなかったわ。」

言いながら、熱燗の準備をすると、彼は手で酒をあおるポーズをして、

「君も。」

と、お酒を促してくれた。
電気ケトルでお湯を沸かしている間に、私は自分のお酒を作り、最初に作った彼のお酒に乾杯した。

「熱燗が用意できたら変えるわね。」

「いいよ、とりあえずこの一杯はいただくよ。」

「そう。」

言いながら、彼は鼻歌まじりにお酒を口にする。

「何かいいことでもあったの?」

「特にないよ。でも気分がいい。」

「それは素敵ね。」

外の雨足は少しずつ強まってきていて、小窓をコツコツと叩いていた。

「この雨足じゃあ、帰れないわね」

「いいよ、明日は休みだからゆっくりさせてもらう。」

「ママが来るわよ。」

「それは困ったな。俺ひとりでママの酒代足りるかな。」

言いながら、彼は自分の財布をのぞいていた。
ママはいつも豪快にお酒を飲む。
お客さんがひとりだと、その酒代がひとりに寄るので高くつく。
雨の日にお客さんが少ないのも、こういった事情が少なからずあるのかもしれない。

「今日は歌わないの?」

カラオケのリモコンを渡しながら、私は言った。

「今日は君の歌を聴いてしんみりしていたい気分かな。」

先程まで鼻歌まじりだった彼が急にそう言うので、私は少し不思議そうな顔をしたと思う。

「さっきまで鼻歌を歌ってたじゃない。」

「気分はいいけど、この雨にしんみりしたい気分でもある。」

「複雑なのね。」

言いながら、私はリモコンを手に取り、しんみりとしたバラードを選曲して歌ってみせた。
彼は私の歌声を目を瞑って指を振りながら嬉しそうに聴いている。

「つやこは本当にいい声を持っているね。」

彼はそう言いながら、また一口酒をあおった。

「そんなこと言うのは貴方くらいよ。」

別に自分の歌声に特別自信があるわけでも、全くないわけでもないけれど、とりあえず喜んでくれているならいいか。

ふと時計を見ると、もう21時に迫っていた。

「そろそろママが来るなあ。」

「また楽しい夜になっちゃうわね。」

私が言うと、彼は「そうだね。」と笑った。
その直後、カランカラン!と大きな鐘の音が鳴り響き、

「おはよう!お客さん来てる?!」

とママが入ってきた。

「おはようございます。」

「おはよう、ママ。」

ママは私と彼のふたりを交互に見たあとニヤーっと笑い、ひとりうんうんと頷く。

「今日も楽しいお酒にするわよ!田中ちゃんから一杯もらうわ!」

そう言いながら、ママはコートを脱いでカウンターにつき、私が出したお酒を彼と乾杯してからグビグビと飲み干した。

「お客さん来るといいわね。」

と、私が小さく彼に言うと

「本当にね…。」

と彼はまた財布を見つめながら小さくそう返した。

今日も場末のスナックの夜は緩やかに更けていく。


  • 執筆 かおすけ

  • ©DIGITAL butter/EUREKA project

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