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等倍ファインダーの楽しみ

 等倍ファインダー。
 もう何度かnoteでも書いているけれど、両目を開けて写真を撮るという行為がとても楽しい。
 特にライカM10-Rを導入してからは、そのファインダー倍率に1.4枚のマグニファイアをつけることによって1.008倍というほとんど完璧な等倍となることもあり、これなしで撮影することができなくなっている。
 僕がライカを使う理由の大きな部分を占める等倍ファインダー。
 しかしこの「機能」は、現行デジタルだとライカでしかできない。そしてライカも、それを推しているわけではない。
 けれども、この見た世界がファインダーと肉眼でシームレスにつながるという体験は、もっともてはやされてもいい気がする。そうして、それを実現できるのは、ライカ以外ならばレンジファインダースタイルのカメラを持つFUJIFILMだと思う。x-proシリーズならば可変式の光学ファインダーを復活させて、広角側と標準側それぞれに適応した見え具合を提供できるはず。標準側を等倍ファインダーにしてくれたなら、それだけで、他のカメラとは一線を画すカメラになるのになあ、と常に思っているが、他の人にはあまり関心のない話のようだ。

 両目を開けて撮ることができる、という機能があることで写真はどう変わるのか。 

 ミラーレスのファインダーは見たままの写真が撮れるという点で非常に優れている。恐らく、カメラの歴史が始まったときから、ファインダーで覗いたままの世界が撮れることは理想の在り方だったと思う。それを目指してきたはずだ。それを、一眼レフは覗いた世界が撮れる、ミラーレスは色合いや明るさまでそのままが撮れるようにと進化し、今やシャッターを切る前から写真がそこにあると言ってもいいんじゃないか、と思うくらいだ。
 そのファインダーで撮ることは、ある種の没入感をもたらしてくれる。片目を瞑り、見える世界=写真にする世界となる、そのファインダーだけを覗く。まわりが見えなくなり、自分の切り取りたい世界にだけ集中できる。レンジファインダーのファインダーを覗いたあとに、ミラーレスなり、typ240
のEVFなりを覗くと、まるっきり撮るという行為への意識が変わっていることに気付く。とにもかくにも、圧倒的な没入感だ。
 一方レンジファインダーは、ブライトフレームの外側が見えるので、没入感とはかけ離れた感覚になる。自分の切り取りたいように枠を世界に当てはめるような感覚。だから、自分の撮ろうとする世界からちょっと意識が離れたような気分になる。なんとなく、冷めた眼差しで写真を撮っているような、世界を俯瞰するような気持ちだ。それでいて、正確に構図を決めることは難しい。神の視点で眺めているのに、思い通りにならないというような、まるで三人称の小説を読んでいるような感覚である。僕はあいつの心理を知っている。だが、主人公はそのことを知らない。だからこんな行動しちゃだめなのに、あーあ、やっちまったよ、何してんだよ!みたいな。

 一方でミラーレスは、明るさも、フレーミングも、色合いすらリアルタイムで確認ができるという点で、自由自在に写真することができるような気になるが、その実どことなく不自由な気分にもさせられる。これはなんでだろうか、と思う。不自由というよりは、窮屈、とでも言えばいいか。その窮屈さが、自分の思考を縛っているように思わされる。いや、それはデメリットというわけでもない。窮屈だからこそ、生まれる写真が確かにあると思う。ある一定の縛りは、物事をよくすることがあるのだ。
 そういうわけだから、レンジファインダーは、自分の思い通りにならないぶん、「こうでしか撮れませんよ」となるから、むしろ「こんくらいでいいか」という気分にもさせられてもしまう。うん、うまく説明ができない。メタ化した世界に、辛うじてブライトフレームという自我を当てはめるものの、それが思った通りにはいかない。

 だからこそレンジファインダーは面白い。なんでもすぐさま仕上がるというハイテクの反対側に、あらゆることを自身の手仕事でやらなくてはならないものがある。シャッターを切ってみなくては分からない世界がある。やる前から結果の分かる世界は気楽だけども、視界に浮かび上がってくるフレームを見ながら、自分が思い描いた世界がうまく出てくるように祈りつつシャッターを切るという行為にこそ楽しみを感じる。写真することを楽しむことを主眼に置くならば、ハイエンドのカメラでコンマ0コンマ01秒の世界を撮ることに長けた人ほど、もしかしたらハマる世界が、このファインダーにあるのではないか、そう思うのである。

 さて。

 ミラーレスは窮屈な視界である分、没入感をもたらし、レンジファインダーは世界を俯瞰させ、メタ化させてくれる。
 そこにレンジファインダーを等倍にするとどうなるか。

 両目を開けて右目でファインダーを覗く。ブライトフレームが視界に浮かび上がってくる。まるで自分の目そのものにフレームが付いているかのような気になる。それは現実と虚構の間にいるかのような感覚だ。没入と客観、その狭間に自分が置かれる。自分の見ている世界の境界が曖昧になるのだ。
 僕が見ているのはファインダー越しなのか直の視界なのかよく分からない。没入感にひたっているようにも感じられるし、俯瞰した世界にフレームを置いておくような感覚にもなる。此岸と彼岸の狭間に立たされた視界は、妙な浮遊感をもたらす。

 ライカをお使いの方であれば、ぜひマグニファイアを使ってみて欲しい。そのボディに50mmなり75mmをつけて撮ってみてほしい。等倍でみる世界はまるっきり違う。夢現の世界が待っているはずだ。

 一眼レフやミラーレスならば、ズームレンズを調整して両目を開いても違和感のない位置にして撮ってみてほしい。世界を切り取るという感覚がより強くなると思う。

 等倍ファインダーは自身の視野を違う次元につれていってくれる。その世界を楽しみたくて、僕はカメラを続けている、そう言い切ってもいい。そんな楽しさがもう少し広がってくれたらな、と僕は願っている。

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