美しい名前

『美しい名前』

 機械の身体で出来た”ヒト”を見つけては、僕は今日もその人たちの中で気が向いたやつを選んで家に連れ帰る。ペンシルビルが群れになって生えた都会は寂れて、ほとんど自然に還ってしまっている。アスファルトを突き抜けて生茂る緑の逞しさが、欠損したボディのヒトたちとコントラストをなして視界に広がる。男も女も、ヒトはみんな同じ顔。焼け落ちたらしい鉄筋が剥き出しになった灰色の半壊した家に、連れ帰った同じ顔の女のヒトたちが山になって積み重なっている。日が暮れて、夜がきて、また太陽が昇って、時には雨が降って、でもそんな毎日の中で明日の予想なんてできない。ただ、晴れた日の夜空は恐ろしく明るくて、僕がひとりでいることをまざまざと見せつけるように星々は仲良く大群となって輝いている。
 ヒトを見捨てて遠出をしてみた。通りがかりに見てくるヒトたちの視線はどこに向いているわけでもなくて、僕を見ているヒトは誰もいない。
 歩き続けた。脚は重くて、喉は乾いて、でもなぜか歩みを止めてはいけない気がした。目が霞む。空を見上げるとそのまま視界が真っ白に包まれる。地上に視線を戻すと、街が蜃気楼に包まれているように見えた。ゆらゆらと、黒い影が近づいてくるように見えて、お迎えとかいう時がきたのか、と脳の裏側でぺたりとその考えだけが頭の中を支配した。
 蜃気楼のモヤが晴れると、ヒトが歩いてきていた。初めて見るその姿に、僕は幻を見ているのかもしれないと思った。けれど、僕だけがいる世界で、僕以外のヒト型のだれかが動いている姿を見て、もう枯れたと思っていた涙が頬をなぞった。”だれか”は足を止めた僕に近づいてきて、手を握ってくれた。冷たかった。見慣れた顔のヒトの中に、まだ動ける個体がいたんだ。女性の顔をした動くヒトは、僕を連れて何処までも何処までも歩いていった。なぜか疲れなくなっていた。
 ヒトが連れて行ってくれた場所は草木に侵されることもなく、生きた無機質な建物だった。何重も扉を抜けて、階段をいくつか登ると、壁がなくなって吹きさらしになった部屋に辿り着いた。
 まるで病院の一室のようだった。灰色の世界の中に、ヒトではない、だれかが眠っていた。身体に管をたくさんつけた、本当の人だった。ヒトと同じ顔をした、生きたあの子。美しい名前。どうして今まで忘れていたんだろう、世界で二人きりになれるように迎えたあの日のことを。どうして今まで忘れていたんだろう、この人の美しい名前を。
 ふと振り向くと、ヒトは動かなくなっていた。そうか、疲れて眠ってしまったんだね。
 君もちょっと疲れて、眠っているんだね。ごめんね、今まで君の名前を忘れていて。掠れた声で君の名前を呼んだ。汚れた両手で君の手を握ってみた。鼓動が伝わってきたけれど、知らないふりをしていた自分に、ふいにぞっとした。こんな無力な腕を、切り落としてしまいたいと思った。
 何度も名前を呼んだけれど、君はずっと疲れたままで。世界に二人ぼっちになってしまった。望んだ結果だ。だけど、お願いだから、目を覚まして。こんな何もできない僕のために起きて欲しいなんて思うのはおこがましいってわかってる。けどわかったんだ、君のその名前が、何よりも美しいって。

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