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まがいもんつかまされても気づかぬ猿たち

 何年か前に初めて鹿児島に行ったとき、一番衝撃を受けたのが焼酎だった。黒豚のカツを出す店に行って黒霧島をロックで頼んだ。たぶん550円とかそれくらいの金額だったと思うが、観光客がよく来るような場所柄で、東京ではそういう感じで頼んでも小さな小さなグラスに氷ばかり大きなものが出てきていたので、同じようなものだろうと思っていたら、そこそこの大きさのグラスになみなみと入ったものが出てきた。氷で水増しされているということもない。飲むと心なしか東京で飲むよりも味が濃く、芋の香りがはっきりとするいい黒霧島だった。

 実際は黒霧島は宮崎の焼酎なのだが、物理的に近いところであれば運送費もかからず、安価に良いものが味わえるのだということを実感したのだった。それから鹿児島に滞在している間じゅうずっと地元の焼酎を選んで飲み歩き、工業的に造られたアルコールや甘味料などの一切入っていないホンモノの酒、本格焼酎の味をよく理解した。

 それ以来酒はほぼ焼酎かウイスキーしか飲まなくなってしまった。蒸留酒は全然悪酔いしない。20代の頃など酒で失敗したのは大抵日本酒かワインで気持ち悪くなってだ。蒸留酒を飲んでいればかなり飲んでも一晩寝ると復活するし目覚めも良い。しかし焼酎やウイスキーの中にも、工業的に合成されたまがい物があって、それは飲むと具合が悪くなる。

 また東京でわざわざ高い金を出して、作られている地元では安価に豊富にあるものを飲み食いするということにも馬鹿馬鹿しさを感じるようになってしまった。仙台では朝市で買うマグロや鯨、ホヤやホタテなどが旨いし、いま住んでいる函館ではスーパーで国産のツブやカツオ、函館沖のイナダやイカなどの刺身が数百円で売られている。地元で採れた新鮮な食べ物は食べたあとの満足感がまったく違う。精神が落ち着き思考も明瞭になる。本来人間が食べてきたものを食べれば、下世話な三文芝居にも引っかからない。通俗的な娯楽もつまらなくなる。古典を読み、外国語を学び、海辺で夕日を眺めれば十分だ。そういう古代や中世のようなものに回帰して、修道士のように徳を積む生き方が人間の生活になっていくのだろう。


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