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コップからあふれた言葉たち

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生きづらさを抱えながら生きている日々に感じたことや考えたことのエッセイをまとめています。
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#最近の学び

メンヘラ女子が、不安癖を克服するためにやろうと思っていること

いろんなことを考えている。 「不安が強いようにお見受けします」とメンタルクリニックの先生に言われてから、なんだかんだで4ヶ月以上。 その当初は「は?そういう話じゃなくてさ」と思っていたんだけれど。 最近になって、先生の言ってくださったことの意味がわかるようになった。 「つむってさ。不安になることないときでも、あえて自分から不安になる要素とか心配になる要素を探しにいって、それで疑心暗鬼になったり、不安になったりするところがあるような気がするなぁ」 彼氏とのことで、友達に

人生を変える深い気づき

ふと、理解した。 そうか、そういうことか。 わたしは幼少期から「生きるとはなんなのか」「人はなぜ生きているのか」「この宇宙はなんで存在するんだろうか」と問い続けてきた。 でも、それは自分自身で答えを見つけていきたいだけなのに、別に道に迷っているわけではないのに、(いや正確には迷っていると思い込んでいたんだけれども)周囲の年上の人や権威者たちは、わたしに「そうか、お前は答えがわからないんだな。じゃあ、答えを教えてやろう」とばかりに上から色んなことを “教えて” きていた。

誰しも、ふとした瞬間、誰かにとっての天使になれる

まったく知らない他人との、ふわりと一瞬だけつながったときに紡がれる、ふとした会話が好きだ。 例えば、バスで偶然となりに座った、おばあちゃん。 例えば、偶然とおりすがった犬のお散歩中の、お姉さん。 例えば、ふと入ったコンビニでおでんのおかずを一個おまけしてくれた店長さん。 例えば、道に迷ったときに丁寧に気さくに行き先を教えてくれた、ショップの店員のお兄さん。 一瞬のことなのだ。 それは、「いってらっしゃい」という一言かもしれない。 言葉ではない、「これどうぞ」という行為や

人いちばん繊細な人の「自分らしさ」の見つけ方

「自分らしさ」ってなんだろうっていつも思っていた。 わたしは人やもののエネルギーにとても敏感だから、SNSで発信している人やnoteの記事、本や映画なんかでも、その "もの" がもっているエネルギーに知らないあいだに溶けこんじゃって一時的に「その人化」してしまうところがあるなあって、ふと気づいた。 これも、HSPだからこその共感性の高さや受容力の高さからくるものなんだろうか。 わからないけれど、自分の目に触れさせる情報には、ちゃんと注意を向けていないとなあって思った。

「深く考える」は当たり前じゃないという気づき

最近、HSPという言葉をそもそも提唱したエレイン・アーロン博士の原著の和訳を読みはじめた。驚いたのは、HSPという言葉がこれだけ流行っているにも関わらず、彼女自身の原著が和訳されたのはごく最近のことだということ。 世間のHSPに対して感じる違和感のようなものについては、もう少し余力があるときにでも書いてみたいと思うんだけれど。最近では、誰でも彼でも「わたし繊細さんなんです」って言うようになったなーって感じていて。そして、そういう人の多くに対して(もちろん全員じゃない)「本当

子育ての正解を手放した

このnoteは、誰のためでもなく、自分のために、ちゃんとその時々の想いや言葉を綴る場所、わたしのこの先の見えない道の一歩一歩の記録の場所。そんな想いで、書いている。 だから、今日も。 ちょっと怖いけれど。 ちゃんと自分の正直な気持ちを、書いていこうと思う。 正直、もう分からないってなってる。 それが、今の、すべて。 数日前、落ち込むことがあった。相手に悪気はきっとなかったんだけれど、その言葉たちは、今のわたしにとっていちばん脆くて柔い部分を直球で突き抜いた。ガンッとメン

美容院での気づき

美容院難民だったわたしが、はじめて「この人は信頼できる!この人にならすべてお任せしていい!」って思えた美容師さんに出会った。まさに運命の出会いだった。 思いつきで当日予約して入った美容院。 鏡の前に座り、簡単なカウンセリングがはじまる。 わたしの髪質や過去のブリーチや染色歴などを聞かれ、どんな風な髪型にしたいのかを丁寧に聞かれた。 わたしはその日、髪の毛をすいてもらって、毛先のダメージ部分を少しカットしてもらうつもりで来店していた。 長期的には髪の毛を胸下ロングまで伸

「やりたいけど、時間がない」の本当のところ

最近、自分を磨いていこうと鏡に映る自分を見て思った。 鏡を見たときに「今のわたしが、わたしは好き!」って思える自分でいたい。 それは、内面的な部分でもそうだし、外見的な部分でもそうだ。 シンママだからとか、子育てで大変だからとか、給料がとか、そういうのは言い訳だなって思ったの。シンママでも、子育てが大変でも、給料が安くても、なにかしら自分でやっていけることっていうのは必ずある。 自分を大切にする、自分を磨くっていうのは必ずしもお金をかけないとできないことじゃない。 例

HSCの癇癪とパニック障害の愛し方

突然だけれど、わたしの子どもはHSCだ。 非常に繊細で、敏感。かつ、年齢+4〜5歳程度の知能をもっている。 そんな彼女の癇癪に、過去2年間悩まされていた。 ほんの些細なことや、理由のよくわからないことで怒鳴り始め、泣き叫び、抱っこも拒否するし、すべてを拒否して1時間でも2時間でも叫び続ける。叫びすぎて、涙とよだれでぐちゃぐちゃになって、吐いてしまうこともあった。 どうしていいかわからないし、こっちもずっと子どもの全力の絶叫を聞かせら続けて、精神がやられる。わたしが鬱になっ

鬱になれる、鬱で寝込んでられるって、ある意味すごく恵まれててラグジュアリーなことなんだよな。そんなことを最近思うよ。マジで頼れる人誰1人おらんかったら、餓死するか、無理にでも動くしかない。だから。自分は恵まれてるんや。四面楚歌に感じたとて。恵まれてることを忘れるな。

「ケンカするほど仲が良い」の本当のところ

うつになってから、家族やパートナーと話し合いをすることが増えた。 家族とは、ケンカのようにお互い声を上げてしまうこともある。 でも、今までのケンカとは全然違うなってことを、お互いに感じていて。 ケンカには生産的なケンカと非生産的なケンカがあるんだなって最近ひしひしと感じてる。 そんな言葉があるけれど。このケンカとは、生産的なケンカのことを指す。 非生産的なケンカばかりを続けるのは、いい関係とは言えない。 じゃあ、生産的なケンカと非生産的なケンカの境界線ってどこにあるん

子どもを発育センターに連れていった話

以前、子どもの発達について悩むことがあって、区役所に相談しに行ったことがある。発育が遅れているとかではなく、その逆。もしかしたら可能性として高度性の知能障害があるかもしれないので、発育センターに行ってみてとのことだった。 結局、障害的なものはなにもなかったことが分かったけれど、年中さんなのに小学校低・中学年レベルの問題が解けていることがわかった。それって別に悪いことではないんだけれど、子どもにとってしんどいことって多いだろうなあって思って。わたし自身、幼少期がそんな感じだっ

うつやPTSDから抜け出すためにやっていること

どんなときでもそうなんだけれど、特にうつやPTSD、トラウマやパニックに苦しんでいたりするとき、自分にとっての安心安全の感覚をすこしずつでも広げていくって本当に大事だなって最近ひしひしと感じていて。 今日は、そのためにわたしがやっていることを思いつくままに書いてみたいと思います。 まずは、パートナーシップや家族との関係において、「気になることがあったらできるだけすぐに話す・尋ねる」ということ。 わたしは今まで、身近な人であればあるほど、嫌われたりうざいと思われたり、その

恋愛に依存しなくなる「人生を変える世界の見方」と生きるうえで一番大切なこと

昨日のつぶやきについて、今日はもう少し自分自身でも深掘りをしながら記事を書いてみようと思う。それは、恋愛だけの話ではなく、愛やしあわせってなにかとか、友情ってなんなのかとか、生きるってなんだろうってところまで話が広がっていく予感がしている。かなり長文になりそうだけれど、とりあえず、いってみよー! 「パートナーシップに悩んでいる=彼氏(パートナーや夫)に依存している」という風に安易に解説されがちだけれど。そしてその解決方法は、「男に追われる自尊心や自己肯定感があり、自立してい