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コップからあふれた言葉たち

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生きづらさを抱えながら生きている日々に感じたことや考えたことのエッセイをまとめています。
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#躁うつ

親友という宝物とこれからの方向性

この1週間、やる気がない。モチベーションがあがらず、なにもする気にならない。 メンタルが非常に下がっているのかと言われると、そういうわけでもないけれど。ただただ、やる気がない。 原因はわかっている。 数日前、家族に言われた(相手にとっては)何気のない一言だった。 でも、わたしにとってその一言は、ここ数ヶ月のわたしの頑張りすべてを打ち砕くのには十分な破壊力をもっていて。 なんのために頑張ってるんだろう。 もう、頑張のつかれた。 もう、考えるのもつかれた。 そんなところに

9月を振り返りながら、10月を決めてみる

昨日、Twitterで呟いた言葉。 (全文はこちらから↓) 人生は実験なのだと思えば、「わからない」の不安が少し軽減される気がする。 なので、今日は9月に実験してみたこと(やったこと)の結果と、その実験結果をもとに10月どんな実験をしてみたいかを書いてみようと思う。 9月の振り返り実験内容 毎日noteを書いてみた 朝のストレッチを毎日やってみた スキンケアとヘアケアを丁寧にやってみた HSPとポリウェーガル理論についての本を読んでみた 自分自身の深掘りや「安

沈まぬように。そして、急ぎ過ぎて溺れぬように。

焦る。 気持ちが、急いている。 いろんなアイデアがずっと浮かび続けている。 今の自分が経験していること、学んでいること、試行錯誤していること。 そのすべてが、誰かの役に立つのかもしれない。 うつになるまでは見えなかった、進むべき道みたいなものが見え始めてきている。 でも。 急ぐな。 わたしの心の中から声がする。 なにかを学ぶとき、人はまず知識を知識として脳みその中に格納する。 その知識を、ただの知識として脳みその中から都度ひっぱり出しているだけでは、それはただ読み漁

鬱になれる、鬱で寝込んでられるって、ある意味すごく恵まれててラグジュアリーなことなんだよな。そんなことを最近思うよ。マジで頼れる人誰1人おらんかったら、餓死するか、無理にでも動くしかない。だから。自分は恵まれてるんや。四面楚歌に感じたとて。恵まれてることを忘れるな。

「ケンカするほど仲が良い」の本当のところ

うつになってから、家族やパートナーと話し合いをすることが増えた。 家族とは、ケンカのようにお互い声を上げてしまうこともある。 でも、今までのケンカとは全然違うなってことを、お互いに感じていて。 ケンカには生産的なケンカと非生産的なケンカがあるんだなって最近ひしひしと感じてる。 そんな言葉があるけれど。このケンカとは、生産的なケンカのことを指す。 非生産的なケンカばかりを続けるのは、いい関係とは言えない。 じゃあ、生産的なケンカと非生産的なケンカの境界線ってどこにあるん

うつやPTSDから抜け出すためにやっていること

どんなときでもそうなんだけれど、特にうつやPTSD、トラウマやパニックに苦しんでいたりするとき、自分にとっての安心安全の感覚をすこしずつでも広げていくって本当に大事だなって最近ひしひしと感じていて。 今日は、そのためにわたしがやっていることを思いつくままに書いてみたいと思います。 まずは、パートナーシップや家族との関係において、「気になることがあったらできるだけすぐに話す・尋ねる」ということ。 わたしは今まで、身近な人であればあるほど、嫌われたりうざいと思われたり、その

季節のうつろいから人生を俯瞰して今いる場所を確かめる

朝晩と、毛布をかけて眠るようになった。 昨日は秋分だったようで、気づけばもう空も雲も空気も秋模様だ。 毎日を粛々と過ごしている間に、あっという間に季節は移ろっていく。 その季節の移り変わりの早さに、ぼんやりとした焦りと哀しみを感じるのは、自分自身が変化も進歩もできていないと感じるからだろうか。 婦人科系の問題が発覚した。 正確には、まだ確定はしていない。検査結果を待っている状態。 ただ、なにかしらの肉体的な病気というわけではなさそうなので、その点はちょっとホッとしている。

「私」と「ママとしての私」が "わたし" になるまでのストーリー

一番ひどかったうつ状態は昨日でなんとか切り抜けたようで。 今朝は、瞑想とストレッチをして、洗顔からスキンケアまで丁寧にできた。 朝ごはんはバナナ豆乳スムージーだけだけど、ちゃんと作ってあげられた。 でも、なんだろう。 なんだか、今は、また少し、さみしさというのか、切なさというのか、悲しみみたいなものが自分の中に入り込んでいる。 ママとしての自分。 ママとして子どもを深く愛する自分。 子どものことが一番大切。 それはそうだよ。 本音だよ。 でも、同時に、自分のことだって

明日が最後の日だとしたら、どんな自分でありたいと望むのか

「自分が最後の日を迎えるとき、どんな自分になっていたいか」 最後の日は、不平等なこの世界において唯一平等に訪れるもの。 それが数十年後なのか、数日後なのか、数分後なのかさえ、実質わからない。 その瞬間が来たとき、そのときが訪れるまでに、わたしはどんな自分になっていたいだろうか。 わたしの子どもが、自分は強く深くママから愛されていたのだと確信していて、そして笑顔でのびやかに生きていけるようになっていたら。わたしはそれ以上、特になにも望まないのかもしれない。 結局のところ

「頑張りすぎない」だけじゃ足りない

一番うつっぽさがひどかった時期から少し回復してきて、「もう大丈夫かも」「まだいけるかも」と思って、ひどかった時期にできなかったことの穴埋めをしようと、ちょっと無理をしすぎてしまった。 家族にも迷惑をかけてる。 子どもにもさみしい想いをさせてる。 みんなのために、自分のために、今こうやってすべてをスローダウンすることが最善策ってことも、焦っても仕方ないってことも、頭では分かってい流。それでも、やっぱりどうしても焦っちゃう。子どもは日々成長していくし、子どもにとっての1ヶ月と

メンタル不調の対処療法と根本治療のバランスってむずかしいよねって話

少しずつ調子が落ちついてきて、少しずつ先のことを考えるようになった。 自分自身の中にある生きづらさの解消っていうのは、なんだかんだ自律神経系を整えていくっていうところに行きつくのかもしれないって思う。 うつ状態で本当にひどかったときは、とりあえず薬でもなんでもいい。この状態を少しでも救ってくれるものがほしいと思った。薬を飲むことはあくまでもサポートでしかないことも、対処療法にすぎないことも理解していた。それでもいい。根本治療につながらなくてもいい。とりあえず、なんでもいいか

こころが不安定なときほど大切なこと

カウンセラーさんの当たり外れというか、相性って大切だなあって思った話。 今日、無料のお試しオンラインカウンセリングみたいなのを受けたんだけど。結局、電話が終わった後、パニックになってギャン泣きして、その後もずっと気持ち落ち込んでた。 運良く、昔から仲のいい友達とLINEしてて、わたしの異変に気づいてくれて仕事の休み時間中に電話してくれたから話すことでパニックは落ち着いたけれど。やっぱり持つべきものは優しく寄り添ってくれる友達だなって思う。 自分の内面を整えていくことが大

大切な人が死にたいと言った日

10年以上も前のことだ。 甘酸っぱい初恋の相手がいた。 わたしよりひとまわり以上も年上だった。 お互いに好きだったけれど、埋められない歳の差が高い壁となってふたりの間に立ちはだかった。 彼は、わたしを守るため、大切にするために、”付き合わない” という選択をした。だからこそ、わたしたちはその後もずっと兄妹のように仲良しだった。(もちろん、妹の方はずっと叶うことのない甘酸っぱい想いのカケラをその心のうちにもっていたんだけれど) わたしがオトナになってしばらくした頃、彼の心

躁うつやうつとの向き合い方

躁うつやうつの対処法とは、ルーティーンを作り、思考を挟まず、一定のペースで自分自身を動かし続けることなのかもしれない。 学生時代に躁うつと診断され、その後躁うつと寄り添って生きている友人を見て、そんなことを思う。 なんで生きてるのか、とか。 なんでつらいんだろう、とか。 そんなこと一切考えない。 考えても無駄だし、余計に悩むだけだから。 彼女はまさに、浅草女のような生き様だ。 生きていくにはお金がいる。 お金を作るには働かないといけない。 だから、働く。 ただ、そ