マガジンのカバー画像

コップからあふれた言葉たち

57
生きづらさを抱えながら生きている日々に感じたことや考えたことのエッセイをまとめています。
運営しているクリエイター

#自己肯定感

人生を変える深い気づき

ふと、理解した。 そうか、そういうことか。 わたしは幼少期から「生きるとはなんなのか」「人はなぜ生きているのか」「この宇宙はなんで存在するんだろうか」と問い続けてきた。 でも、それは自分自身で答えを見つけていきたいだけなのに、別に道に迷っているわけではないのに、(いや正確には迷っていると思い込んでいたんだけれども)周囲の年上の人や権威者たちは、わたしに「そうか、お前は答えがわからないんだな。じゃあ、答えを教えてやろう」とばかりに上から色んなことを “教えて” きていた。

9月を振り返りながら、10月を決めてみる

昨日、Twitterで呟いた言葉。 (全文はこちらから↓) 人生は実験なのだと思えば、「わからない」の不安が少し軽減される気がする。 なので、今日は9月に実験してみたこと(やったこと)の結果と、その実験結果をもとに10月どんな実験をしてみたいかを書いてみようと思う。 9月の振り返り実験内容 毎日noteを書いてみた 朝のストレッチを毎日やってみた スキンケアとヘアケアを丁寧にやってみた HSPとポリウェーガル理論についての本を読んでみた 自分自身の深掘りや「安

「やりたいけど、時間がない」の本当のところ

最近、自分を磨いていこうと鏡に映る自分を見て思った。 鏡を見たときに「今のわたしが、わたしは好き!」って思える自分でいたい。 それは、内面的な部分でもそうだし、外見的な部分でもそうだ。 シンママだからとか、子育てで大変だからとか、給料がとか、そういうのは言い訳だなって思ったの。シンママでも、子育てが大変でも、給料が安くても、なにかしら自分でやっていけることっていうのは必ずある。 自分を大切にする、自分を磨くっていうのは必ずしもお金をかけないとできないことじゃない。 例

「ケンカするほど仲が良い」の本当のところ

うつになってから、家族やパートナーと話し合いをすることが増えた。 家族とは、ケンカのようにお互い声を上げてしまうこともある。 でも、今までのケンカとは全然違うなってことを、お互いに感じていて。 ケンカには生産的なケンカと非生産的なケンカがあるんだなって最近ひしひしと感じてる。 そんな言葉があるけれど。このケンカとは、生産的なケンカのことを指す。 非生産的なケンカばかりを続けるのは、いい関係とは言えない。 じゃあ、生産的なケンカと非生産的なケンカの境界線ってどこにあるん

子どもを発育センターに連れていった話

以前、子どもの発達について悩むことがあって、区役所に相談しに行ったことがある。発育が遅れているとかではなく、その逆。もしかしたら可能性として高度性の知能障害があるかもしれないので、発育センターに行ってみてとのことだった。 結局、障害的なものはなにもなかったことが分かったけれど、年中さんなのに小学校低・中学年レベルの問題が解けていることがわかった。それって別に悪いことではないんだけれど、子どもにとってしんどいことって多いだろうなあって思って。わたし自身、幼少期がそんな感じだっ

うつやPTSDから抜け出すためにやっていること

どんなときでもそうなんだけれど、特にうつやPTSD、トラウマやパニックに苦しんでいたりするとき、自分にとっての安心安全の感覚をすこしずつでも広げていくって本当に大事だなって最近ひしひしと感じていて。 今日は、そのためにわたしがやっていることを思いつくままに書いてみたいと思います。 まずは、パートナーシップや家族との関係において、「気になることがあったらできるだけすぐに話す・尋ねる」ということ。 わたしは今まで、身近な人であればあるほど、嫌われたりうざいと思われたり、その

恋愛に依存しなくなる「人生を変える世界の見方」と生きるうえで一番大切なこと

昨日のつぶやきについて、今日はもう少し自分自身でも深掘りをしながら記事を書いてみようと思う。それは、恋愛だけの話ではなく、愛やしあわせってなにかとか、友情ってなんなのかとか、生きるってなんだろうってところまで話が広がっていく予感がしている。かなり長文になりそうだけれど、とりあえず、いってみよー! 「パートナーシップに悩んでいる=彼氏(パートナーや夫)に依存している」という風に安易に解説されがちだけれど。そしてその解決方法は、「男に追われる自尊心や自己肯定感があり、自立してい

僕らは、重力の忘れ方を、忘れた

わたしの周りには、うつだった / 今現在うつである。 病院に行って薬を飲んでいた / 今現在、薬を飲んでいる。 そんな人が両手にギリギリおさまらないくらいの数、いる。 別に、うつだけじゃない。PTSDとか、躁うつとか、強迫性障害とか、統合失調症とか。名前は、色々。症状や状態も、さまざま。この世界で生きていくことへの息苦しさとか、生きづらさって事実だけは、多分だけど、一緒。 それは、友達の友達とかっていう間接的な数ではなく、直接的な知人の数だ。病院に行って診断名もらった知人

しんどさ計測器が発明されなくてよかった

しんどいって、本当につらいことだ。 特に、生きづらさとか、外からは見えないこころがしんどいと感じることは、本当に。 言葉でそのつらさ、しんどさを表現することは難しい。 見た目には、きっとわたしは普通にうつっている。 普通に仕事に行って、普通に同僚たちと冗談を交わし、普通に仕事のメールを打ち、普通にみんなでランチに行って、普通におしゃべりや噂話に花を咲かせる。普通に笑ったり、普通にテンション高めでおちゃらけてみたり、普通に、普通だ。 でも、ふとひとりになった時、唐突に頭

躁うつやうつとの向き合い方

躁うつやうつの対処法とは、ルーティーンを作り、思考を挟まず、一定のペースで自分自身を動かし続けることなのかもしれない。 学生時代に躁うつと診断され、その後躁うつと寄り添って生きている友人を見て、そんなことを思う。 なんで生きてるのか、とか。 なんでつらいんだろう、とか。 そんなこと一切考えない。 考えても無駄だし、余計に悩むだけだから。 彼女はまさに、浅草女のような生き様だ。 生きていくにはお金がいる。 お金を作るには働かないといけない。 だから、働く。 ただ、そ

上ばかり見てると首が凝るから

上を見ていたらキリがない。 そんなことは分かっちゃいるけれど、どうしたって上を見てしまう。 特にSNSがこれだけ生活の一部になった現代の生活の中で、他人様と自分を比較しないで生きられる人なんているんだろうか? 完璧主義で自分は特別な存在なんだと思いたい症候群(厨二病とも言う)をこじらせたまま大人になったわたしは、例に漏れず、SNSで常に他人様と自分を比較していた。それが、自分で自分の首を締め上げる行為だと分かってはいても、止められなかった。 あの人にできて、なんでわたし

人生をやり直せるとしたら

気づくと、中学1年生に戻っていた。 30年弱分の人生の記憶を全部もったまま。 そんな夢を見た。 もし、「今」のあなたの知識や経験を持っている状態で過去に帰ることができるのなら。あなたは、どんなことをやり直したいと思うだろうか?そもそも、やり直したいと思うことは、あるだろうか? 夢の中で、中学1年生のわたしは、やり直したいことや絶対にとっちゃいけない選択がなんなのかを分かっていた。それは恋愛に関することだったり、家族に関することだったりした。もう少し夢が進んでいっていたら

メンタル系不調での通院と投薬について赤裸々に体験を語ってみる

「お薬なんて死んでもイヤ!それくらいだったら高熱だったとしても耐える!!」と豪語するくらい、お薬や病院が嫌いだったわたし。でも、ある一定のリミッターを超えたときに、「病院行って、診断出してもらって、薬飲みたい。むしろください」って思考が切り替わったときがあったの。 自己啓発とか精神論とか食事法とかスピリチュアルとか、色々勉強してきた人生で、それをコツコツと実践していたんだけど。結果がね、出なかったんです。 そして疲れが何度目かのピークを超えたとき、「もう自分の力で頑張る気

時間がたっても手の中に残ったものこそ大切なもの

『大丈夫じゃないのに大丈夫なふりをした』というエッセイ集を読んでいる。 その中に「好きなことを見つけるには?」というタイトルのエッセイがあった。文章はこんな風に始まる。 本当に、その通りだな、としみじみと思った。 ここ数ヶ月、漠然と感じていたが、言葉にまとまりきらなかった思考が、形を取り始めたので、本を置いて、今この記事を書いてみている。 30代目前になって、ようやく自分の好きなことが少しずつ見えてくるようになった。 ひとつ目が、好きなアーティスト。 ふたつ目が、書く