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年度明けて三週目(20220114)

新年



 年が明けて三週目です。年末年始には街の雰囲気から溢れるエネルギーを創作やインプットにガッと使う積りだったのですが、実際には精神的な体調が悪くなってしまい、寝込んでいました。30日ぐらいから「発熱やだるさはないが精神的にキツイな。頭がのぼせている感覚がある」というしんどさがあり、正月に入ったら完全にノックアウトでした。駅伝……新春のスペシャルな映画……映画館……そういうものはできずに寝ていました。

 休息とは関係ないんですが、昨年から伊藤絵美さんの『セルフケアの道具箱』にお世話になっています。第三章の『ストレッサーに気づいて書き出す』のあたりをよく使っています。

 第三章について、どんな内容なのかざっくりまとめてみます。主に「ストレッサー」と、それに対する自分の反応である「ストレス反応」に気づき、「ストレッサー」や「ストレス反応」をノートやスマホに書き出していく作業(外在化といいます)です。

「ストレッサー」とは自分にふりかかる「出来事」「刺激」「変化」です。例えば、さっきまで晴れていたのに急に雨が降り出すことなど、「ストレスのもと」となることをストレッサーといいます。

「ストレス反応」とは、「ストレッサー」が自分にふりかかってきた時の反応です。「雨が降って嫌だな、服が濡れる」と不快感を感じることはストレス反応ですし、身体が冷えて風邪を引くのでは? と不安を感じることもストレス反応です。

 ストレッサーに一つひとつ気付くことで、また気づいた上で書き出すことで、様々な効果があります。ストレッサーに気づいて書き出すことに「セルフケア」としての意味がある……という内容です。こうしたセルフケアをボチボチ利用していました。

 書き出し方については、私は主にスマホでメモ帳やメーラーを開いて、下書きのところにストレッサーを書き記しています(宛先は書きません!)。例えばこんな風に。

「飼っている猫が思ったより自分になつかない」「外の風がうるさい」「皿洗いすると水が思った以上に冷たい」「MNPがよくわからない」「PCでWordが起動するのが遅い」「この間本屋で八割引の雑誌を売っていたが買わなかった。いまになって買えば良かったという後悔を感じる」「いま腰と肩が痛いが十年後はどうなるのか不安を感じる」「猫の鳴き声がやかましい」「洗面所の水垢が不快だ」「外で叫び声がしてビクっとした」「隣室のテレビの音がうるさい」「耳鳴りが起きた。今後も耳鳴りに悩まされるのかと不安を感じる」「PCの動きが遅すぎる。やはりメモリ4Gは失敗だったと後悔を感じる」「スマホを買い換えようとしたら思ったより高価だ」…………など。

 じっくりストレスに取り組みたいなら、ノートに書く方がいいかもしれません。とはいえ私は速効性を重視しているので、思いついたらスマホでメーラーを開きます。どこまで書いたらいいかという問題もありますが、私は疲れてきたらやめます。昔は嫌なことがあると、ノートにペンで何頁にもわたって書いていました。が、数年経って読み返そうとしたら、悪筆すぎて読めなかったんですね。書きなぐりの部分も多かった……残念だったので、しばらくスマホで入力しようと思います。

 こうしたストレス日記をつけているといろいろと気づきがあります。「俺はうるさい系に弱いな」とか「今度MNPについて調べてみるか」とか、または「俺同じストレスばかり反芻してないか?」という考えも浮かびます。

 つまり、頭の中でぐるぐる回っている思考ってたいてい似通っているものなんですね。おそらくは何年、何十年も生きているうちに、自分の頭の中身は固定化されるし、ストレスへの考え方も固定化されてしまう。

 なので、対処するしないは別にしても、普段そばにあるストレスに気づくだけでも、ストレスに対する心持ちは大いに違ってくるように思います。

 こうしたストレスは様々な分野にわたります。風邪とか雨に対する物理的なストレッサー、家庭、家族、育児、家事、介護に関するストレッサー、仕事や学業、人間関係、自分の心身についてあるいは心身の健康に関するストレッサー、お金や生活面……など。以下ちょっと引用します。

つまり、生きている限り、必ずストレッサーはあるのです。大事なことは、ストレッサーを無理になくそうとすることではなく、ストレッサーに対して目をつむってそれを見ないようにすることでもなく、それぞれのストレッサーに気づきを向け、「ああ、今の自分にはこういうストレッサーがあるんだな」と受け止め、外在化する(書き出す)ことです。上にも書きましたが、ストレッサーを日々観察し、書き留めるだけで、セルフケアの効果があることが心理学でも確かめられています。

伊藤絵美『セルフケアの道具箱』107頁、晶文社、2020

 といっても、使っている私自身が具合が悪くなって寝込んでいるので、そのあたりは今年の課題でもあります。もっとムキムキになって強くなるしかない……そして昨年から溜まりっぱなしのタスクを地道に減らしていくしかないかな……とも考えます。よかったら『セルフケアの道具箱』も読んでみてください。

使っているノートPC


 ダイハードテイルズさんの日報で「ノートパソコン変えました!」とあり、いいなあ! と思ったので私の環境も載せてみます。しょぼすぎて火を吹くぜ……!

 メーカーはLAVIEを数年使っています。前までは知人にオススメされた自作PCを使っていましたが、想像以上にメンテナンスが大変だったり部品を買い間違えたりと大変なことが多かった……ので、暗黒の経験を活かして、気楽なノートパソコンにしてしまおう……ということになりました。

 そして我が家のLAVIEです。具体的なスペックを見てみますと、

CPU:Intel(R) Core(TM) i3-7100U CPU @ 2.40GHz 2.40 GHz
メモリ:4GB
ストレージ容量:1TB

 CPU、ストレージ容量はまずまず。問題はメモリ! 率直に言って足りなすぎる。例えばnoteを書くとして、体感としては一窓一タブで、マジでシングルに書き続けてようやく動作する状況です。途中でSTEAMとかNETFLIXとか開こうとしたらブラウザがフリーズして使い物にならなくなります。

 Windowsの起動に十分かかり(そういう時代だと思ってました)、Wordの起動に十分かかり(officeも技術革新だな)、メーラーを開くのに五分かかる(スマホ時代にはやむを得ない←?)となり、ここまで来てメモリの問題に気づきました。

 メモリの規格はDDR4なので拡張できそうですが、私は不器用なので悩んでいます。自作PC時代は大波乱でしたが、具体的には組み立て時にメモリが中途半端にしか刺さらなかったり、フレームの取り付けでどこか壊してました。

 シングルを続けるならば問題ありませんが、メモリが足りないと、新しい拡張機能を入れるとか、新しいソフトを導入するところでビジー状態になりやすいです。googleスプレッドシート……動画とか画像ソフト……いつか使ってみたい。将来的にマジで買い換えるか、メモリ増設を考えたほうがいいのかなって思ってます。

『戦場のレビヤタン』を読んだ


 ちょっと前に読んだ本を紹介します。

 砂川文次『戦場のレビヤタン』文藝春秋、2019。
 中編集で、『市街戦』と表題作の『戦場のレビヤタン』が収録されています。

『戦場のレビヤタン』は、元自衛隊員で、いまはイラクで武装警備員として働くKの話。Kというファーストネームを表すアルファベットが、抗弾ベストに印字されているのが現代的。

 Kのかつての過去や葛藤、苦悶が強めに描かれているものの、筆致が乾いてそれほどウェットな感じがないので、気楽に読めます。例えばKが自衛隊を辞めた後、無職時代について描かれていますが、

 意味もなく総武線に乗り、降りたことのない駅で、例えば津田沼とか亀戸だとかで降りて、できるだけ自分の生活圏から遠く離れてみようと試みたりもした。しかしそれも長くは続かず、せいぜい二、三日か、ややもすると十時間足らずで帰って来ることもあった。それなりに値の張る自転車を買って、無意味に甲州街道をひたすら西進したり環状八号線を南下したりもしたが、得るものはまるでなく、ただ徒労感だけが募るばかりだった。(前掲書、47~48頁)

 あ、あるある~~! と唸ってしまった一文。とにかくやることがないので、思いついたことを片っ端からこなしてみようとするも、始めた途端に「これはナシだったな」と気づく一瞬。ナシでも途中でやめたら徒労感が大きいので、なし崩し的に最後まで付き合わざるを得ない虚無感。

 しんどさは日本とイラクでは全く種類が異なっています。日本では資本主義社会の息苦しさとして、イラクは戦場という過酷さで別々に表現されています。読ませるものがあります。

『市街戦』は自衛隊員が行軍の訓練で延々と歩いていく話です。主人公のKが何十キロも道を歩いていくのですが、朦朧とする意識の中で過去がフラッシュバックして現在と入り交じる。色々な人々が異なることを連想し、考えていくという捉え方が面白い。最終的に展開はタイトルに帰着しますが、入り方が特段に良いです。文章の一文一文がワンカットの映画のように映像的。政治的な文章を排して、ひたすらに一兵卒として戦う主人公としてのK。

 同時に爆発音、銃声が聞こえた。丘の頂上にたどりつくと視界が開けてきた。その下側は、案の定下り坂となっていたが、広がった平野のちょうど視界二分の一くらいにぽつんと車両があった。Kらが頂上を奪取すると同時に一瞬頭を天に向けて突き上げたかと思うと、すぐに地面すれすれに頭をこすりつけるようにして前進してきた。八輪の装甲車だった。敵はこの丘が奪取されたときのことを考えて、やはり逆襲部隊を用意していたのだった。
「LAM手! 前へ! 前へ!」
 小隊長が叫ぶ。(前掲書、156頁)

以上です。今年もよろしくお願いします。

《終わり》










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