溶かさなければ凍らない
「はぁ?なんで牛乳切らしてんの?」
「ごめん、今日全部シチューに使っちゃった」
「あっそ」
仕事から帰ってきた母はまず先に僕に苛立ちをぶつけてきた。
あまりに美味しそうなシチューのレシピだった、作ってから後悔したのは失敗したからではなく母に叱られてしまったからだ。あんなに美味しかったのに今はもう見たくもなくなった。もぐりこんだ布団のぬくもりだけが優しく僕を包んでくれた。
夜が明けて、またなにか言われるのも嫌だし、自分も使いたいから牛乳を買いに行くことにする。母を見送り、買い物へ。いつもと変わらない道、いつも変わらない店、いつもと変わらないパックを手に取る。
いつもと違う異変に気づいたのは、レジに並んだときだった。財布がない、おかしいな、忘れてきたのか?かばん、服のポケットを探るうち、ひとりまたひとりと会計を済ませていく。自分の番になってしまった、バーコードを読み取り、金額を告げた店員さんに何も渡せないでいると、
「お客様、お金をお持ちでないようですが?」
「そ、そうなんです、すいません。忘れてきちゃったみたいで...」
「なるほど...ところでお客様、大きな悲しみを抱えているようですね。こちらで買取して、それで支払っていただけますよ」
「えっ?」
どういうことか聞こうとした僕に店員さんはバーコードリーダーを突きつけ、ピッと鳴らした。
「ご利用ありがとうございました」
街灯と月明かりだけに照らされる帰り道、何故か来たときよりも心が晴れやかだった、悲しみを買い取る?そんなことができるのか?まぁなんにせよ買えて良かった、嫌な気持ちもどこかへ行ったことだし。
コーヒーにミルクを入れるのが好きだ。砂糖はいらない、気分でシナモンを入れる、ただ牛乳は必須なのだ。お湯を注ぎ、牛乳を混ぜ完成したコーヒー、早速飲もうとしたが買い物から帰ったばかりの手はかじかんでいてコップを落としてしまった。急いで拭いているとそこへ母が帰ってくる。
「なんか割れてない?」
「いや、これはその...」
「また壊したわね!」
また悲しみを背負ってしまった
僕の心は溶けて、また凍った。
こんな気持はいらない、早く売りに行こう。
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