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生きるために、死について考える

4/13(土) ~ ヒカリエで開催される、Deathフェスを前に死と捉え方について考えてみた。

祖父の死

最初の身近な死は、祖父の死だ。ガンだった。

よく晴れた日だった。私は小学5年生で、校庭で体育の授業を受けていた。タクシーに乗った母に連れられて、入院していた総合病院へと向かった。ついた時にはすでに危篤状態で、意思の疎通ができなかったが、手の温もりは伝わってきた。この頃は、死を認識できていなかったからなのか、1階の畳の部屋で冷たく横たわる祖父の鼻毛がだんだん伸びていったことに、不思議だなと感じた。

亡くなる1週間前にお見舞いする予定だったが、友達の家に遊びに行っていたため、最後に会う機会を逃してしまった。仏壇で拝むたびに、それを思い出してしまう。

ガンは余命があるため、抗がん剤治療で苦しくても、最後を迎える準備ができるんだなとも思った。準備する間も無く、事故で突然終わりを迎えるよりは、少しだけ救があるのかもしれない。お寺での通夜の時、雷雨だった空に晴れ間が出て、虹が出た時にとても神秘的だなとも感じた。

祖母は口が強く厳しい人で、それに比べると祖父は優しかったように思う。私が初孫だったからかもしれない。じいちゃんとの思い出は、渋谷の道玄坂を登った、あの古い床屋だ。整髪剤のツン香る部屋で、退屈な待ち時間を終えた後の楽しみは、モスバーガーだった。今もたまに食べる、作りたてのバーガーを頬張ると、当時の優しかったじいちゃんを思い出して、あったかい気持ちになり、心がほっこりする。

愛猫の死

2023年の7月30日に20年飼っていた猫が死んだ。

「ラッキーちゃん、もうダメかもしれない」と母から告げられ、終わりの瞬間のぎりぎりに立ち会えた。看取れたのは、ありがたく、今まで生きてくれたことに感謝しかない。

最後は息をするのも苦しそうで、撫でながら見送っていたところ、ガブっと指に血が出るほど噛まれてしまった。亡くなったその時、目の色が変わって、筋肉が緩んで保っていたものが外に出てきた時、「これが死ぬってことなんだ」と、死を実感した。火葬したあと、焼け残った中に、トイレの砂があった。誤飲による腸閉塞だったかもしれないと、気づいてやれなかったことを悔やんで、泣いた。

時間の効力に期待しているが……服についている白黒の抜け毛を見つけたり、1階の出窓で待っているような影が見えたり、存在を感じると目頭がぎゅっと熱くなる。正直、人生で一番悲しい死だ。

ラッキーちゃん

先輩の死

同年の12月、お世話になったKさんが病気のため亡くなった。

コロナが一旦落ち着いた2年前に、飲み会をした時はとても元気で、また飲もうねって約束していたのに。なぜ連絡をしなかったんだろう、なぜ連絡してくれなかったんだろう……知ったのは突然のことで、本人からは病気だったことも、何も聞いていなかった。その日は、仕事が手につかなかった。Kさんとはお酒やグルメの趣味があったので、グルメ仲間たちと毎月企画して美味しいものをよく食べに行った。

ご家族の意向で、お通夜などは親族だけの参加だったので、お別れもできなかった。仲が良かった当時の同僚と、年末に献杯したことで、少し気持ちが軽くなったけど、今でもLINEのやり取りや、アカウントが残ったままで、生きているんじゃないかと思って時々振り返ってしまう。

死ぬこと

自分が死ぬことを想像できない。

自己啓発本には「終わりを意識しよう」や「明日死んだらどうする?」、「お葬式でなんて言われたい?」など死にまつわる質問も多いです。でも、読んだだけで「はい、そうですか」と納得できず、人生の終わりを想像できませんでした。

身近な死に対して、生きている方は何か意味を持たせたいなと、勝手に思ってしまいます。生きる意味だったり、人生を振り返ったり、これからどうしたいかと考えたり……

まだ若いからなのか、現実味がないのも理由だと思います。いつ死ぬのかが分からなくて、何となく怖いなとも思っていますが、死に怯えながら生きたくはないです。

今のままで死んだら、後悔するとは思います……寿命が分かったら、いいのかな……

この辺りの現実感というか、自分が死ぬということに対しての想像が曖昧のため、Deathフェスでは自分が終わりを迎えることについて、納得できるような、現実として受け入れられるような機会にできたらと思いながら、参加します。


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