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親切をした時に「ありがとう」と言われたいと思うのはエゴなのか

困っている人を見かけると、
先に行動してしまうことが多い

青年期にボーイスカウトに入っていたのが影響しているのだろうか。それとも、相手から何か得られることを期待しているのだろうか……

親切をした時の反応は人それぞれで、面白い。

自転車が倒れそうな人

商店街にある駐輪スペースから、自転車に乗ろうとしている女性。隣の前カゴに、ハンドルが引っかかって倒れそうになっていた。通りがかった私は、さっと反復横跳びをするような勢いで、倒れそうな自転車を押さえる。

「ありがとうございます。」

感謝をできる人は、普段から言い慣れているのだろう。特に意識するほどでもなく、当たり前になっているんだ。

「大丈夫です。」

私はというと、返答には慣れていなかった。
「お気になさらず」とか、「お気をつけて」とか言えば良かったのだろうか。相手もそう言われて、なんと返せば良いのか分からずに、ただありがとうございますを繰り返す。

微妙な関係性の中での会話は慣れない……
しかも、大したことをしていないし、感謝されることにも慣れていないので、ちょっと恥ずかしい。相手とちゃんと向き合うこともせずに、そそくさと立ち去ってしまった

階段の前で立ち往生している人

お子さんを連れた、ママ友2人組がカラオケ店のあるビルの階段で、立ち往生していた。ギャルといえばそうなのだが、焼けた肌で若い方だった。

「手伝いましょうか?」
「ありがとうございます〜、助かるわ〜!」

やはりというか、想像どおりというか。相手との距離のつめ方がメッシと同じくらい、めちゃはやい……1台目を運び終わり、2台目を手伝っていると唐突に

「もしかして、既婚者?結婚してる?」
「してません笑」
「本当に?いい父親になるよ〜笑」

とのことだ。初対面でいきなりだと思いつつ、別に嫌な気持ちにはならなかったので、そう思うようにしておこう。まあ確かに年齢よりも年上に見られてきたが、そろそろ顔に追いついてきた感はある。

おにぎりをうまく開けられない人

渋谷のTOHOシネマズに向かう途中の花壇に座った西欧系のカップルが、おにぎりと文字通り格闘していた。ぐっちゃぐちゃになりかけていたので、

「Can I help you ?」
「Sure」
「Can I touch this ?」
「Off course!」

半分ラッピングを脱ぎかけたおにぎりに直接手をつけるので、許可をとりながら教えてあげようとした。が、中途半端な状態で、なかなか開けられなかった。(どうやつたらこうなるんだとぶつくさ言ったような気もする……)

日本では幼少期から折り紙などに馴染みがあるから、特に意識せずに開けられていたけど、初めて見たら難しいよなと思いつつ、なんとか開けられた。

「Open this Onigiri, just three steps. 1st, pull No.1 tag from top to bottom. 2nd and 3rd, pull left and right……」
「Wow, that`s cool thankyou !」
「Have a nice day!」
「You too!!」

なんの映画を見たのかは覚えていないが、おにぎりを食べるたびに、ちょっとだけいい気分になる思い出だ。

電車に飛び乗ってきた人

渋谷からの帰りの電車内、停車時間に飛び乗ってきた女性2人組。密閉型ではなく、何かあった際に対処できるようにオープン型のヘッドフォンをしていると、

「この電車、目黒行くかな」

という会話が聞こえてきたので、
ヘッドフォンを外して

「これは行きません、一個下の階の東横線に乗ってください」

と下というジェスチャーを添えて教えてあげた。どこかですでに1杯引っ掛けてきたからか、ちょっと恥ずかしかったからなのか、少し顔を赤め笑いながら出ていく2人。

おせっかいといえばそうだけど、何か一言あってもいいのでは……とも思ってしまう。

困惑する人々に対する対策

自転車を手伝うとき、ベビーカーを運ぶとき、道に迷っている人もそうだけど、声をかけ慣れていないからか、人を頼ったことがないからか、一声かけた時に困惑する人も少なくない。

こちらとしても、余計なことをしたとは必要以上に思わないようにしているが、無視されたり、何も反応がなかった場合はちょっと凹んでしまう、人間だもの……。

そうした変な状況に陥らないような対策を1つ挙げる。それは、相手の目を見つめることだ。

素早い判断が必要な状況以外では、かなり使える。困っていそうな人を見つめると、大抵の場合向こうから助けを求めてくる。アイコンタクトは外国の方にも有用で、こちらから変に話しかけて断られるよりは心理的負担もかなり少ないので、おすすめの方法だ。

やった後悔よりも、やらなかった後悔

親切をした時に、「ありがとう」と言われたいと思うのはエゴなのか。という問いには、そうだと返答する。

そもそもが、あの時声をかけておけば良かったと私が思いたくないから、声をかけたりすることが多い。

その場合、親切な行為自体も自己中心的な後悔や罪悪感から逃れたいがためのモノなのかもしれない。それを偽善と言われようが、困っていたら助けるのが理想的な自分だ。

感謝の言葉があると、やってよかったと素直に思うことができる。ただ、どう反応するかは相手次第で、自分が親切にできたと思えれば、それだけで良いのでは?ということにしておこうか。

変に相手に期待せず、相手をどうしたいと思わないように穏やかに生きたいな。

over.

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