ヨーガで利他の精神を学ぶ
前回のnoteに、
全人類の目標は、真我、
調和的で利他の精神の魂とつながる事で、
魂とつながるには、
自我意識、利己の精神で生きるのでなく、
利他的に生きる事が必要だと知った事を
書きました。
私は、恥ずかしながら
利他の精神を、
今まで特に意識して生きてこなかったので、
いまいち自分事として捉えてなかった事に
気付かされました。
ヨーガを習い始めたばかりの頃、
先生は、私達生徒に、
公衆トイレや洗面所は、次使う人の為に
綺麗にして下さいね。とおっしゃいました。
当時これが、ヨーガとなんの関係があるのかな?と
全くピンときませんでした。
ヨーガを学び続けるうちに
このような、
自分以外の誰かのためを思って行う
ささやかな行動が利他の精神で生きる事の第一歩なんだな。と分かりました。
ヨーガの先生がご紹介してくださった本があります。
ご存知の方も多いと思いますが、
芥川龍之介の蜘蛛の糸です。
『地獄に落ちて苦しむ罪人のカンダタが、
生前たった一つの善い行い、
小さい蜘蛛を助けた出来事から
お釈迦様は、カンダタを地獄から救ってあげようと、
と美しい蓮が沢山咲き誇る極楽の池から
地獄の池へ、
蜘蛛の糸を垂らしてくださいました。
その蜘蛛の糸にカンダタは、
喜んで登りました。
その途中疲れて
ふと下を見ると、
後から後から登ってくる沢山の罪人を見て、
これだと糸が切れてしまう!
「こら!この蜘蛛の糸は、己のものだぞ。
下りろ。下りろ。」と喚きました。
その途端、急にカンダタのぶら下がっている所から
糸はぷつりときれてしまいました。
お釈迦様は悲しそうな御顔をなされ、
蓮は、そのような出来事に少しも頓着しないで
咲き誇っているというお話しです。』
人間、自分さえよければと利己の精神の塊で生きていく事は、
不幸になり、利他の精神が大切ですよ。
何事も独り占めは、良くない行いです。
本には、その行為をあさましいと書かれています。
カンダタが小さい蜘蛛を助けた事から
お釈迦様に、地獄から蜘蛛の糸で
救って頂くきっかけを頂いた事は、
利他の精神で善い行いをすると
後に善い助けが目の前に現れる。
という教えも書かれています。
自我意識のみでいきるカンダタ
(見られるもの)
一方、ただそれを見ている池の上の蓮の花
(魂、見るもの)
児童文学としてかかれたものですが、
奥が深くて大人の私もいろいろと考えさせられる作品です。
娘と一緒に、蜘蛛の糸を読んで
いろいろ話し合いたいとおもいました。
最後までお読みくださりありがとうございました😊
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