月経について、私が思うこと

月経はなぜ男女二元論で語られるのか。

「女の子って生理で大変・・・」「女なんだから生理くらい・・・」「女性の嗜みとして・・・」

人々がそう言葉を口に出すとき、生理がある男性やノンバイナリーの存在をないものとしてきた。

だれの身体に月経が訪れ、だれの身体に月経が訪れないのか。それは、ジェンダーと何もかかわりがない。
しかし、社会は月経をピンク色に塗り、月経の存在自体を女子トイレに隔離させた。
隔離されたことで、「生理」と口に出すことが難しい、恥ずかしいとタブーに感じるようになる。そして、月経があることは「女性」ということだと、「女性」ならば月経があるということだと、当たり前かのようにむすびつけられてしまった。

そして、月経がないのであれば「女性」ではない、月経がきたら「女性」になれるという幻想を抱く。その言葉に内包されない人間は、月経が来ることによる嫌悪感や月経が来ないことによる絶望感、希望感を胸のうちに秘める。

私たちには言葉が必要だ。すべての月経がある人を内包するための言葉が。だれも周縁化しない言葉が。

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