見出し画像

嫉妬

勧められて、宮沢賢治の『土神と狐』を読んだ。綺麗な女の樺の木に恋をした無骨な泥地の土神が、同じく樺の木に恋をして器用に彼女の気を惹いていく小利口な狐に、激しく嫉妬し、破滅していく物語である。

読みどころは、正反対の性質を持つ狐と土神の対比と、土神が内に抱えた鬱屈の変化であろう。

狐は、樺の木を喜ばせたくて嘘をつくのを止められない。
土神は、神というプライドゆえに自分を押し殺す。
狐は樺の木に、訊かれてもいない知識をひけらかして悦に入る。
土神は樺の木に問いかけて、返事が望まぬものだと怒りだす。
狐は、己の虚栄を恥じている。
土神は、誰にも敬われぬと僻(ひが)んでいる。

二人に共通しているのは、素直に真実の自分を表せないところだ。特に土神は、押し殺している分だけ、屈折の度合いも深い。
大切な場面であればあるほど、人が素直でいられなくなるのは、傷つくことから自分を守ろうとするためである。恋愛の場合、傷つけてくるのは恋する相手だが、鎧を着ていては気持ちは伝わらない。ならば恐れずに脱ぐべきなのに、そうする前に刀を抜き、脇にいる邪魔な誰かを斬って、そのひとときだけ胸をすっきりさせ、苦しみから逃れようとする弱い心が人にはある。
土神も、そうやって破滅に向かっていく。賢い頭で冷静に自己分析さえするのに、嫉妬の炎に焼かれると、そんなものは吹っ飛んでしまう。

神さえも愚か者にする、恋とはいったい何なのだろう。
実は、肝心の樺の木は、少しも魅力的ではない。ただそこに佇み、一方でインテリ狐の自慢話に無邪気に感心し、もう一方で粗野な土神に怯えているだけで、そのどちらの本質にも、目を向けようとはしない。
何故こんな木に、土神と狐は激しく恋をするのか。その答えは、おそらく嫉妬だ。

狐が樺の木の愛を得ようとひけらかす知識や教養は、土神にとって、これまで望んだことのないもののはずだ。なのに、樺の木がそれを褒めた途端、土神は嫉妬の炎を吹き上げる。自分に欠けているものを突然切望し、それを持つライバルを妬み憎む。
嫉妬の猛火に焼かれる苦しみから逃れるには、樺の木から愛されるよりほかはない。その時点で、土神の樺の木に対する愛情は変質している。しかしそれは、彼にとってもうどうでもいいことだ。


自分が熱望しつつ持てないものを、やすやすと手にしている人に対して、人は嫉妬する。才能、金、人脈、家庭環境、性格、容姿。どれもこれもその人が自分で手に入れたものなのに、 “奪われた” ような気持ちになって恨む。不思議な感情だと思う。
それが高じると、今自分が望みどおりの人生を送ることができていないのは、あいつに奪われたせいだと考えるようになる。そうしてぼんぼんと憤怒を燃やすうち、望みどおりの人生を送ることができない “本当の原因” は、煙の向こうに霞んでいく。それがすっかり見えなくなると、理不尽に殴っていい相手が目の前にいるだけの世界が出来上がる。
だから闇雲に殴る。こてんぱんに殴る。気が済むまで殴りまくる。
そんな道理のない攻撃は、相手のダメージが想像できる間だけ気分爽快で、覚めれば自己嫌悪しか残らぬ、たちの悪い安酒のようなものだ。飲まないに限る。


土神は、しかしそれを飲み干す。そうして、もう神でもなくなってしまう。あれほど強堅に守っていたプライドを、自ら踏みにじってしまうのだ。
何もかもを自分の手で壊したあと、土神は、壊した物の正体を知って打ちのめされる。そこで物語は終わり、わたしもまた打ちのめされている。

人は何故、持っているものを放り捨ててまで、持てないものを欲するのだろう。
人は何故、意に沿わぬものを遠ざけるのでなく、意に添わせようとするのだろう。
人は何故、ありのままの自分を素直に愛せないのだろう。

次々に問いかけが頭をよぎっていく間にも、わたしは、物語の中で土神が何度か見せた嫉妬に悶え苦しむ号泣を、いつかの自分の涙と重ねて思い出している。


この物語を勧めてくれた人は、今、あるものを許そうとしている、と言った。叩きのめすことはできるが、そうしないと決めたと言う。
いっとき苦しいかもしれないが、乗り越えるのは容易だろう。その人が許そうそしているものには、どう見ても、その人を土神のように破滅させるほどの価値などないのだから。

わたしにも、かつて同じように人を許したことがあった。覚えのない疑いをかけられ、一方的に責められ、おそらく仕事関係界隈でもそれを吹聴されたと思う。本当は、大声でことの顛末をすべて暴いてしまいたかった。しかし、しなかった。ごく身近な人にだけこっそり愚痴り、他には口を閉ざして、相手を許した。
そうできたのは、結局のところ、わたしが相手に嫉妬心を抱いていなかったからだと思う。逆に、誤解であることを受け入れずにわたしを責め続けた相手のほうには、深い妬みがあったのかもしれないとも思う。

誰かを妬むことは、やめられない。嫉妬の種は、いつでもどこにでも転がっている。
だからといって、無抵抗に炎を燃やしてはいけない。火がついたとき、燃料をくべる前に、相手をよくよく見てみるのだ。己を破滅させる価値のある奴なのかどうか、じっくりと、隅々まで。
たいていは、自分のほうが何倍も何十倍も価値があるとわかる。わからなかったなら、わかるまで待て。

※記事を気に入っていただけましたら、下の♡マークを押していただけると励みになります(noteに登録していなくてもできます。その場合、どなたが押されたのかこちらにはわかりませんので、お気軽に)。岡部えつ

わたしは日本のGIベビーの肉親探しを助ける活動をしています[https://e-okb.com/gifather.html]。サポートは、その活動資金となります。活動記録は随時noteに掲載していきますので、ときどき覗いてみてください。(岡部えつ)