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新宿午後八時

新宿に、20年近いつき合いになる馴染みの店がある。
まん延防止とかのせいで、17時開店だというのでその時間に行ってみると、案の定、客はわたし一人だった。
「まったく、夜8時からウイルスが出てくるってわけじゃないのに、愚策だよねえ」
座るなり御上(おかみ)をくさすと、
「でもね、お客さんも歳をとってきたせいか、17時オープンのほうが嬉しいって人も結構いるから」
店主はにこにこしている。

しかし結局他に客は来ないまま、以前なら飲み始める頃に、そろそろ店じまいという時間になった。

実はその日、わたしは小さな鬱屈を抱えていた。彼に相談しようかどうしようか、迷いながらハイボールを舐めていた。
いつものように、その晩も楽しい話題が尽きなかった。最近引っ越した彼の新居のこと、料理のこと、共通の友人のこと、健康のこと。映画や小説の話で激論をかわすことも少なくないのに、この日は他愛のない話ばかりだった。
ケラケラ笑っている間は、鬱屈を吐き出す気になれない。

今日は相談しないで帰ろう、もう少し一人で悩もう、そう心を決めたとき、何かの流れで、彼の中学時代の思い出話になった。
「昔はこの話をすると、僕、泣いちゃって。今はもう泣かないよ」
そう前置きした彼の顔は、相変わらずにこにこ顔だ。
「聞かせて」
わたしはグラスにウイスキーを少しだけ足して、カウンターに頬杖をついた。

     *

新聞少年だった彼は、その日も夕刊の配達のため、部活を早退した。
新聞販売店へ行くと、手際よく自転車の荷台に新聞を載せ、ゴムロープで止めて走り出す。

配達コースの途中に、中学校があった。
校庭が見えてくる。野球部やサッカー部の連中が、真っ黒になって練習している。その向こうには、彼の所属するバレー部の仲間たちも見えた。

「よーう!」
白球を追っていた一人が気がついて、手を振ってきた。
同級生たちは皆、彼の父親が8人の子供を置いて出奔していることも、そのせいで彼の家庭が厳しい暮らしを強いられていることも、家計を助けるため、彼が小学生の頃から納豆売りや新聞配達をしていることも知っていた。

「おーう!」
彼が、手を振り返したときだった。
背後で、バサバサッと嫌な音がした。急停止して振り返ると、荷を固定していたゴムロープが切れて、新聞が風に飛ばされていた。
彼は片手で自転車のハンドルを掴んだまま、もう片方の手で、荷台にまだ残っている新聞を押さえることしかできない。
すると、
「わあ、大変だー!!」
校庭中の生徒たちが一斉に、ボールやミットを放り出し、彼の方へ駆け出してきた。そして道に飛び出すと、空中を舞う折込広告を追いかけ、そこらじゅうに散らばった新聞を拾い集めはじめた。
「おい、あっちにも飛んでったぞ!」
「お前なにやってんだ、泥がついちゃうだろ!」
「おーい、こっちにもまだあるぞ!」
わあわあ言いながら駆け回っている彼らを見ていたら、涙がどくどく出てきて止まらなくなった。
「なあ、広告、適当に挟んじゃったけど、いいかなあ」
そう言いながら畳んだ新聞を渡してくれた友人が、声を出せずにいる彼に、
「おい、どうしたんだ、大丈夫だから、泣くなよ、泣くなよ」
と言ってくれた。

     *

「僕はそのとき、とっても嬉しくて、とっても悲しかったの」
そう言って、店主は話を閉じた。

昭和歌謡が流れる店内で、わたしは黙って泣いた。
頭の中には、少年だった彼が見ていた、とっても嬉しくてとっても悲しい光景が、青みがかった美しい映像となって広がっていた。
今はもう泣かないと言っていた彼も、泣いていた。

目尻をおしぼりで拭い、赤くなった鼻をマスクで覆って、店を出た。
病魔に怯えて人通りの少ない新宿通りを雨に濡れて歩きながら、来るときには重苦しくそこにあった鬱屈が、今は小さく縮んで、コロンコロンと転がっているのを感じた。
わたしは傘を少し上げ、黒い空に顔を向けて、ぷっと、スイカの種を吹くようにして、それを吐き出した。

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