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緩歩しようぜ

かんぽ くわん― 1【緩歩・寛歩】
(名)スル
ゆっくり歩くこと。「砂路(すなみち)を話し〱―した」〈思出の記•蘆花〉

 毎度毎度犬の訓練話で恐縮だが(ダッシュボードを見てもニーズは少ないように思える。きっと犬との楽しく面白い暮らしの話でも書けば見る人も増えるのかもしれない)、服従訓練には、緩歩の科目がある。犬は勝手に歩いてはいけない、そのため、わざと歩く歩を緩めたり、時には小走りしたりして、飼い主とともに歩くことを覚えさせる必要がある。引っ張ることは、犬の習性として存在する。リーダーであろうとすれば、群れを成す仲間たちの前面にたって、みんなを引っ張ろうとするのは当然のことなのかもしれない。とは言え、犬の好き勝手にされて、「犬の散歩」ではなく、「人間の散歩」になってしまっている事例によく出くわす。飼い主の考え方なので、無理強いはできないものの、大変だろうなあとは思う。犬に引っ張られて歩くのは、大型犬だろうが小型犬だろうが関係なく、「ひっぱり癖」と言う問題行動のひとつと捉えて、出来るだけ早く治す必要がある。ところで意外に知られていないのだが、今年の6月に『動物の愛護及び管理に関する法律等の一部を改正する法律(令和元年6月19日法律第39号)』が改正され、公布されている(施行は今後3年間かけて順次)。甘やかすことと愛護することは明らかに異なる。これは動物取扱業に携わる人たちのみならず、一般の愛犬家にも関わりのある内容になっているので、興味のある方、関心のある方は再度確認されたい。

 また、すれ違う時に相手の犬が吠えてすれ違うことがある。犬が吠えるのは、怖い時ばかりとは限らないのだが、概ね大型犬を怖がっていると解釈する人が多い(すれ違いながらそう言われるのでわかる)。前途したように、犬は一緒に暮らす『群れ』を大事にする傾向にある。よって、その群れが危険に晒されるような時にも、吠えることはある。誰か知らない人が来たときには、飼い主に知らせるために吠えることもある。また、群れの縄張りを侵すことがあれば、吠える。つまるところ、すれ違う相手の犬が怖くて吠えると言う固定した考えは、必ずしも当てはまらないこともあるのである。単に相手が大きいから吠えるというのは、雄弁な飼い主の考えるエゴのようなものであり、単に吠えることでしか感情表現のできない犬を縛り付けているに過ぎないと思うのだが。このことがわからないと、犬が吠えることが「いけない」ことと捉えてしまう。犬が吠えることは犬の習性なのであって、致し方がない。あくまでも「無駄」に(必要以上に)吠えることが問題なのである。

 ところで、スマホを観ながら運転するほど器用な人がいるようなので、厳罰化されるのだろうが、犬の糞尿を処理している側をすごい勢いで通り過ぎる車にも緩歩を促したい。何かと焦る師走になったからと言って、急がず慌てず、たまには、緩歩してみても良いんじゃないだろうか(もちろんこのことは自分にも当てはまる)。以上、今日、2年目の誕生日を迎えた自分の犬を愛護しすぎ気味に最近の雑感を書いてみた。

犬と暮らすということは、そのウンチやシッコに言うに及ばず、ヨダレや発情期の出血、ダニ、ノミ、抜け毛ー要するにその生理の全てと向き合って暮らすということだ。 ウンチの話をしながら、カレーライスを食べる必要はないが、傍でモリモリとウンチする姿を横目で見ながら食事する程度の神経は必要だ(p54)。

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