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拝啓、裁判長殿。

 ある日の朝、女子友から久しぶりの「Signal」(日本でのユーザー数は少ないが、LINEのようなチャットアプリやメッセンジャーアプリと呼ばれるものののひとつ。)があった。内容は、「こういうの一緒に行ってくれる人が周りにいなくて...あんたなら一緒に行ってくれると思って。」

 そんな感じだった。「そんなヤバいとこなの?そこ」。と思ったのは、嘘で、実はもう既にその場所へは行ったことがあった。と言うより、すでに何度も行ってたし。

さて、それはどこか。

『裁判所』だった。

 相手の彼女は、なにもトラブルを抱えてたわけではなく、いわゆる「裁判傍聴」へのお誘いだった。お安い御用だとすぐ約束して、2人で待ち合わせ、地方裁判所へ行った。彼女の住んでいるとこの近くにある裁判所(そこへは僕ははじめて行くので)への道中は多少迷ったけど、予定時刻よりも早く着いた。

 今日の裁判予定が一階の宿帳みたいなのに書いてある。その内容をみて、僕は「どんなのが見たい、聞きたいの?」と訊いた。彼女は、「やっぱ、殺人系かなー」と言うので(こういう時の女性は意外に残酷というか、あっさりと言うので少々驚く)、それらしいのを選ぶ。

 朝方の裁判所にジーンズ姿でラフな格好な2人に違和感を抱く人はなく(裁判傍聴するのは誰でもできるので、意外に傍聴しにくる人は多い。報道されるような大きな事件だけでなくても、毎日法廷は開かれている)、慌ただしくスーツ姿の人と警備の人たちが行き交う。その日は、いわゆる凶悪事件はなく(通常、注目される裁判は傍聴券を得るための抽選になるので、並ぶ必要がある。中には、マスコミの代わりに傍聴券を得るために並ぶ人もいると聞いたことがある。)、とりあえず、直近の10:20分開廷予定の法廷へ向かうこととした。内容の概要といえば、被告とされる外国人が誰かを傷つけたということで、いわゆる傷害事件だった。

 外国人被告の場合は、通訳がともなうし、多くがスクリーン画面を使用することで、被告の主張の補助を果たす。しかしながら、すべてが通訳を通じても理解されている様子ではなかった。

 検察と弁護人双方が大きな六法全書を机の上に置いて、それはまるである種の儀式のように始まる。メモを取る人はいたが(撮影や録音は禁じられている)、よく報道番組で見るような「法廷画家」は見当たらず。また、ドラマで見るような激しい言い合いはなく、ひたすら確認作業のみ。被告が法廷に出て来た時に、腰紐(こしひも)を巻いて連れられてきたその姿を見た時のみ、リアル感は増した。

 法定は淡々と進み、次回開廷予定を調整し、閉廷した。

 外に出ると、弁護人が被告人の家族と話をする姿があった。聞こえる会話の内容は、情状酌量を得られそうだと弁護人、ありがとうございますと被告人の家族。被告人にも弁護が付くことは、あくまでも公平かつ公正を保つためには、やむを得ないとは思うけど、個人的にはなんとなく違和感を感じずにはいられなかった。

 裁判の是非ではなく、あくまでも傍聴の感想について、僕と彼女は、話しながら、地下の食堂でラーメンと半チャーハンのセットを食べた(付き合ってもらったので、私が奢ると言うので、ありがたくご馳走になった。こんなお誘いならいつでも構わないので、また連絡お待ちしております)。

 その後も裁判スケジュールを見ながら、いくつかの裁判傍聴をしたけれど、いわゆるドラマティクな裁判に出会うことはなく、淡々と僕たちの裁判傍聴ツアーは終了した。

 裁判員制度が始まる前後の話だけども(裁判員裁判が始まって今年で10年になる)、いきなり判決公判に出会すことは少なく、通常の公判であれば、時間さえあれば、傍聴する機会は決して少なくない。しかしながら、すべては始まりであって、相手が控訴、抗告する限り、それから幾度もなく裁判は行われることになり、結果が出るまでには何年もかかったりする裁判も珍しくない(日本は三審制をとっており、地方、高裁、最高裁まで争うことができる)。いわゆる冤罪事件のことも考えなければならないために、端的に答えを出すことは難しい。裁判の当事者になることは、できることなら避けたいところだけど、傍聴くらいはしておいても損はないと思う(裁判員に選出されたことは今のところない。)。まだ、一度も行ったことがない方は、一度くらいは出かけてみてはいかがだろうか。大川興業の阿蘇山大噴火の下記記事なんかも参考にされると興味が湧くかもしれない。

 僕が初めて読んだ彼の作品は、これ。この本の帯が「見れば病みつき」。なるほど。また、この頃の阿蘇山大噴火は坊主姿だったりする。さらには大川総裁とのイベント時に購入して、サインももらっている。それがどうした(笑)。

 敬愛してやまないアルフレッドヒッチコックも小さい頃から裁判傍聴をしていたという。犯罪者の心理を知りたい、もしくは単純にヤバいものをみたいという欲望を満たし、映像化して、共感を呼びたいというのが彼の深層心理にあったのかもしれない。そして、その欲望を合法的に満たしてくれ場所が、裁判所という場所だったのかもしれない。



 

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