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マドレーヌと紅茶が引き起こす衝撃的な喜び。人はなぜ食べ物を浸して食べるのか?

今年4月に出版した「パリのスイーツ手帖」は、パリのお菓子60品を取材して紹介した本だが、ガイドブックではない。現代の主役級フランス菓子の由来や、それを作り上げてきたメゾンの背景を追いながら、フランスやパリの歴史、文化を語ってみたいということで作った本である。なので、表紙もそれにちなみ、偉大な作家の似顔絵を配した。

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しかし、今一つ日本人には知られていないらしく、当お菓子教室の生徒からも、あの男の人は誰ですか?と質問が。出版社の意図としては、この人は誰?と思って本屋でその表紙を見たときに、足を止めてくれそう、ということであえてこの表紙にしたそうだが・・・。
彼は、なにを隠そう、アンドレ・ジッドやポール・ヴァレリー、ジェラール・ネルヴァルに並ぶ、20世紀を代表する作家のひとりで、「失われた時を求めて」という、長い小説を書いたマルセル・プルーストである。それがなぜ、お菓子の本の表紙になったかというと、その小説の第一篇「スワン家のほうへ」に、マドレーヌと紅茶から呼び起こされる主人公の回想の場面があるのだ。以下にその一説を抜粋する。

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彼女(彼女とは主人公の母である)はお菓子をとりにやったが、それは帆立貝のほそいみぞのついた貝殻の型に入れられたように見える、あの子づくりでまるくふとった、プティット・マドレーヌと呼ばれるお菓子の一つだった・・・機械的に、ひとさじの紅茶、私がマドレーヌの一切れをやわらかく溶かしておいた紅茶を、唇にもっていった。唇にふれた瞬間に、私は身震いした。すばらしい快感が私を襲ったのであった・・・いったいどこから私やってくることができたのか、この力強いよろこびは?それは紅茶とお菓子の味につながっている・・・。(筑摩書房 井上究一郎訳)

途中、略したところもあるが、要するに、彼の喜びというのは、突如としてあらわれた回想で、それはノルマンディーの海辺の町、コンブレーの叔母の家に滞在していた時に、やはり叔母がお茶にマドレーヌを浸して食べさせてくれた思い出につながり、そこからさらに、かつての幸福だったころの風景を思い起こす喜びにつながっていくのである。


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(この小説は長いので、漫画も出版されている。主人公は、紅茶に浸したマドレーヌを食べることにより、下の絵のように、叔母に同じものを食べさせてもらったことを思い出す)

ということで、表紙の絵をフランス人に見せると、口をそろえて、あ、プルーストね、ということはマドレーヌも載っているのね、と反応する。日本で言えば、猫=夏目漱石、と言ったイメージだろうか。

この下りにもあるように、どうも、フランス人は、パンやお菓子を飲み物に浸すのが好きである。私の友人も、ケーク(パウンドケーキ類)をカフェに浸して食べる。私が思うに、フランスではお菓子作りに使う小麦粉が強力粉に近いので、食感がちょっとパサパサするのが特徴だ。なので、水分を含む方が食べやすいのだろうと分析する。

ちょっと脱線してしまったが、ここでマドレーヌを語るとき、この小説で語っているマドレーヌの形状が、一般に出回っているマドレーヌの貝殻型と異なることに気づく。
プルーストは、「それは帆立貝のほそいみぞのついた貝殻の型に入れられたように見える、あの子づくりでまるくふとった」と記述している。ということは、当時は横に広がる貝殻の形が主流だったのではないだろうか。


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(これらの写真は、以前出版したパティシエたちを取材してお菓子と作り手の考え方を取材して書いた本の表紙と裏表紙だか、25人のパティシエのうち、帆立型を作っていたのは、オークッドの横田シェフのみだった)

↓これは、私が所有している型

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ところで、マドレーヌはいかにこの世の生まれたかについては諸説あるが、ありえそう説3つを以下に記載します。

1、 中世の素朴なパン菓子から発達し、本物の貝殻を型にしていたため、サンチャゴ・デ・コンポステラに巡礼に行く人たちに配られたと言われている。(サンチャゴ・デ・コンポステラに祭られているのは、帆立貝をシンボルとする聖ヤコブであるので)
2、 1661年のこと、ロレーヌ地方コメルシーに住むポール・ドゥ・グロンディという枢機卿が、当時彼のお抱え料理人だったマドレーヌ・シモナンに、いつも作る揚げ菓子の生地から他のお菓子を創るようにと命令したそうな。そしてできたのが、その料理人の名前を冠したマドレーヌだとか。これはかなり信憑性のある話らしい。
3、 1755年、ロレーヌ王国を治めていたスタニスラス・レクチンスキー公がコメルシーのお城で、宴会を開いたときのこと。お抱えの菓子職人が料理人と口論をしたあげく、出て行ってしまった。困りはてた公は、調理場で働いていた女中に、急遽何かお菓子をつくるように命じたのである。するとその女中は、みなの絶賛を浴びる美味なお菓子をつくった。公は大変喜んで、そのお菓子に彼女の名前、マドレーヌをつけたということだ。

3の誕生秘話がもとで、コメルシーでは、マドレーヌを本格的に工場生産するようになり、コメルシーのマドレーヌは全国的に有名になっていくのである。また、コメルシーでは、毎年夏に、マドレーヌ祭りを開催しているという。


 


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