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マレーシアの通貨の話

 世界には国の数と同じ通貨があります。マレーシアでは法定通貨「マレーシア・リンギ」が使われていますが、この通貨名が使われるようになったのはわずかに40年前。今回はマレーシアで使われていた通貨の変遷についてお話します。

独立時の通貨名はリンギではなかった!
 マレー半島ではマラッカ王国などが貨幣として金や銅、錫などを鋳造して使っていました。各地に独自の硬貨もありました。ポルトガルやオランダがマラッカを植民地としていた際も硬貨を発行していました。

 19世紀になるとマレー半島は英国の植民地下に入ります。この時代には「海峡ドル」という通貨名を使い、はじめは硬貨のみを発行していました。シンガポールやペナンなどで使われていましたが、1898年には紙幣の発行も始めました。

 現在のサバ州やサラワク州でも独自の通貨を発行。北ボルネオ勅許会社が管轄していた北ボルネオ(サバ州)では「英国北ボルネオドル」を1882年に導入。1953年まで流通し、「海峡ドル」とは額面価格が同等でした。また、サラワクでは白人王ブルック家が支配をはじめてから「サラワクドル」を使用。1858年に導入され、1953年まで約100年にわたって通貨として使われていました。紙幣も硬貨も製造され、額面にはブルック家代々の肖像画や氏名が刻まれていました。

 「海峡ドル」は1939年まで使用されていました。その後は「マラヤドル」を英国は採用。第二次世界大戦になると、日本軍が発行した軍票(通貨単位ドル)も発行されましたが、「マラヤドル」も併用されていたようです。

 戦後になると、英国政府はマラヤ・英国領ボルネオ通貨委員会を創設。そこが発行する「マラヤ・英国領ボルネオドル」がシンガポールを含むマレー半島と北ボルネオとサラワクで1953年から流通し始めました。この通貨は1967年まで使われていたのです。

 面白いことに、「マラヤ・英国領ボルネオドル」はマラヤ連邦独立の1957年の時点でもそのまま使われ、さらに1963年のマレーシア結成時にも通貨名は変更せずに使用されていました。英国から独立したにもかかわらず、通貨名には「英国領」と記載していたのです。この独自通貨を使わずに英国領時代のものを使っていた理由はおそらく通貨を発行する中央銀行が独立時に創設されていなかったからと思われます。
 
中央銀行は創設したものの
 1959年1月に政府はマラヤ中央銀行(現在のバンク・ヌガラの前身)を創設させました。経済的に自立を果たせていないことや米国など海外からの投資を促進するためには中央銀行の創設が不可欠と当時のドクター・イスマイル初代駐米兼国連大使(のち副首相)が強く主張しました。58年中頃にはワシントンから当時のラザク副首相に書簡を送って実現させたのです。しかし、この中央銀行はこのときは通貨を発行する権限が与えられていませんでした。

 1959年にH.S.リー財務大臣は、中央銀行創設と同時になぜ独自通貨の発行をしないのかを国会で説明しています。貿易が盛んなシンガポールと通貨が同じであることから国内外での貿易で「マラヤ・英国領ボルネオドル」が強い信頼を得ている。独自の通貨を発行した場合、シンガポールと金融上「取り返しのきかない切断を引き起こしかねない」ために見送ったと説明。通貨を発行するマラヤ・英国領ボルネオ通貨委員会が発行を止めた場合には、独自の通貨「マラヤドル」(39年~53年まで使用されていた通貨)を発行するとも付言しました。

 「マラヤ・英国領ボルネオドル」は、1963年のマレーシア結成や65年にシンガポールがマレーシア連邦の追放・離脱となったあともそのまま使用され続けます。

 しかし、1967年6月にマレーシアは「マレーシアドル」、シンガポールは「シンガポールドル」と独自の通貨を発行することになりました。それまで共有していた通貨を廃止して、それぞれの独自の通貨としたのです。ナショナリズムの高まりによって互いが共通の通貨から決別したとも言えるでしょう。

 ちなみに、マレーシアで年配の人が現在、ときおり「リンギ」のことを「ドル」と表現しますが、このときの名残で使っているようです。また、両国の通貨名は変わりましたが、1973年5月までは両通貨はまったくの同価値で、両国で使用できました。(注)

 現在の通貨名「リンギ」が正式に登場するのは1975年8月21日です。「リンギ」(Ringgit)とはマレー語で「ギザギザ」の意味で、植民地時代にマレー人の間では貨幣のことを「リンギ」とも呼び、その後も庶民の間では使われていたようです。

 同年に政府がなぜ新通貨名「リンギ」への切り替えに踏み切った理由は調べた限り出てきませんでしたが、マレー人ナショナリズムを反映したのかもしれません。それまで「ドル」という中立的な名称を使っていましたが、通貨名にマレー語を入れることで「マレー人国家」を印象づけることにしたのでしょう。ちなみに、現在通貨名略称としてRMが使われていますが、これは1993年に正式に導入されたものです。

 お金は毎日使われるものであり、通貨はその国のナショナリズムを浸透させる格好の「もの」です。しかし、マレーシアの場合、「リンギ」になるまで通貨名変遷は目まぐるしく、多民族社会で金融経済は華人にほとんど握られていた現状のなかで、ナショナリズムもしっかり定着していなかったことが独立から何度も通貨名が変わっていったのではないでしょうか。

 ちなみに、マレーシアのイスラーム教徒の間ではリンギのほかに通貨「ディナール」が実はあります。クランタン州政府が2006年にイスラーム教勃興当初の金貨をまねて「ゴールド・ディナール」を鋳造。州の入札で正式に使用できるように中央政府に提案しましたが却下され、現在は金の取引のみで使われています。

 同州はかつて金の採掘場所として有名でした。現在の採掘量は少量ですが、それでもクランタンは金の取引が盛んで、町中には金の取引場が多くあります。イスラームへの回帰もあってか、クランタン人はこの通貨名を使いたがっているようにも見えます。中央政府がもってきたリンギよりも、ディナールのほうがイスラームのアイデンティティーが強い彼らにとって愛着があるのかもしれません。

 さて、通貨名リンギは今後も使われ続けるのでしょうが、マレーシアで紙幣や硬貨については今後なくなっていく可能性があります。新型コロナの影響です。政府はこれまで電子決済を促してきましたが、ウイルスの感染防止のため、さらに積極的に各地での電子決済を使うように求めています。首都圏では概ね電子決済が使えるようになってきていますが、中国での農村部と同じように、マレーシアの地方でも紙幣や硬貨はなくなっていくでしょう。通貨名はなくならないと思いますが、これすらももう予測がつきません。どこかの国では「紙幣や硬貨のデザインを変える」と言っていますが、国全体で電子決済を浸透させる用意はない時代錯誤の方針だと思います。世の中、紙幣や硬貨を使わない時代に入っているのです。
 

(注)「マラヤ・英国領ボルネオドル」はブルネイでも使用されていましたが、やはり1967年6月にブルネイドルを導入。ブルネイドルは現在でもシンガポールと同等の額面価値で使用されています。

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