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日本人は本当に英語を話したいのか

 4月に入って心機一転、「英語でもやっぱりきちんとやろう」と思う方が多いのではないでしょうか。

 書店に行くと、ほかの言語を大幅に上回る英語学習の書籍がずらりと並び、どれを選んだらいいのかわからなくなるほどあります。それだけ需要があるということなのでしょう。

 それもそのはずで、日本の外国語学習の書籍は年間平均1500冊発行されています。総務省統計局の2019年の語学関連の書籍新刊点数は1473点、2018年は1535点でした。1日4冊あたりの語学関連の書籍が発刊されていることになります。言語別には統計は取られていませんが、そのほとんどが英語関連の書籍とみられます。

 さらに、少し古いですが、2016年の「年齢、学習・自己啓発、訓練と主なスポーツの種類別行動者率」(総務省統計局)を見ると、日本人の英語にかける1年間の時間比率(男女全年齢を含む)が11・9%と圧倒的で、英語以外の外国語学習は3・4%にとどまっています。つまり、日本人には「英語熱」がいまだにあり、本を買って一生懸命時間をかけて勉強しているということなのでしょう。

 一方で、毎年発表される世界の英語能力統計のEF英語能力世界ランキングをみると愕然とします。2020年の日本の能力順位は世界100か国中55位。「低い」レベルという結果が出ているのです。これは数年前から同じレベルで少なくともレベルが上がっている雰囲気すらないのが現状です。

 このギャップは一体どういうことなのでしょうか。

 日本の企業は多くが面接試験や昇格・昇進試験で英語を課すところが多くなり、それもあって皆が皆、英語の勉強をするのでしょう。さらに、英語を話せない私のまわりでも「海外旅行でいつか英語を話せるようにしたい」だとか「今後のためにも英語はしっかりとやっておかないと」とつぶやいてもいます。おそらくこういった方々はご多分に漏れずに書籍を買い続け、毎日コツコツと勉強をしているのでしょう。

 しかし、いつも思うのですが、こういった方々が英語を話したい真の理由は果たして何のためなのか。「給与をあげたい」「昇進するため」などと人それぞれだと思いますが、これらは真の理由にはならないと思います。単に生活水準をあげたいためだけの理由でしょう。その根拠としてTOEICにみな真剣になっていることが上げられます。このテストは英語の会話能力に何の足しにもなっていないことは明らかで、900点取ったところで会話ができないという人が続出しているムダなテストでもあるのです。そんなテストになぜみなが点数アップに邁進しているのか意味がわかりません。

 ほかにも仕事とは関係なく、英語の勉強をしている人たちがいますが、それは「英語が話せると知的に見える」といった体裁を単に作るためだけでもあるのではないでしょうか。そういった理由では果たして英語は真に上達はしません。

 私が子供の頃は中学校から英語のクラスが始まり、大学も含めると丸10年も英語を勉強していることになります。今では小学校から英語教育が導入されたようですが、しかし、ほとんどの日本人が大学を卒業しても英語が話せない。

 話せない人の「言い訳」として「受験英語で嫌いになった」とか「英語の教え方に問題がある」などいろいろと出てきます。世の中は英語ができて当たり前の時代になってきているので、それに対して追いつくために英会話学校に通ったり、ある程度お金のある人は短期の語学留学をするということになっているのでしょう。ちなみに、私の知っている人はオーストラリアに行って大阪の人とばかりつるんでいて大阪弁がうまくなって帰ってきたという人がいます。

 しかし、これだけお金も時間も費やしているのに一向に英語が話せない。語学の勉強の目的については以前にも書きましたが、目的が曖昧なまま進めているのも問題があるのと、実は、日本人は英語を身につける気はさらさらないのではないかと思っています。ただただ、「まわりがみんなやっているから」といった「全体主義的」「統一主義的」な感覚で流されているだけだと思います。先ほども指摘したように「知的に見えるから」という理由も入っているのかもしれませんが、いずれにしても表面的に取り繕うだけで、真の理由がないからほとんどの人がいまだに話せないのでしょう。

 私の場合、英語はやらざるを得ずにやった言語ですが、しかし、英語を身に着けたことで視野が広がったこと、日本語や日本文化、日本人のものの考え方なども見えたことなど多くの利点がありました。他の言葉をやることで自分の国のことがわかってくるのです。そのためにも外国語の勉強は英語に限らず重要だと思います。

 私はそもそもいろんな国に興味があったので、それを知るには取っ掛かりが英語というのが大きかったと思いますが、英語を身に着けて損をしたことはありません。人生を豊かにし、自分の考え方を柔軟にさせるためには語学の習得には大きなメリットがあるのです。

(写真:数年前に取った和歌山熊野本宮大社の桜)

 


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