見出し画像

障がい者にやさしいマレーシア

 マレーシアの社会は障がい者にやさしいと感じます。多民族社会で人々が多様な価値観をもっている結果なのでしょう。

耳が聞こえなくても働ける

 先日、グラブフードでお昼の食事を頼みました。するとメッセージが。

 「デリバリーする人は耳が聞こえないので、コミュニケーションはメッセージを介して行ってください」

 とのこと。メッセージのタイトルには「DEAF」とも書かれていました。別段、差別でもなんでもなく、こういう人もいるから対応はこうしてねというお知らせだったのです。

 その10分後にデリバリーが来ました。オートバイでやってきましたが、やはり耳が聞こえないので、オーダーしたという証拠を見せるため、携帯電話のスクリーンを見せました。向こうは親指でGoodのサインを出して、デリバリー品をもらいました。「ありがとう」という手話をしてくれましたが、その手話はすっかり忘れていて返すことができませんでした。ちなみに、当たり前といえばそうなのですが、英語とマレー語の手話は異なるようです。

 この出来事でマレーシアは障がい者にやはりやさしいなあと感じたのです。
 
 日本だとおそらく耳の聞こえない人がデリバリーをしたり、タクシー運転手だったりというのはほとんどありえないでしょう。日本という国は「身体的精神的に完璧な人間」を求める国で多様性をほとんど認めないからです。そもそもそんな人間なんていませんが、みんなと同じような人以外は日本人は受け入れられないのです。なので、耳が聞こえないや目が見えないという障がい者は日本社会で働くのが難しい社会なのでしょう。

 実は以前にクアラルンプールでも感心したことがあります。マネージャー以外すべて耳が聞こえない人たちが働いているスタバの店舗に行ったときのことです。

 オープニングからはずっと健常者が働いていましたが、ある日を境に耳が聞こえない人が店員になりました。レジは誰も喋らないのでとても静か。メニューがあって指差しで注文するだけ。注文を受け取ってレジももちろんその人たちが行い、オーダーされた飲み物を作る。トッピングや何かの追加もすべて書かれたものを指し示していくだけで、見ていてとても新鮮さを感じたのです。

 耳が聞こえない以外は普通。だったら耳を使う業務以外は何とかして働いてもらおうと考えたスタバのやり方に当初インパクトを与えました。

 また、前にグラブに乗った時、耳の聞こえない人が運転手だったこともあります。行き先は先にアプリで伝え、料金もクレジットカード引き落としなので、車内では別段コミュニケーションはいらない。そうだとすると耳が聞こえなくてもほとんど問題がないのです。

 ただ、運転は慎重にしているようですが、別の車からクラクションとかが鳴った時にどうするのでしょうか。日本人の感覚からすると、「それは危ない」というふうになるのでしょうが、マレーシアでは別段耳が聞こえない人が運転をしてはいけないという規定はなく、問題ないと判断されているようです。事故が起きたときに考えるというスタンスなのです。

目が見えなくても働ける

 目が見えないとさすがに運転は難しいですが、僕が在籍していたマラヤ大学では目の見えない教授が昔いらっしゃいました。

 点字で本を読むか奥さんに本を読み上げてもらって論点を整理して本や論文を口述してもらっていたようです。大学の図書館の中にも障がい者向けのブースがあって、そこで目や耳に不自由な人でも勉学ができるように工夫されていました。

 以前クアラルンプールで働いていたとき、近くの政府系企業の建物の前のバス停にいつも降りる目の見えない人がいました。

 そのおじさんは、普通に電車に乗ってステッキー(?)を使ってバス停に向かい普通にバスに乗って降りていくのです。

 目が見えなければ、人に聞いて連れて行ってもらったりもするので、もしかすると目の見えない人のほうがコミュニケーション能力が高いかもしれません。町中でも目が見えない人には誰もがやさしく接し、目的地に連れて行ってくれる人もいます。信号では立っていれば誰かが必ず横断を助けてくれます。

多民族社会の効用

 マレーシアの社会が障がい者にやさしいのは、多民族社会でいろんな価値観があるからでしょう。

 この社会は基本的に他の宗教や価値観を持っている人を批判することはありません。お互いが寛容な社会なので、障がい者という存在も普通に受け入れるのです。スタバやグラブという大企業が率先してこういった人たちを雇うことも「当たり前」として受け入れられています。

 マレーシアでは日本より障がい者を受け入れるハードルが低いのでしょう。日本だと障がい者を受け入れる前に環境整備などいろんなことを考えすぎて前に進まないのが常ですが、マレーシアの場合は問題が起きたときにその都度対応していく。そういった柔軟な姿勢も障がい者雇用を容易にしているとみられます。

 今は企業や社会がダイバーシティーやインクルーシブを受け入れる風潮になってきています。マレーシアは多民族社会という価値観が異なっても融和的に暮らしているので、こういった風潮を容易に受け入れる土台があるのだと思います。

 一方、均質社会である日本は、こういった風潮を受け入れる土台がほぼないと言っていいでしょう。最近は寛容的になりつつありますが、あの田舎中小企業の「ビッグモーター」の社員への扱いや広島マツダの障がい者の揶揄映像を見ているとダイバーシティーやインクルーシブといった考えは日本にはまったく根付いていないのではとも思います。

 日本は先進国とは言われていますが、欧米や他のアジア諸国と比べると遅れていると言わざるを得ません。すぐに意識を変えていくのは難しく、日本も多民族社会にしないとなかなか次のステップにはいけないのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?