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増えていくモスクの行方

マレーシアで日本と異なる風景の一つにモスク(イスラーム寺院)の存在が挙げられるでしょう。マレーシアはイスラーム教が国教として定められており、国内には多くのモスクがあります。現在は断食が始まって10日あまり経っていますが、モスクとの関わり方もこのパンデミックで変わっているようです。今回はこのモスクを歴史的な観点からみてみます。

(写真:マレーシア最古のモスク、クランタン州のカンプン・ラウト・モスク)

■そもそもモスクとは何か
 それではそもそもモスクとは何のことなのでしょうか。

 モスクとはアラビア語の「マスジド」から英語訛りになった言葉で、「ひれ伏すところ」という意味があります。マスジドはマレー語になると「ムスジッド(Mesjid)」で、アラビア語からそのまま転用しています。
一日5回のお祈りと金曜礼拝が行われる場所として基本的にあり、すべてのモスクは聖地メッカのカーバ神殿の方向に向いています。また、聖典『コーラン』やアラビア語を教わる学校となったり、対話集会なども行われ、イスラーム社会にはなくてはならない建物なのです。

 イスラーム教は偶像崇拝を禁じているので、モスクのなかはいたってシンプル。礼拝する大きな空間が設けられているほか、古いモスクには説教壇があったりします。

 外部にはミナレットという尖塔が建てられているところもあり、ここから昔は祈る時間に呼びかける人が「アザーン」を叫んでいたのです。現在はスピーカーに変わり、四方八方に向けています。ちなみに、一日5回のアザーンは録音ではなく、必ずライブです。さらに脱線すると、アザーン大会やコーラン朗唱大会があり、国際大会ではマレーシアはトップに入ることもあります。
 
 また、モスク併設にはイスラーム学校のマドラサや寄宿舎のプサントレンもあるところがあります。

 ただ、マレーシア国内では昨年3月に1万人以上が参加した宗教イベントを開催した後に新型コロナの巨大クラスター感染が発生。参加者の半数近くが感染したうえ、国内だけでなく、東南アジア諸国、遠くはインドにまでウィルスを散らしてしまいました。その反省もあり、感染者が多くなる地区ではモスクを封鎖したりしています。

■マレーシアで最古のモスク
 世界最古のモスクはサウジアラビアのマディナにあるカーバ・モスクで、カーバ神殿とも呼ばれています。これは622年には建設されたとされ、現在でも世界中からイスラーム教徒が巡礼にやってきます。

 それでは、マレーシアで最古のモスクはどこでしょうか。それはクランタン州コタバル南部にある「カンプン・ラウト・モスク」です。

 このモスクは、はっきりとした建築年代は不明なものの、15世紀に建てられたとされています。このモスクは木造建築。その建築や設計様式はジャワ島中部にある「ムスジッド・アグン・デマ」(1401年建立)の様式に類似しており、建築はこの頃だろうと推定されています。建てたのは、現在のベトナムにあったチャンパ王国とジャワ島の間を旅行していたイスラーム教指導者だったようです。カンプン・ラウト・ムスジッドは、まるで日本の昔の建築方法のように、釘を一本も使わずに建てられています。もともとはコタバル北部のトゥンパット地区のクランタン河沿岸にあったのですが、1967年の大洪水で土台が崩れて建物が崩壊しそうであったことから、1968年に現在の場所に移されました。

 次に古いのは、ペナン島にある「ムスジッド・ジャメ・バトゥ・ウバン」で、1734年に建てられた平屋のモスク。イギリスのカントリー・トレーダーで、ペナン島を1786年に領有宣言したフランシス・ライトが来る約50年も前に建てられたのです。石作りでその後は改築しているのですが、4本の柱は昔のまま残しています。

 3番目に古いのは、トレンガヌ州クアラ・トレンガヌにある「アビディン・モスク」。こちらは1793年に木造建築で作られたのですが、その約60年後の1852年に当時のスルタン・ウマールがレンガ造りに建て替え、さらにその30年後にドームを増設しました。現在では白いモスクとして有名で、多くのスルタンの墓地もあります。

 古く残されているモスクがイスラーム教が最初に布教されたとするマラッカ王国ではなく、東海岸とペナンにあるのは面白い現象です。

 イスラーム教は、中東の商人らがインドを経由してマラッカ海峡に入って布教し、マラッカ王国の王が改宗して、その後にマレー半島の人々の間にも広がったとみられています。マラッカ王国時代にモスクがあったことは記録されていますが、現在は残っておらず、ポルトガルとオランダ植民地時代になくなってしまったと思われます。

 20世紀に入るとも石造りやレンガ造りのモスクが次々と建設されます。なかでも有名なのが、クアラルンプールのかつての中心部だった「ムスジッド・ジャメ」(1909年建立)やクダ州アロースターの「ムスジッド・ザヒール」(1912年建立)、ペラ州クアラ・カンサールの「ムスジッドウブディアー」(1917年建立)です。

■次々に建てられるモスク
 さて、20世紀に入ってイギリス植民地下でも大きく立派なモスクが作られましたが、1957年にマラヤ連邦が独立すると、国や州もモスクを建設していきます。

 その一つが1965年にできたクアラルンプールの国立モスクです。独立直後から建設を政府は計画し、当初は初代首相の名をとって「トゥンク・アブドゥル・ラーマン・モスク」とする計画でしたが、本人が拒否し、代わりに単純に国立モスクと命名されたのです。15000人を収容できる大きさで、1988年にスランゴール州シャーアラムに24000人を収容できる「ムスジッド・スルタン・サラフッディン・アブドゥル・アジズ」(通称ブルーモスク)ができるまでは最大でした。

 その後もモスクは次々とでき、イスラーム開発局(JAKIM)の統計によると、2021年4月23日現在までに国運営のモスクは全国に73軒。最多であるのがトレンガヌ州の19軒。また、州立モスクはどの州も一つずつあります(ジョホール州には4つ、マラッカ州とトレンガヌ州にはそれぞれ2つ)。郡や村のモスクも含めると同日現在では6505件のモスクが全国にあります。中でも村のモスクが大半を占めています。
 
 全国でモスクが最も多いのはサバ州の1077軒。同州は国内最大の面積であることや少数民族の間でキリスト教徒も多いことからモスクを増やして誇示しているのかもしれません。
 
 次に多いのがジョホール州の822軒、ペラ州の652軒、パハン州630軒と続きます。また、クアラルンプール連邦直轄区は67軒と少ないのです。
 
 また、スラウと呼ばれる、現代ではショッピングモールなどにある礼拝所があります。かつてはモスクより小さい建物のことをスラウと呼んでいました。モスクとスラウの役割については不明確で、スラウは民間レベルで作られているのが特徴的です。また、すべてのスラウにはイスラーム指導者がいるわけでもないのが、モスクと異なるところです。
 
 モスクは同日現在で全国に17203軒あります。ジョホール、クダ、スランゴールの各州が多く、1900軒以上が点在しています。
 
 今後もモスクやスラウも増えていくとみられ、大規模なものも建設していくでしょう。
 
 ただ、モスクやスラウで集まると新型コロナで感染拡大の原因にもなりかねず、一部ではオンラインによる礼拝も行われています。イスラーム教徒にとって祈りは最も重要な行為です。本来は祈るのはどこでも構わないのですが、集まることによって連帯感を醸し出す役割もモスクにはあります。世界中で感染拡大が進むなか、モスクはまた別の役割も示さないといけない時期なのかもしれません。

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