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意味のない会議をする人たち

日本の会社は意味のない会議をすることが多い気がします。この人たちは参加している人たちの時間というものに配慮しているのでしょうか。

 先日、実に不愉快な会議に参加しました。結論から言うとメールでできる内容をウダウダと2時間以上も会議でするのです。

 そもそも自分らが送ってきた英語の文書は誤訳が多いうえ、言葉や表現の使い方も間違っているところが多々ありました。それだとローカルがわからない。まあ、それはある程度しょうがないとしても、その間違った英語の内容をもとに一つづつ質問の内容を確認するという会議で、これには途中ではらわたが煮えくり返りました。

 最近、日本では会議を効率的に行う書籍も売れいきがいいようですが、やはり無駄な会議、意味のない会議に頭に来ている人も多いからでしょう。齋藤孝さんの『会議革命』ではこう言っています。

何も生み出さない会議が日本には多すぎます。それにつきあわされていると、こちらの脳ミソまでが腐ってくる感じがします。(41ページ)

と言って「不毛会議大国日本」と断じています。これには大賛成。

 会議というのは定例会議は別としてそもそもアイデアを出すというもの。その時間は参加者が時間を割いて参加することになります。その会議がなければ、別のことに時間を使うことができます。無駄な会議をするということは、その時間をひったくる行為であり、これは時間泥棒に匹敵します。「時間盗難罪」という犯罪があれば、日本人のビジネスマンのほとんどは逮捕されるのではないでしょうか。
 
 そもそもどうして無駄な会議を日本人はしたがるのでしょうか。時間が有限であることをまずわかっていない。

 時間はどうしたって無限ではありません。全員等しく1日24時間しかないわけで、仕事を効率よく成果を上げようとすれば、どうしたって制限時間のなかでどう効率的にこなすかを考えなければなりません。日本人はどうもそれができていないのではないか。あまりにくだらないことに時間を割けすぎで、これは日本で進めている働き方改革に反するのでは? 日本の生産性が低い原因はここにもあると思います。

 会議をして人が参加するということはコストもかかります。参加者、特に主催者はそれをわかっているのでしょうか。その人の給与を時給計算して何人出たかで、その会議でいくらかかったかというのが割り出せると思いますが、その金額と会議での結果がその金額に見合っているのかという視点は重要なのでは? 管理職の人が何人も出てくればもちろんコストは高くなるわけで、果たして連絡事項だけの会議にそれだけのコストをかける必要があるのでしょうか。連絡事項の会議だけで合計5万円なんてありえないと思います。

 会議というのは「集まって議論をする」こと。単なる連絡事項であれば、メールでよろしい。質問があれば、それもメールでいいでしょう。なぜ何人も集めるのか意味がわかりません。1人1時間会議に参加するとして7人が出たら、7時間の時間が取られるわけです。この7人が1時間ずつ別のことをすれば、それはそれで別の成果も出るのではないか。そういったことも主催者は考えているのでしょうか。

 それと日本の会議の嫌なところは参加者が発言しないこと。何人も出て、まったく意見もない。会議で発言しないことは欧米だと、その人はいないに等しいか、脳みそがありませんと言っているようなものです。日本人はなかなか自分の意見を言いたがらないですが、もうそんなことは言ってられない時代であると思いますよ。いろんな意見を戦わせて会議というのは活性化し、いい結果が出ると思います。会議一つとっても生産性が問われているのです。そういったことを考えないからいつまでたっても中国や韓国に追い抜かれたままなのではないでしょうか。企業の人は一つ一つの会議に真剣さをもってもらいたい。会議をしてどういった結果をもたらさないといけないのか、その結果がどう今後につながるのか、そういったことを真剣に考えてほしい。いかんせん、現状の会議はあまりに生産性が低すぎる。この前会議に参加したローカルもうんざりしていましたが、こういったことで日本人は足元見られるんですよね。

 いずれにしても、意味のない長時間の会議はハラスメントでもあります。時間泥棒です。苦痛でしかない会議には今後、僕は出ないようにしたいと思います。

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