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私のルーツってここから

フリーランスになって間もないころ、(約15年前)よく言われていたのが女性でフリーランスになるのって勇気いらなかった?ということ。
考えてみれば確かに、フリーランスという言葉はその頃そこまで聞かなかったのかもしれないし、フリープランナーは私の周りにもほぼ居なかった気がする。

現在、フリーランスが活躍できて個の力を試すことのできる時代では女性の進出も全く珍しい事ではないのだと思うけど、その時にしかもこの香川という土地ではなかなかレアだったのかもしれない。

また「フリープランナーへの道」では書きますが、実はそう言いつつもプロデュース会社を辞めた私は自分一人でフリーとなって道を切り開けるような人間だとは到底思っていませんでした。
そこを助けてくれたり、ヒントやチャンスをくれた方々がいらっしゃったからこそ今があるんです。
私が、

フリーでやってみよう!
つくっていきたいものがあるなら、自分でやってみよう!

こうやって思えたのは、両親のお陰なのかもしれません。

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私の両親は2017年5月9日まで「うどん店」を自営業として営んでいました。
1978年8月23日、まだ私が幼かった頃にお店はオープンしました。
元々、警察官だった父が脱サラをして母の実家だった製麺工場で修業をしてはじめたうどん屋さん。
香川県(さぬき県)にはたくさんのうどん屋さんがあって、今でも当たり前のように新店がオープンしていますが、それでも廃業するお店も多いのに39年間も一代でお店を築き上げてきたことは本当に素晴らしいと思います。

小さい頃は、自宅の1階がお店で中階段を2階に上がると自宅という環境で、毎日親が仕事をしている姿を見ながら育ちました。
共働きの為、生後90日から保育所に入っていたり、忙しい時にはタクシーで1人で保育所に行ったり、小学校の運動会などのイベントごとには親が来ないなんてこともしょっちゅうでした。
でも、きっと親の一生懸命働く姿を見て育った私は、それほど寂しくもなかったし、口に出したことはありません。
何なら自慢の親だったんだと思います。

そんな両親がよろこんでくれたこと、それは

私がフリーランスとしてプランナーとしての道を歩み
15年経った今でもそれを続けていることです

はじめはフリーになることに戸惑っていた私が背中を押されたのは両親のお陰もあります。
「お父さんたちにできてさゆりにできないことはないよ」と言ってくれました。
このコロナで売上が落ち込み、心配してくれた時も「お前ならできるから、踏ん張れ!」と一言。
大先輩が言ってくれるんですもんね、頑張らなきゃ(笑)

夫が仕事を辞めて、私のお仕事を一緒にしてくれると決めた時、夫はこう言いました。
サラリーマン家庭の僕からは想像つかない自営業の世界をもっと身をもって勉強しないといけないし、その考え方に切り替えないと!
確かに…色々話して思い出したのですが、夫の家庭では欲しいものがあっても我慢して、貯めて何かを買うという考え方が、私の家庭では「頑張って稼ごう!」と貯めるよりも稼ぐという考え方だったなぁ…と。
(自営業の人のみんながそうではないと思いますが)

それが正しいという訳ではないけれど、そんな「頑張って稼ごう!」のその精神が私にも宿っていたのかもしれません。
私にとっては稼ごう=いい結婚式をつくろう、お客様に喜んでもらおうです。

お客様に「ありがとう!」と感謝していただけて、お仕事としてお金を頂戴できる、なんて本当に貴重なお仕事だし
誰にもできないような体験をさせていただけます。

誰かの幸せを自分が一緒につくることができる
一生に一度の大舞台を一緒に体感できる
新郎新婦の笑顔に一番近くで触れられる

ウエディングプランナーとはそんな素敵なお仕事。

ちょっと話はそれましたが、そんな環境に物怖じすることなく入ることのできた私のルーツをつくってくれた両親にも感謝です。
両親に負けないような自分の大切なものをしっかりつくっていきたいです!

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