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ウエディングプランナーへの道①

私がノートをはじめた理由の1つ。
コロナの影響で2020年3月からの結婚式がばたばたとキャンセルが続き、秋までほぼお仕事がなくなってしまった…。
はじめはその事にどう行動していいのかも分からず、ただただステイホーム。でも、そんなことをしていても立ち止まっているばかりで春にいろんなことをスタートしてみた。
その中の1つがInstagramで自分のフリープランナーになるまでの道のりを書くこと。
書いているとひとつのお話でも長くなってしまって、インスタでこんなに長文誰が読むのかしら??と思いつつ、自分の振り返りにもなれると思ったので続けていると、数か月後には「楽しみに読んでるよ」って声を多くいただくことになりました。
そして、せっかくだからnoteで発信してみたら?と何人かに言われたのがnoteをはじめるきっかけにも…

前置き長くなりましたが、早速綴っていきたいと思います。

私がプランナーを目指したのは今から19年前。(歳がばれる 笑)
当時OLをしていた私は、会社の先輩の結婚式に呼ばれて大手の式場の結婚式に参加しました。
そこは、改革を始めた式場でその後急成長する会場。そこで初めて〈ウエディングプランナー〉という仕事に出会いました。
新郎新婦の近くで2人を見守り、周りにいろんな指示を出していくその姿はめちゃくちゃかっこよくて!目が釘付けに。
学生時代からやりたい仕事が特になく、ぼんやりと生きてきた私にとって衝撃的な1日でした。


それからは早かった!すぐに結婚式業界について調べ、どのようにしたら仕事につけるか探り、数ヶ月後には会社を退職、すぐに仕事に就きました。


ここまではインスタに投稿しているのですが、実はあっさり会社を辞めたようになっていますが、noteでは前職のことにもちょっと触れたいと思います。


当時私は7年間OL生活をおくっていました。
やりたい仕事はなかったものの、属していた会社では受付を5年間、総務を2年間と接客・電話応対・事務職のキャリアは着実に積んできていました。
受付は来客のすべての応対、そして電話は1日100本近く応対して繋ぐお仕事で、社内の営業・企画・販売・物流・生産の内容はある程度把握していました。
5年後にはステップアップしたいと系列会社での生産ルートでの総務・経理に異動させてもらい、工程管理・総務や経理全般もさせてもらっていました。
この頃の接客やパソコン業務、事務の経験が今も活きています。
7年働いた会社は家族経営(とは言っても系列会社の社員を入れると200人は超えていたと思います)だったので、受付の時の直属上司は副社長(社長の奥様)でした。
辞めたいと思った時に「やりたいことができました」と相談し、「頑張りなさい」と背中を押してくださったこと、今でも忘れません。
社内では厳しく怖い存在の副社長でしたが、きちんと筋の通った方でした。

そんな後押しと勢いと多少の勇気を持って退職後。
私はブライダルプロデュースの会社に入社。

当時はウエディングプランナーという仕事はあまり世に知られてなく、たまたま職業安定所で見つけた大手ドレスショップ、大手式場、プロデュース会社の中から1番やりたい事に近そうだったプロデュース会社を選択したことから、私のフリープランナーへの道が始まりました。

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